第174話 1552年、戦略前提(総括編・前)
データ一覧は終わりましたので、
これからは情報の総括へ。
その分、更新がはかどりませんww
………………少し根を詰めすぎた様だ。
ちと、ダルい。
文書の竹束より目を上げ、肩を解す。
「―――と、まあ状況はこれまで挙げた通りです。
"伊勢国と名門たる北畠を13ヵ月にて制する"
………此は最早、偉業とすら言えるモノ。
今の尾張と三郎サマは、
伊勢において驚異的な戦果を上げたために
近隣諸国から注目の的となっています。
何とも、少しばかりやり過ぎましたかねぇ。
今後の外部の動きとしましては
畏るるべき脅威と見て酷く警戒する者と、
"良き駒"として上手く利用しようとする者との
二種類に別れます。
特に後者の連中が夏の羽虫の如くに
ワサワサと集ってきますのでそのお心算で。
主に足利・細川・畠山らに、三好や朝廷。
場合によっては浅井や六角も。
其々が己たちの利益のために、ね。
……………ふふ、大人気ですね?」
ただのんびりと、他人事の様に宣う小僧。
……ま、コヤツにとっては文字通りに他人事だ。
基本的に、コヤツは表には出ない。
表に出るのは事前折衝と下準備のみ。
交渉事の締結や戦などの本番においては、
大将格や代表に任せて裏方へ引っ込むのだ。
だが"それまで"が徹底している。
『舞台』から『台本』、『演技指導』に至るまで
事前に万全に万全を期するのだ。
自らの一座を用いて。
――――――其がこの小僧の遣り口だ。
真に手の込んだ事をする。
この座長は。
…………やれやれ。
何とも、今年は随分と資料を持ってきたコトよ。
確かに伊勢を簡単に制して見せた
ワレを含む弾正忠家という新たな勢力は
余所から見れば警戒と注目の的。
……………で、あるか。
オノレだけでは無く、他人からの視線も
また考えねば……か。
もう尾張の片隅にて争う田舎侍では居られない。
既に国の内外に高く名の知られた武門となった。
此よりは尾張も他国より耳目を集める。
畏れられ、疎まれ。
宛にされ、利用され。
策により謀により、
隙を見せれば喰い物にされ潰される。
―――――それが現世の業である。
「これより以後は、尾張と織田は
全国より注視されることとなるでしょうね。
皆様の一挙手一投足を観られます。
賢き行いを求められ、愚かな行いを詰られる。
"木曽が某"の二の舞は御免でしょう?
―――そろそろ僻地の田舎侍では居れませんよ?」
―――――フム?
これよりは下級の武家や足軽たちへの
"行儀"や"道義"にも気を遣えと言いたいのか。
……………ああ、成程な。
故にこそ、李部にて傭兵らを厚遇しておるのか。
"李部の政"は、其処へも繋がるわけか。
ひとり、得心して頷く。
熟に一手の内に複数の策を詰め込むことよ。
手の内の一枚を抜いた所で未だ底が在る。
安心なぞ出来んな。
納得したことろで、周りを見回す。
"独り善がりではなく、周りを見よ"が
この"数寄者"小僧の口癖だ。
棟梁が強権を以て自ら動く政は強い反面で脆い。
頂点が即断を行うコトは確かに行動が速い。
――――速いが、な。
その政は次第に"主君からヒトが離れる"そうだ。
万能・全能の君主は部下の意見を必要とせず、
何れ部下達の主に対する理解が薄れ始める。
"主に任せておけば大丈夫"と思考を止め、
軈は"主の考えは解らぬ"なぞと言い出す。
部下が考えナシの無能となりやすいそうだ。
更に悪い事に、この体制は次代への継承が
極端なほどに難しくなる。
次代当主への高過ぎる期待が次代を押し潰す。
『劉備の造った"蜀"を劉禅が滅ぼす』という
歴史的な典型となりやすいのだとか?
君主は部下と次代を育てねばならぬ。
政とは今が善いだけでは駄目、……だそうだ。
――――さて、肝心の理解のほどは。
(柴田)権六と(佐々)内蔵助、(塙)九郎左衛門あたりは
サッパリ掴めては居ないな。
(前田)又左は何となく理解しているか?
