第222話 村田屋、とある一日(その七)
ぐむむ……。
今回は、変に時間がかかってしまったです。
夏バテ気味と資料調べが重なって非常に
てこずってしまいました。
何とも不甲斐なし。
季節も秋口ともなると暑気も漸くに和らぐ。
日陰にて陽射しを避ければ灼けるが如き
暑さからもゆるゆると開放される様になり、
楼に登れば流るる風も日々に涼しさを増すのを
次第に感じられる様になってきた。
結構なこと。
"生温い風"なんて怪談の中だけで十分だ。
やがて木の葉たちも色とりどりに、個々に
華々しくその装いを競い合う季節が来る。
日々に移ろいゆく世界はげに美しき。
哀れむべきは日々の餓えや忙しなく殺伐たる日々に
心を千々に擦り減らし、
観るべきモノを見れぬヒトの心の貧しさか。
憎むべきは現世の狂気か、人の愚かさか。
高くに設けた部屋から那古野の街を見やる。
思えばこの街も随分と大きくなったものである。
李部の設置によって極端な人口増加が起こり、
それにより一時的に都市機能の停滞や混乱が
見られたが今ではそれらも解消されてきた。
時には敗れ失い、時には功を成しながら。
まことに政に正しき解はなく、難しいものだ。
この時代の家屋は基本的に平屋メインである。
理由は安いから。
かかる建築費用も建築期間も半分どころか
三分の一以下で済むからだ。
大きめの商家や一部の金持ち・旅籠などは
奮発して二階建て家屋を建てることもあるが、
たとえ大型都市那古野といえども高層建築物は
普通は城くらいしか無いものである。
―――にもかかわらず新たに店を建て直した
村田屋はまさかの五階建て。
その辺の物見櫓よりも高い。
しかもその五階の上に"屋上展望座敷"まである。
ちょっと訳の分からない表現ではあるが、
一応はコレが対外正式呼称。
"屋上"と銘打ってはいるが"座敷"でもあるので
屋根も壁も窓もある。
『屋根の上に部屋を(ムリヤリ)乗せた』
というのが表現としては的確、であろうか。
少しというか、かなり異質である。
しかしお陰さまで、凄まじく目立つ。
五階までは黒壁造りであるのに、
天辺の部屋だけ朱塗りであるから殊更に。
町の内外から丸見えであり、一種の名物となって
まあ人の寄ること寄ること。
………珍しい物好きの三郎さまも寄ってきたがね。
序にその親父殿も。
店舗宣伝としても店舗ステータスとしても
類なき高い効果があるからこそ、
最近では生駒やら大橋やらが挙って頑張り
四階建てを建てているな。
さらに憧れの五階建てにトライしようと
悪戦苦闘している様子である。
しかしこの店舗は一般家屋様式だけでなく
寺院の五重塔などの技術もミックスしている
当代の建築技術のオールスターだから、
そう簡単にはいかないだろうが。
―――――さて。
都市経営、街を滞り無く治めること。
都市、それも結構大規模な都市の維持を行う上で
必要不可欠となるモノ。
即ち尾張を治める上で絶対不可欠となるモノ。
それは確保が明確に約束された水と食料。
冬の寒さを凌ぐ為に必要となる家屋や衣。
日々の暮らしを保証する安定した収入。
過密都市の闇を軽減する為の精神的安息。
……………そして何より大事なのは。
街の命を護る極度に高レベルの衛生概念と、
都市全域を護る為の高度な治安である。
まあ"正史"における『江戸』という、
中近世でありながらも100万都市を維持管理した
という確かな実績が在る歴史資料がある。
ソイツを適時に応用しながらトレースすればいい。
そのうち木樋による簡易水道システム(非飲用)や
下肥の安価な買取型回収システム。
他には超安価な長屋システムについては
既に那古野圏でも実用化している。
目先の必要性は達成された形ではある。
ところで。
李部というものを置いた以上、那古野の街では
武家や商人衆だけてなく出稼ぎ系労働者や
逃散系の流民そして牢人衆の割合が他の町よりも
かなり高くなってしまう。
これは李部の"無職・求職者を集める"という
性質上、まあやむを得ない事ではある。
やむを得ない事ではあるが、このことは
所謂"住民間トラブル"というものを発生させる。
良くも悪くも日本人は島国根性の塊。
ヨソモノには過剰反応しがちだ。
その中でも特に問題となるのが牢人衆。
かれらは極端な表現をするならば
"放浪する武装した非就労かつ単独の傭兵擬き"。
決まった定職を持たぬ為に年中に食い詰め、
決まった住居を持たぬ為に年中にぶらつき。
集団として群れぬが為に逆に統制が効かない。
また牢人は戦場という"死と隣り合わせ"の場に
居る故に人生観が刹那的かつ享楽的となりやすい。
つまり時を選ばず酒を呑んでは短絡的にブチ切れ、
そして無闇に暴力を振り翳し刃傷沙汰を起こす。
決して全ての者がそうであるとは言えないが、
大多数が己の感情と欲望に正直すぎるのだ。
最悪の隣人であり治安を著しく乱しかねない、
えらく厄介な連中である。
よって都市内に牢人衆を組み込むには、
何らかの"工夫"が必要となる。
謎のパワーワード、『屋上展望座敷』。
"家屋の上"の"眺めの良いお座敷"の部屋。
文字通りに屋根の上に小型の平屋が乗っており、
当時の建築様式としてはかなりカッ飛んでいます。
なお本文の説明だと"とあるイメージ"に至るかと
思いますが、実際にほぼその通りです。
(瓦以外は)色とか結構そのまんまですよね?
・・・そりゃ、目立つわ。
マメ知識
『黒壁と朱塗り』
黒壁とは正確には焼杉の木板を張った壁の事。
焼杉とは片面を焼いて炭化させた杉の板のことで、
既に表面の酸化が完了しているため腐りにくく
経年劣化に非常に強くなる。
(無論、裏はフツーに腐るから対策が必要)
朱塗りは神社などで塗られている朱色塗料のこと。
"丹"という水銀と硫黄を配合したものであり、
(辰砂という塗料で硫化水銀が主成分)
その毒性から防腐塗料として非常に有効。
また辰砂は古いタイプの"絵画の赤色"でもある。
(ただし辰砂は稀少である為、高額商品となる)
つまり双方ともに保存性を高める施工である。
ついでに色彩効果、色の対比としても効果的。
『逃散』
もしくは"兆散"。
まあシンプルに言うと"村衆の集団夜逃げ"。
大昔の律令体制下では、重税から逃れるために
国家戸籍から逃亡する行為のことを指していた。
荘園制度が広がるようになると、村衆たちは
減税や代官のクビを求める脅迫・闘争手段として
むしろ悪用するようになる。
中世武家政権下では、村衆たちが武家の悪政下から
集落ごとトンズラする事などを意味する。
実はコレ、武家に対する特効系の必殺攻撃。
村衆たちに逃げられると徴税と兵の捻出の両方が
不可能になるため、当時の武家は村衆に対して
権力・暴力による強硬なゴリ押しが出来なかった。
現代の"武家が百姓を重税で生殺しにする"
という極悪イメージは逃散が原則禁止とされた
江戸時代に入ってからのことであり、
(ただし江戸時代でもたまに起きていた)
戦国時代では上下格差はそこまで決定的ではない。




