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鵬、天を駈る  作者: 吉野
7章、『○○○○○○○○』
214/248

第206話 どうにも、地理的条件が志摩と大して変わらない土佐




………非常に長引きました。


今回ばかりは手間取りました。


プロットはある程度は頭の中にあったのですが、


文章に落とし込めない。


プチスランプですかね?


妙に大変でした。




四国の南方、土佐国。


衛星地図などを見ると良くわかるがこの国は


上半分がほぼ四国山地に呑まれており、


陸地と平地の割合が志摩国と余り変わらない。


国土の八割近くがほとんど山。


耕作地が非常に少ない。


そのために土佐国は陸の孤島となっており、


大昔には流刑地の候補のひとつでもあった。


幸いにも土佐は志摩に比べて中小河川が多く、


川沿いへ比較的に平地が形成されている。


また志摩の様にリアス式海岸の形成によって


海岸付近の平地が消失しているワケでもない。


稲作でも交通の便でも志摩よりは多少はマシ。


とはいっても圧倒的に山がちなのは変わらず。


山あいのあちこちに点在する小さな平地に、


小さな国人たちがポツポツ立ち並んでいる。


その中でも例外は広大な高知平野。


土佐における平野の半分近くにもなる。


だがこの平野は未だ未開発であり収益化は成らず。


土佐を豊かにするには至っていない。


本格的な農業開発が始まるのは江戸時代からだ。



現在の土佐国は農業弱小国のままである。





さて、この土佐国だが?


ここには全国的に見ても非常に珍しい勢力が


存在していることで有名である。


『土佐一条家』


武家ではなく公家、しかも公卿である。


彼らは都に居る五摂家の"一条"の分家であり


高い官位を持つ現役の上位貴族(上級国民)でもある。


土佐一条家の興りは100年以上前昔の応仁2年。


武家たちによる公家荘園の武力横領に対抗するため


土佐中村(現"四万十しまんと市"の一部)の一条荘園に


わざわざ家を分けてまで現地に根を下ろしたのが


その始まりである。


他の公家たちの様に没落や避難による"都落ち"


ではなく自主的に地方に下向した一族。


しかも国内でもほぼ唯一といえる、


大名(武装)化した純粋な公家』である。



その国力は土佐在来国人たちの3倍近く。


圧倒的な実力を持つ土佐のリーダー格である。


全盛期の最大版図は土佐の西半分にも及び、


更に伊予国にも侵攻する勢いを見せた。


公家にありながらも、土佐の雄だったのである。





しかし現在ではその様子が変わる。



一方で土佐東側、長宗我部家において。


土佐国人内でも最底辺組であったはずの彼らが


一条の3倍以上、国人衆の10倍以上という


殆どデタラメな経済力を身に付けた事で


土佐国人たちの勢力バランスが一変。


もともと借金多めな地方国人たちに対して


"札束で殴る"ならぬ"銭束で殴る"という


単純かつ激しく効果的な攻撃が可能となった。


勢力図がメチャクチャになっているのである。



他方で土佐西側、一条家においても。


最大版図を築くに至った三代目、房基ふさもと


3年ほど前に30歳にもならぬ内に死去してしまう。


(※自殺とも暗殺とも云われている)