勘十郎と藤吉郎のヤツらは十全の理解か。
…………説明は必要か。
小僧にジロリと視線を向けて、
"解説しろ"と促す。
しばらく睨んでいると諦めたか、
面倒そうな顔をした後にタメ息をついた。
相互理解は重要であろう?
言葉足らずが説明するよりは余程に効果が有る。
―――――――それに、
部下を上手く使うのも主の器量というモノよ。
……………で、あろう?
「………………やれやれ。
確かに、相互理解は大切ですね。
世間にて牢人たちが嫌がられ、疎まれる理由は
"彼等が無法である"ためです。
確かに戦時には役に立ちますが、
牢人たちの本質は『戦を望み火種となる者』。
平穏を望む民たちとは対極の存在ですから。
定職に就かない以上、彼等は常に喰い詰め者。
常に"飢えている"彼等は何かの拍子で
即座に民を襲う凶賊と化すのです。
厄介者以外の何者でもありません。
源平から鎌倉の時代の下級武士連中は、
やっている事は傭兵足軽と変わらなかったとか。
木曽 義仲が京の民から疎まれたのは、
居座った配下の下級武士連中が京の都にて
無法と略奪の限りを行ったせいと云われています。
農民足軽・傭兵足軽を問わず足軽達も同様に
応仁の大乱の折にも京で略奪を行っております。
そうした"前科"が牢人を嫌う下地です。
弾正忠家が現世に高名を得た以上、
何時かは必ず、この"名"を狙われます。
足軽衆の無法は、名を貶める格好のネタですね。
―――今のまま足軽を運用している限りは。
弾正忠家体制下において足軽という制度は、
必ず改変をしなければなりません。
旧い時代の下級武士と足軽、
この両者に共通しているのは"貧しい"こと。
財を持ち帰らねば故郷の一族が飢え死にする。
貧しいからこそ、死と隣り合わせの戦場に
名乗り出て恩賞という一攫千金を狙います。
わざわざ文字通りに命を懸けて。
―――旧い武士や足軽が精強なのはそのためです。
しかし戦の度に略奪をされては堪りません。
その度に土地と民が傷みますので。
―――――――ですから、先ずは。
『足軽制度の大前提』から変質させます。」
交渉や準備だけを行って、本番には姿を見せない。
コレが秀貞が『歴史の表舞台に出てこない』理由。
歴史にて語られるのはあくまでも、
『戦場の情景』や『重要盟約の締結場面』。
"本番の舞台"に現れる者たちです。
これらの場面から意図的に姿を消せば、
『歴史書からの消失』が可能となります。
ただし、彼に対応した人物の心証には
"デキるヤツ"として強く残りますので?
『歴史的記述に矛盾のある』謎の人物として
後世に語られるようになります。
マメ知識
『"木曽のなにがし"の二の舞』
源平合戦時の"木曽 義仲"こと源 次郎 義仲の事。
別名としては旭(朝日)将軍。
実は歴とした源氏の一族であり、
頼朝らとは従兄弟にあたる。
源平争乱の初期において"倶利伽羅峠の戦い"にて
平家の大軍を打ち破り、京へと足を踏み入れた。
………のだが、大軍が京に居座ったために
治安が一気に悪化。
下級のモラルの低い武士どもが略奪などを
軽々しく行ったためと言われる。
(前にも言ったが、当時の武家の本質は蛮族)
同時に後白河上皇と敵対したために、
頼朝らの一派とぶつかり敗退した。
この経験から、京の町衆には
東方からの東武士=略奪上等のクソ蛮族
という図式が伝統的に頭にこびりついてしまった。
後にノッブ様が上洛した時にあたって
"略奪の禁止"を厳命したのは
織田家に対してこのイメージを持たせないため。
(たぶん、光秀あたりの入れ知恵)
『独り善がりではなく、周りを見よ』
ぶっちゃけ、コレは史実のノッブ様のありさまを
踏まえた警告。
実際にコレはノッブ様だけでなく多くの君主達が
ハマっている末路です。
作中に触れた劉備が然り。
平氏の御大将、平 清盛が然り。
源氏の御大将、源 頼朝もまた然り。
マケドニアのアレキサンダー大王が然り。
某"ブリテンの騎士王"が然りww
某"○オン公国の○レン・○ビ"が然りwww
彼らは周辺部下との相互理解に失敗した者か、
次代への継承に失敗した者たちです。




