第179話 織田"尾張守"三郎信長、織田"弾正忠"……?
この時代の武家の『○○守』という称号は、
そのほぼ全てが"自称・僭称"です。
実際にその地位を持っている者は、
ほとんど居ません。
『尾張守』とは?
日本の国法である律令制度。
律令制度において、地方の最大単位は"国"である。
朝廷はその国を治めるために中央より
"国司"を派遣し、コレを統治する。
その国司にも幾つかの階級があり、
その中の"守"とは、国を治める"国司"の
長官のことを示す。
つまり尾張守とは、尾張国の行政官吏のトップ。
"朝廷が認めた尾張の統治者である"事を表す。
更に、尾張という国は分類上では
『上国』にあたる。
上国である尾張の"守"は、宮廷における
その位階は"従五位下"。
―――コレは歴とした
" 貴 族 " の 位 で あ る 。
有象無象の地下人ではなく、
正式に貴族として認められる位階であるのだ。
故にこそ、ココまで騒然とする事となる。
…………………何せ。
織田(弾正忠)家が朝廷より正式に
"尾張を統治する"ことを認められた上に
"貴族の末席"に任じられた事を意味するからだ。
実はコレは、かなりの異例である。
鎌倉以降より、武家の所領はその統治を
朝廷から認められていないからだ。
一般的な武家の土地領有というものが
本来の統治者・所有者から横領された、
武力によって強奪することで得た
どこまでも正当性が無いモノであるためである。
―――朝廷から何らかのお墨付きという例外を
受け取らない限りは。
よって戦国大名たちは国司の地位である
"守・介・掾・目"に任じてもらおうとして
セッセと朝廷に献金するわけだが、
"守"に任じられることはほとんど無いとされる。
この例外中の例外を授かった、という事だ。
コレは地方武家としては極大の名誉である。
"たかが弾正忠家ごときが"という負の感情が、
完全に吹っ飛ぶ話であるのだ。
………平手のじいさまとか、既に半泣きだし。
「―――――よってワレら弾正忠家は、
これより織田"尾張守"家を名乗る事とする。」
ソレを聞いたほとんどの者達が歓喜の感情の儘に
轟々と喚き叫ぶ。
『尾張守』を自称ではなく正式に名乗る。
つまりこの名乗りは、"尾張織田家"の立場が
"武家の国主"たる斯波とほぼ同格になる事を示す。
コレは織田一門とその配下にとっての快挙であり、
その全てにとって喜ばしい事だからだ。
もう踊り狂わんばかりの騒がしさである。
これによって、尾張織田一族は
その心根からひとつに固まることも出来うる。
裏方の腕の見せ所だね。
「それから、もう二つほど話しておく。
……まずは勘十郎、これより弾正忠家を名乗れ。」
このセリフにより、"鳩が豆鉄砲を喰らった"
ようなツラで此方を見る勘十郎くん。
まるで『ハア?聞いてないですよ?』
とでも言いたげな顔だが?
それはまあ、言っていないし。
しかし、良かったではないか?
一時はあれほどに成りたかった立場だろう?
望みが叶ったではないか。
そしてこれが(元)弾正忠家の地固めである
ことくらいはわかるであろう。
「――――次いで大和守家である、……が?
困ったことだが、彼らは職責を忘れて
尾張を逃げ出してしもうた。
職責を守らぬ以上は、例え自称でも
もう"大和守"の名は要らんだろう?