四代目として継承した兼定かねさだはわずか7歳。


自領の統治や統制が出来るはずもなく


またソレを理解すらできていないため、


今は地固めの為に都の一条本家の下に赴き


本家の猶子ゆうしとなって教育を受けているとか。


今は元一条氏である筆頭家老の土居どい宗珊そうざん


現地にて指揮統括を行っているようだ。


こちらでも旗下が揺らいでしまっている。



土佐国は今、激動の只中にある。






――――と、いうワケで長宗我部の方針は。


一先ひとまずは土佐一条家にはノータッチ。


五摂家の一族であり実際に高い官位を有し、


なおかつ土地領有にこれ以上ない正当性を持つ。


落ちぶれたのなら兎も角、未だ健在の彼等に


正面からケンカを吹っ掛けるのは愚の骨頂。


中央への影響力も相当に高いはずだから、


下手をすれば朝廷工作により逆賊扱いだ。


相手が勝手に混乱しているのだから放置でよい。


高位の名族である彼等は非常に扱いが難しく、


またそれ故に如何様いかようにも扱い様がある。


利用するにせよ祭り上げるにせよ潰すにせよ、


取り敢えずは捨て置けば良い。



国人連中については、銭をバラ撒けばいい。


コレについては尾張も伊勢も志摩も変わらない。


基本的に武家というヤカラは特に考えもせずに


"戦"という超ハイコスト行為を安易にやるため、


常に借金漬けになりがちである。


その穴の空いた財布の肩代わりをしてやりながら、


代償として各種干渉を仕掛けてゆけば良い。


結局、武家なんぞ利益と安全に着くのだ。


ならば与えてやればいいのだよ。



さて、肝心の長宗我部家自身。


土佐国内の各国人衆への攻略や調略が進み


一条家への不干渉を決めたならば、余裕が出来る。


内政に振り向ける余地が生まれるだろう?


長宗我部家の岡豊おこう城は高知平野の北にある。


今の内に未開の平野に開拓と灌漑を施せばいい。


己の城下の庭を。



………とはいえ、たとえ経済力が多分に有っても


開発とはそんなに容易な事ではない。


ヒトを動かす"燃料ゼニ"が溢れるほど存分にあっても


実際に動く"馬力(頭数)"が無いと事は成らないのだ。


ということで。


尾張・伊勢から土佐に向けて救援を送っている。


海路より牢人衆を5000人ほど。


土佐に向けて大量の人員を送り込むことで


土地の開発を促進させる一手だね。



コレには幾つか、複数の要因を含む。


ひとつ、単純な労働人員。


数は力でありその大量投入は大幅な時短となる。


今必要なのは超短期の開発進行であり、


5000人の単純労働力があればソレは一気にはかどる。



ひとつは、予備軍事力。


牢人=傭兵軍人である。


たとえ現地にて突発的な戦闘が起こっても、


彼等は即座に戦闘要員に変わることが出来る。


それが一気に5000人だ。


少々のコトではびくともしなくなる。


………ま、寝返り防止だけは考えねばならんがね。



そしてもう一つ。


牢人たちが望むのは富と栄進と、そして土地。


そう、今の土佐には在るではないか。


―――――手つかずの未開の土地が。


土佐平野を新規に急速に開墾したとしても、


其処へ入植できる人員が居なければ意味は無い。


"何処にも所属していない"牢人という流れ者に


"何処にも所属していない"土地を与え定着させる。


ここに長宗我部恩顧の土侍が誕生するのだ。



そして最後に。


元々、この完全新規の新田開発は長宗我部家が


独自に銭を出し単独で行っているモノだ。


大規模な銭の拠出を行える国人など居ないし、


また自ら進んで銭を拠出する国人も居ない。


手出ししていない以上、口出しなぞ出来ぬ。


つまりこの新田は完全な長宗我部家直轄領となる。



長宗我部家にとっては配下の国人衆にらない


独自の直轄領(生産能力)直接恩顧の直臣(固有軍事力)を獲られる、


まさに一石二鳥どころではない策である。




この策はそう真新まあたらしいモノでは無い。


手法としては古来よりある。


コレは言うなれば、変則的な"屯田とんでん兵"制度。


形態としては明治初頭の『北海道屯田兵』、


いや後漢末の曹孟徳の『青州兵』に近いか?


