第186話 史実における、織田信長の強さと弱さ
そもそも何で織田信長が戦国乱世において
しぶとく勝ち残れたのか?
そのちょっとした考察です。
美濃国と尾張国とに大きく広がる濃尾平野は、
日本国内において広さが第二位という
出鱈目なまでに広い大平原である。
(日本一は関東平野)
その範囲は美濃の南方あたりから
北伊勢の一部にまでという圧倒的な範囲だ。
この大平野は木曽川・長良川・揖斐川の
三つの河川によりもたらされた肥沃なる大地。
つまり尾張国は知多半島以外のほぼ全てが
巨大な穀倉地帯という恵まれた国である。
国内最大たる関東平野の領有はバラバラであり
群雄割拠、ぐちゃぐちゃの状況に対して
濃尾平野はその6割近くを織田が領有。
ついでに言うと三河国も岡崎あたりまでが
広大な平原であり、
また伊勢も低山混じりながらも平野が続く。
何なら一度、GO○GLE MAPの航空地図で
この辺りを確認してみるといい。
現時点で織田が所有している平野部は、
関西圏の平地のほぼ全てに準ずる。
仮定としてこの平野全てを田圃に回した場合、
全国トップクラスという驚異的なコメを
生産可能なのである。
兵糧所有量は勢力の戦略的継戦能力に直結する。
結局のところ史実における織田家が持っていた
異常なまでの強さ・しぶとさの泉源は、
尾張が持つ破格の兵糧生産量にあったのだろう。
その地政学的条件において、
織田の家は別次元に恵まれているのだ。
この事は尾張国の圧倒的な長所であるが、
此が逆に尾張武家の深刻な短所にもなる。
極限の飢餓を味わったことが無いのだ。
コレを知らない武家は戦の極限状況において
"踏ん張る"ことができない。
――――それは兵も、将も。
要は戦術的継戦能力が、『士気』が低い。
コレが後世に"織田の弱兵"とうたわれる
根本的な病巣なのであろうな。
この尾張兵の短所を改善する手段は。
――――――無い。
地政学により長年に育まれた"民族性"ゆえに、
改善のしようが無いのである。
史実における織田信長もそのあたりは
充分すぎるほどに熟知していた。
よって彼の戦術構想は他家と比べて少し異質だ。
ひとつ。
豊富な兵糧と傭兵足軽を有効に用いた、
徹底的に切れ目も容赦も無い長期の波状攻撃。
農民足軽は、その本職はどこまで行っても農民。
戦略的継戦能力は低い。
田植えや収穫などの農繁期になると帰りたがって
士気が一気に低下する。
無理に残らせようとすると反乱の恐れすらある。
長期の拘束がひどく難しいのである。
これが日本の戦の常識である。
また一般的な兵糧生産量でも長期戦は難しい。
兵糧攻めをしていても、攻めている側が
先に兵糧が失くなるなんて事もざらである。
よって必然的に戦の継続には一定の限界が出来る。
防御側は『長期に粘れば勝てる』のだ。
この時代の攻城戦はその事が常識的に、
戦略の前提段階から組み込まれていたりする。
コレを、この両方を織田は無視できる。
つまり当時の常識を無視できる。
他の武家では"用兵が不可能"なタイミングでも
傭兵足軽により用兵を行うことが可能となる。
常識はずれの超長期のペースをもって、
延々と攻撃を繰り返す事が可能なのだ。
当時の戦の常識的には、特に武家には
コレに抵抗するのは不可能に近い。
だからこそ織田は、一向衆以外には
デタラメな総合勝率を誇る。
この常識に当てはまらない一向衆以外には。
ひとつ。
織田信長は、不利になると速攻で撤退する。
先にも言ったが、尾張兵は基本士気が低い。
"踏ん張り"が足りないから、
戦況が不利になるとかなり簡単に崩れる。
信長の場合、最初からその辺を理解していた様だ。
よって戦況が少しでも不利になったら、
安全に逃げられるだけの余裕がある内に
即座に退却を選ぶ。
その"損切り"の決断が他に比べて、
ビックリするほどに早いのだ。
なんせ『他の常識』に比べて、次がある。
決定的な戦略的敗北をしない限りは、
何度でもやり直せるのだから。
今、この時に必勝でなくてもいいのだから。
ソレは織田勢力の余裕にもつながる。
余裕のある勢力は、強いのだよ。
実のところ、コレが織田信長という人間が
大方の予想を裏切り勝ち残り続けたことの
理由なのだろう。
織田信長の戦いは非常識で、常識破りなのだ。
常識的な戦をしていては、絶対に勝てない。
ノッブ氏の強さは『常識の横紙破り』というモノを
"戦術"レベルでやって来ること。
将棋の試合にチェスやオセロ・囲碁などの
別ゲームのルールやコマを持ち出すような
出鱈目な行為に近い。
これは常識を前提とした戦術構想では
勝つことが極端に難しくなる。
将棋のルールだけでは他のゲームのルールに
対応出来なくなるからだ。
コレは『自分には出来ない』事をされるに等しい。
それゆえに織田は戦術で圧倒できる。
マメ知識
『"非ざる"ことと、"破る"こと』
芸術・芸能・武術などには、
"守破離"という概念がある。
始めはただひたすらに基礎・基本を身につける。
条件反射で無条件にトレース出来るまで。
"基礎の枠"を徹底的に"守れ"という教え。
基本が完全・完璧に身に付いたら発展形を目指す。
基本の枠を"破って"自身の技を進化させるのだ。
その技が他流派でも、他芸能でも構わない。
完全に基礎が身に付いた上で技を磨き続けるなら、
最終的には"基礎の枠"の外へ出ていってもいい。
基本から"離れて"ゆく事だって大事である。
守破離とはだいたいこういう教え。
つまり基礎を完璧にトレースできるなら、
常識の枠を"外れる"ことも"破る"ことも
全く問題が無いということである。
逆に"非ざる"状態とは、基礎が出来ていない事。
常識が無い人間は、ソレを知らないがゆえに
常識や基礎・基本の"枠"から簡単にはみ出る。
"はみ出す"事も"外れる"事も、
一見では同じ"枠の外に出る"行為であるが。
常識や基礎が身に付いていない者は、
枠を突き破る事は出来てもソコに技巧が無い。
真っ暗闇では何もかもが手探りであるために、
突き破った先で発展をする事がスゴく難しいのだ。
基礎・基本があるなら、突き破った先でも
発展するだけの技量がある。
真っ暗闇でもステップを踏める実力があるのだ。
だから、はみ出した者よりも圧倒的に発展が早い。
これが"非ざる"者と"外れた"者との違い。
類義的な表現として、
"形無し"と"型破り"がある。
コレも"基礎という型"が有るか無いかの違い。
ノッブさまの場合、常識の枠をブチ破る"型破り"と
常識を無視して踏み越える"形無し"とを
同時に行う為、極めてタチが悪かったりする。
『横紙破り』
当時の紙は和紙。
この和紙には製作の段階で"破れやすい方向"と
"破れにくい方向"ができる。
一般的には"破れやすい方向"を縦とする。
つまり和紙は横にはかなり破れにくい。
この和紙を横に無理矢理に引きちぎることを
"横紙破り"という。
道理に合わない事を力ずくで押し通す事をさす。




