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鵬、天を駈る  作者: 吉野
7章、『○○○○○○○○』
188/248

第183話 尾張・伊勢、七福詣で




何となく自分でも創作テンションが


やや暴走気味となった一話。


ちょっと"時代背景"から剥離(ハクリ)しています。








「……………伊勢の神宮へ(まい)る?」





三郎さまが、"何だ、そりゃ?"とでも言いたい顔で


鸚鵡(オウム)返しをする。


まあ、今の日本に鸚鵡はいないが。


言うなら"復唱"……かな?







――――睦月も半ば。



未だ(こた)える寒さは健在であり、


ひとりひとりに小さな火鉢を持たせて


寒さを(まぎ)らわせている。



その様な中で集まってもらっているのは、


尾張"新体制"における首脳陣。


前もって、政略事項の事前説明会である。




要は、いつもの根回しだ。









伊勢詣りは、大昔から脈々と続くものである。



元より"王権神授"である日本では、


天皇家は正統なる大神の末裔であり


同時に国内祭祀の最高責任者でもある。




つまり"神"宮へ詣でるのも皇家(こうか)の大事な仕事。


同時にその部下たる公家衆も高名な(やしろ)に詣るのは


一種の義務でもある。



よって定例的に伊勢神宮や熊野三山へは


歴代の皇家や貴族などが参拝している記録がある。




―――――(もっと)も、途中から観光レジャーの要素が


だんだん高くなってくるのではあるが。


………ソレはよくある話だ、仕方ない。






とまれかくあれ、古来より神宮・大社詣りは


行われてきた事である。


現在は治安が極悪すぎるという情勢のために、


ほぼ行われてはいないがね。




つまり織田が神宮に詣っても、何の問題もない。


元々、織田氏は越前に在る『(つるぎ)神社』の神職だし。







そうですねぇ。



単に伊勢の神宮へ詣るだけの事ではありません。


むしろ伊勢だけではありませんし。







まず、始まりは織田(ゆかり)の津島の神社。


こちらでご挨拶と旅の安全祈願を行います。




次いでお隣の多度(たど)大社へ。


こちらにもご挨拶と道中安全を願います。




その後は一度尾張に戻り、()にて伊勢へ。


大湊に寄港して伊勢の神宮へ詣ります。


此処(ココ)にて日ノ本の安寧でも願いましょうか。




更に再び船に乗りまして今度は熊野へ。


ここで熊野三山こと、


熊野速玉大社・熊野本宮大社・熊野那智大社を


順にお詣りをします。




三社詣でが終わりましたら再度、船旅に。


今度は一気に尾張まで舞い戻り、最後に熱田へ。


無事のご報告と一年の祈願を授かります。





一度に七つの神社・大社・神社に詣る旅です。




題して、『七福(しちふく)(もう)で』とでも銘打ちましょうか。








「…………………いや、何だそりゃ?」





おや、今度は顔から本心が飛び出してきたか。


今度は隠し切れなかったようで、三郎さま?



―――――無論、そう思うのも当然なのだが?


何の事前知識も無しに(わか)れば世話はない。



………………何せ。




何故、急に言い出したのか?


何故、まとめて七社なのか?


何故、アチコチに詣るのか?


何故、途中で舟に乗るのか?


そもそも何故、詣らねばならぬのか?




―――その辺が全く説明されていないからな。


むしろしていない、とも言う。







―――――はてさて?



様々な理由は内包されてはいますが。


最も簡単に、最も端的な表現といたしましては。




そも、この七福詣の主役はお詣りではありません。


その真の目的は外交と。



――――遊興(ゆうきょう)、つまりはお遊びなのですよ。



それも極めて豪華な。







この旅はあちこちの社に立ち寄ります。



至極、当然のことではありますが


ただ詣ってそのまま帰る訳ではありません。



たとえば津島では長年の友好を確かめます。


たとえば多度ではこれからの友好を誓います。


たとえば伊勢では神宮と外交と友好を深めます。


たとえば熊野では、隣の領地国人である


伊勢堀内氏たちとの国交を深めます。




まあ、つまり………ですね。



七つの社に詣った(ついで)に、その周辺で


有力者と共に宴会をして回るワケですよ。




こちらが多くの銭を支払うカタチで。


あちらが(うたげ)の準備を執り行うカタチで。





――――それぞれの社に赴くにあたって。



それぞれの地の実力者と(よしみ)を図り。


それぞれの地と外交と商いの足掛かりを造り。


それぞれに気前よく銭を渡す事で好感を高め。




そうして相手側の立ち位置をゆるやかに


此方へと近付ける策になりますね。





行く先々にて毎回毎回に多額の銭を落とし、


毎度のように彼らと呑んで喰って楽しみ騒げば


互いに親しみも湧くというものでしょう?