兵士自身に消費する食物を生産させるシステムを


運用手法を少しイジっただけである。


未だヒラかれぬ土地が在っても開発する手が無い、


漸く拓かれた土地が在っても住まう者が居ない。


土地開発における問題点を一挙に解決できるのだ。



現行では政治構造(システム)上、守護大名・戦国大名問わず


土地を預けた(与えた)者の武力・兵力に全依存している。


配下に背かれると即、その立場が危うくなるのだ。


"中央が独自の固有戦力を持つ"


ソレがその対策。


所謂いわゆる、封建から中央集権への緩やかな体制移行。


富国強兵施策の第一歩だな。


南方貿易利権に一枚噛んでいる以上は、


そう簡単に倒れてもらっては困るのだよ。





――――なお。


まあ至極当然の事だがこの"疑似屯田兵制度"は


織田家中でも実行されている。


むしろ尾張や伊勢・西三河にて一定の成果を


確認できたからこその土佐への導入だ。


成果が期待できるかどうかも分からないモノを


他所に施策するわけにもいかないしな。


なによりこの策が極めて有効的だからこそ、


まず自分達で優先・先行して行っているのだ。



他人の世話を存分に成せるのは、


自分にそれだけの余裕が有るからだよ?



貧乏暇なし、衣食足りて礼節を知る。


そして金持ち喧嘩せず。




世の中なんて、そんなモノだ。





改めて確認しでると、高知県(土佐)つて


ほとんど山なんですねぇ。


思った以上に山がちでビックリしました。


長宗我部って結構大変だったみたいです。


よくこの条件で土佐統一とか出来たものです。





マメ知識




『公家と公卿』




公家とは朝廷に仕える貴族や上級官僚全般のこと。


公卿とは天皇に面会出来る立場にある者、


つまり清涼殿に立ち入り出来る官職にある者をさす。


ただし藤原家の摂関政治が続く中で


一部の家による上位官位の独占が起きてしまい、


特定の一族以外が"公卿"に成ることに対し次第に


勝手に制限をかけるようになる。





『五摂家』




藤原家の一族の中でも、


近衛・九条・二条・一条・鷹司の5つの家を示す。


これらの家は通例的に摂政(及び関白)を独占。


他の一族が摂政の地位に就く事の妨害を始める。


この"慣例的に摂政に就ける一族"を五摂家という。


ただし彼等が五摂家である根拠はあくまでも


"今まで慣例的にそうであった"事でしかない。


律令や法令、帝が許認可した事実は存在せず、


ソコに一切の強制力は存在しない。






『北海道屯田兵』




明治における北海道及び樺太防備のために


置かれた特殊兵団。


一定の農地を与えて半ば自給自足の生活をさせた。


徴兵制だった当時の正規軍に対して志願性であった。


当時の北海道は人口が少なすぎて徴兵では


必要な兵員が確保できなかった為であるらしい。


後に北海道に十分な人数が確保できるようになり、


1904年に屯田兵制度は廃止となる。





『青州兵』




三国時代(後漢)、青州の渤海郡に孔融が就任。


孔子の末裔である彼はこの地にて極端な


"儒学的政治"を敷いたらしく、渤海郡の政治状況を


凄まじく悪化させたようである。




※"続漢書"という史書では、


民をよく教化し名士を多く推挙したとある。


一方、"九州春秋"という史書では


政治の実情も知らず汚職も見逃してしまうなどと


ボロクソに書いてある。


つまり孔融は、


"儒学者としては有能だが政治家としては無能"


であった疑惑がある。




そのために青州は黄巾賊の発生と同時期に


青州でも大規模反乱が起きる。(青州黄巾)


コレを曹操が鎮圧したのだが、彼は反乱軍を


"降伏をすれば処刑を許す"という条件で免罪した。


大量に発生した捕虜を食わせるために曹操は、


捕虜自身に耕作させて自給自足をさせたという。


彼等が通称、"青州兵"である。


初期の小規模な曹操軍における主力となったらしい。







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― 新着の感想 ―
[一言] >"札束で殴る"ならぬ"銭束で殴る" 想像したら、紐さえ切れなければ強力なブラックジャック えっ?物理的な意味ではない!?(^^;)
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