―――犬山の十郎左衛門(織田 信清)どの、
ソナタに"大和守家"の名と職責を委ねたい。」
軽く笑いながら提案されたその一言に対し、
一同は一際に騒つく。
まさか『大和守家』という"名"を、
追放した彼等(織田 信友)から没収するとは
思ってもいなかったのだろう。
元々、『大和守家』は尾張織田一門の惣領により
与えられた称号。
ならば尾張織田一門の最大の実力者となった
織田"尾張守"家はソレを剥奪する権が生じる。
コレにより、例え尾張に舞い戻って来ても
既に国内に彼等の居場所は無くなる。
むしろ誰にも相手をしてもらえなくなる。
タダの"無名の元重臣"に成り下がり、
復権するための大義名分を喪うのである。
一方で、唐突に『大和守家』を押し付けられた
犬山織田家(信清)も目を白黒させている。
言ってみればコレは犬山派の懐柔工作。
重要拠点である犬山が万が一にも喪われない様に
実利と共に"名"も与えるという策だ。
同時にイトコ同士である犬山の織田一族に対し
勘十郎くんと共に"家格"を上げる目的もある。
尾張織田一門の底力と団結力を高める一手だ。
一門衆というのは時には紛争の火種ともなるが、
一族にとっては最大の土台ともなる。
その力を強固にすることは重要。
…………尤も、やりすぎると失敗するがね。
「―――昨年は少々、大きな戦をやり過ぎた。
兵糧や銭をひどく使ってしまったからな。
……………よって、今年は大きな戦をしない。
各々、己の力を確と貯えよ。
尾張守家が銭も人も援助するゆえ、
其々、所領を豊かにするがいい。」
コレについては誰からも異存は出ない。
援助によって自領を豊かにする、してくれるなら
ソレは歓迎しかないだろうから。
自己利益を否定する人間など存在しないからな。
………極めて稀なケースを除いて。
基礎土台となる地力の強さこそが、
『戦略』というものが最も必要とする要素だ。
己の力が強くなれば強くなるほどに、
"戦わずして勝つ"がより容易く可能になる。
地道な足場造りが一番に大切なのだ。
「―――――そうそう。
この度の新年は大層に目出度き事が重なった。
皆ともこの慶びを分かち合おうと思う。
今年は特別だ。
今日は無礼講である!
なあに、気にすることはない。
ここに居る者の家族にも祝いの御裾分けとして
料理や酒を贈っておるから、
残して来た家族に遠慮する必要も無いぞ?
好きなだけ喰え、好きなだけ呑め!!
遠慮なぞするなよ!?
―――――それから。
皆が酔って正体を無くす前に言っておく。
今年は皆に授ける"年賀祝い"を
そろって倍額に増やすものとする。
家族・郎党も存分に労ってやるといい!!」
……………現金なモノだが、
即物的な代物ほど人間を安易に喜ばせる物は無い。
城内に響き渡った歓喜の声は、
ひょっとしたら今までの中でも最高であった。
……………かも、知れない。
1552年、正月。
尾張と伊勢をほぼ同時に統一した弾正忠家は、
織田三郎信長にその家督を継承させた。
同時期に弾正忠家は朝廷より『尾張守』の位を
授けられた。
領有地の"守"の位を直接に与えられる。
これは当時としてはかなり特異な例であり、
周辺に大きな衝撃を与えた。
朝廷の感謝と期待の程がうかがえるものと言える。
これより、織田弾正忠家は
織田"尾張守"家と称するようになる。
斯波家の立場は、『尾張守護家』。
幕府により"保証"された国の統治者。
新生織田家の立場は、『尾張守家』。
朝廷により"任命"された国の統治者である。
武家政権が磐石であった時代ならともかく、
現行の足利政権がガタガタになっている情勢では
この二つの地位はほぼ同格。
それどころか織田の方が正当性が上となる。
マメ知識
『守』
唐名では皇家である親王が"守"となると"太守"、
それ以外の一般人では"刺史"に相当する。
コレは"正当な"県知事に相当する。
またそれぞれの"国"にはグレードがあり、
上から大国・上国・中国・下国となる。
上国である尾張の守は"従五位下"という地位。
この"従五位下"はギリギリで
『貴族』として認められるカテゴリーに入る。
それ以下は『貴族』としては認められないらしい。
自分の治める土地の"守"を与えられるというのは
戦国大名家にとってはかなり難しかったらしく、
従二位まで行った大内義隆ですらも
最終的には"介"しか許されなかったらしい。
(筑前守を持っていたが昇格を理由に没収された)
ちなみに、史実のノッブ氏の"尾張守"は自称。
『地下人』
本来の地下人とは、平安京の御所の"清涼殿"に
入る事の出来ない地位の事をさす。
逆に入れる者を"殿上人"という。
平安時代中期あたりから、厳格に制度化された。
これとは別に正式な位階や官職を持たない者を
地下人と呼ぶこともある。
どちらかというと今回の表現はこちらにあたる。
『無礼講』
無礼講、というと?
ハッチャケてもいい、上司・部下とか関係ないと
考えられがちだが?
実はそうではなかったりする。
本来の無礼講とは?
神事としての祭りにおいて、神に奉納したお神酒を
参列者が頂くという事を"礼講"という。
その祭りが終わった打ち上げの事を
昔は"無礼講"と言った。
つまりは元々は"神様が居らず堅苦しくない"
状態の事を言う表現。
当時の"無礼講"には上下関係はフツーに在った。
要は、"ガチガチに堅苦しいのはやめよう"
と言っているのであって
"上下関係ナシにバカ騒ぎをしよう"
とは言っていないのである。
その辺をご注意くださいな。