そういった地道な一手でもありますね。







同時に、やる以上はこちらも(しっか)りと楽しみます。




舟での旅と申しましたが、


ソレに日ノ本の小舟なんぞは使いません。


沿岸をチマチマと縫うように進む舟などはね。



大陸の外洋航海仕様の大船を


客船として、つまり()()()()()()()専用の船として


大きく改装させたモノを用います。


安宅(あたけ)船以上の大きさの船を、


完全に遊ぶために用いるわけですね。



大型ゆえに小舟よりもはるかに揺れは少なく。


大型ゆえに岸から大きく離れて航行できます。


大型ゆえに荷物も沢山に()せられ不備もなく。



大船の上より普段は見慣れぬ景色を楽しみ、


大船の上にて海原と陸を観ながら宴会を行う事も


また可能となりますね。









――――などと言ってやると、効果は覿面。



織田三郎という人間は、史実においても


新しいモノ・珍しいモノには即座に飛び付くヒト。




言うなれば短距離ながらも


『豪華客船クルーズ』なんていう世界初の試みに、


世界初の"お遊び"に食い付かないワケが無いのだ。



実のところ、この船は自分達が楽しむだけでなく


持て成しとして外交歓待にも使える。



陸上では見慣れぬ景色と共に宴を楽しむ。


下手なその辺のパーリーなんぞ目ではない。




実は持て成しが大好きなこのヒトには、


たまらない話にもなるだろうな。






「――――――そして、ですね。


こうやって織田が大掛かりで派手な参拝を行えば。



ワレも我もとこれを望む者も現れる事でしょう。


…………実はそこからが本番でして?



尾張守家が主催して、仕様を格落ちさせたモノを


商いとして企画をします。


銭を抱えて気の大きくなった商人が狙い目ですね。


この『七福詣で』という新しいお遊びは


参拝としても遊興としても一級のモノですから、


ずいぶんと人気が出るかも知れませんねぇ?」







――――――――いや、何かね?




"結局はソコかよ!?"とでも言いたげなその顔は。


織田の新しい収入源にもなり得るのに。









16世紀後半から始まった『七福詣で』は、

短距離ながらも世界初の"旅客クルーズ"であった。

大型客船で優雅な船旅を楽しむという

この国内に類のない珍しい"遊興"は、

大商人に公家に武家にと主に上流階級の者達に

じわりじわりと流行が始まる。


後に国内治世が安定すると、一般仕様として

いわゆる"団体パックツアー"も行われる。

比較的に安い費用で豪華な旅が楽しめると、

庶民にも非常に大人気となった。


『七福詣で、日ノ本いちの 舟遊び。

今世(こんせ)に一度、詣るべし』

後世にそのように語られることとなる。








何もクソも、これは完全な観光ツアーです。


まあ原型の『お伊勢参り』自体が


一種の観光ツアーではありますが。



当時は珍しい沿岸から離れる事のできる外洋船で、


遠くに陸を観ながら海を往くという


観光旅客船による豪華クルーズですね。



この時代には世界史上初と断言できるほどの


インパクトのあるパッケージツアー。



ハッキリ言って、時代の先取りもいいところです。



舟遊びが屋形船くらいしかない時勢ですから、


圧倒的なカルチャーショックでしょうね。






実は今回の話は元々あった構想ですが、


書いている内にどんどん『観光』の内容が


変更を続けて別物になってしまった。


お伊勢参り→七福詣で?→豪華客船クルーズ?


………何でや?



ソレは作者本人にもわかりません。






マメ知識




『天皇家の王権神授』




実際にはビミョーに異なる。


いわゆる日本の神話では、こうなっている。




天津神(あまつかみ)の長たる"天照皇大神"が地上の統治の為に


孫の瓊瓊杵(ニニギ)(のみこと)を地に派遣した。


この瓊瓊杵尊の曾孫(ひまご)こそが"神武天皇"である。




この話を"天孫降臨"という。


"天"津神の"孫"が地に"降臨"されたという逸話。



つまり"統治の権限を神より授かった"のではなく、


"最初から持っていた一族である"という主張だね。







『越前に在る"劔神社"』




織田氏は本来は越前在住の武家。


神職であったかどうかは別として、


劔神社は越前織田家の氏神様であるのは確か。



この越前織田氏が尾張に来たのは、


上司の斯波家の移転に引きずられたため。


つまり転勤組だったワケだ。




なお、"劔神社"は福井県丹生郡越前町織田113-1


に在る神社。


地名に"織田"とあるように、織田家ゆかりの神社で


別名"織田明神"ともいわれる。


主祭神は素戔嗚(スサノオ)(のみこと)


皇家にゆかりのある旧い神剣が奉納されており、


ソレが神社の名の由来である。


約1800年の歴史ある神社で、釣り鐘が国宝。



年末の12月14日に社務所が


火事によって全焼してしまった。


社務所が失くなってしまったと嘆くべきか?


社務所だけで済んで、幸いだと思うべきか?



どちらにせよ、大変な事態である。





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