第166話 書と国事、そして欲望
後半は、本来なら後書きにありました。
……ですが、『何か、違くね?』
と思いましたので本文へと移行。
結果として文字数が倍以上に成りましたとさ。
――仮称として現存する『図書』を用いましたが、
まあ………あくまでコレは仮称です。
名称など後から何とでも変えられるかと。
二條さまも御存知かと思いますが、
書というものは大変に貴重で且つ高価な物です。
これは書を複製するには写本しかない事と、
写本を出来るだけの智者が世に少ない事が
理由として存在しています。
その結果として、書はひどく偏在しています。
現実問題として公家衆や寺社に、
その殆どが集まっているのが現状ですね。
しかも各家や各寺社の其々の持つ
書の保有数が区々なため、
書を統一して集める事が大変に困難です。
例えば『源氏物語』。
此を全巻、揃える事がどれほど大変かは
二條さまも良く御承知かと。
書物たちは、この国の彼方へ此方へと
バラバラに散逸してしまっているのが現実です。
そしてその家が衰えたり滅んだりすると、
家に伝わる書物が消失・焼失することも。
これはとても憂慮すべきことかと。
ですから一計を案じます。
全国各地にてバラバラになった書を
再び1ヶ所に集めたいと思います。
まずは二條さまが主導されて、
朝廷内に"書物を司る機関"を立てて頂きます。
仮のモノで構いません。
"令外官"で構いませんし、
別に任官をせずとも問題ありません。
二條さまには、この組織の長になって頂きます。
発足する形式や題目としましては、
特に拘りはありません。
『尾張織田の強い要望』とでもして下されば。
より良い理由・大義が有りましたらそちらでも。
…………一連の流れはこうです。
先ず、この『図書(仮)』という機関が
書物を集める触れを出します。
最善は最高に強制力のある"勅"ですが、
そこまでする必要もないでしょう。
それは剰りにも畏れ多い話ですからね。
軽々しく用いて良いモノではありません。
集められる書物については種類を問いません。
『源氏物語』や『平家物語』のような読み物から
その家の持つ古文書、
更にはその家の家系図や領地荘園の資料など。
文化的な資料や国家情報として
重要と思える物であるならその軽重は問いません。
…………無論ですが、余りにも軽すぎる代物は
『図書(仮)』の方から返却して頂きますが。
そうしてこの『図書(仮)』に集まった書物を、
二條さまが招聘した"有識者"の方々に
写本をして頂きます。
清原家・藤原家から菅家に至るまで、
古今東西より識の有る者たちをお集めください。
彼ら、学識や見識の高い方々に、
集まった書物を写本して頂きます。
そうして写本された書物たちを、
招聘された中でも特に選りすぐった者達に
誤字・脱字が無いかを校正して頂きます。
間違いがひとつとして、断じて無いように。
原本を正確に厳密に複製させます。
そうして出来上がりましたら写本の巻末に、
写本をした者と校正をした者の名を記します。
コレが写本の正確性を保証してくれるわけです。
正確な写本を残すことができます。
ひとつの原本に対して、
五冊の写本を書き写す予定としています。
原本を提出しました者には返礼として、
一冊につき5貫を贈ります。
写本を製作しました識者には報酬として、
一冊につき1貫を与えます。
銭の出所、予算についてはご安心を。
尾張より拠出致しますので。
ただし一度に膨大な数が提出されますと
写本する識者たちも銭を出す尾張も
許容を大きく超過して大混乱となりますから
年間の提出には上限を設けますがね。
写本が終わりましたら、元の持ち主に返却。
原本と共に書き写した写本をひとつ、渡します。
歴史ある原本は貴重な存在ですから、
普段は写本の方を利用出来るようにとの
此方からのちょっとした心遣いです。
書き写された写本ですが、一冊を都へ。
帝の名の下に『図書(仮)』の監督下にて
保管・管理を行います。
帝のもとに、国家のもとに
国中の書物という書物を集めるためです。
これをわが国の財として、
『文化財』として国に蓄積させます。
書は、智は国の力の根源ですからね。
一冊は尾張に置いた『図書(仮)』の下部組織へ。
一冊を保管用として尾張にて厳重に
保存管理を行います。
これらの書は都にて保管される『文化財』たちの
予備としての立ち位置となります。
何れか一方が喪われても、もう一方が無事なら
後世に遺すことが可能となりますから。
二冊を新たな写本の為の原本として活用します。
―――――ええ、はい。
尾張でも写本を行います。
写された原本を消耗・損耗させぬために、
再びソレを写本させて使用させるのですが。
写本を行いますのは、読み書きの出来る
名も無き市井の者達です。
名も識も覚束ない者たちですから、
写本としての信用性は『図書(仮)』の写本とは
正確性・信頼性など無いに等しいモノですね。
このふたつは根本的に異なる用途に御座います。
『図書(仮)』の作成した写本は、
国家と律令が保証する信用ある資料として。
市井の者が書いた写本は、
一般に出回る書物として。
それぞれに役割を担うこととなります。
大変に大きな事業となりますが、
二條さまにこの組織をお任せしたいのです。
関白まで勤めた二條さまなら、
この大任を預けるに値するというもの。
――――――承けて、頂けますか?
………………さて。
長々と"お題目"や"綺麗事"ばかり並べたが。
――――気付いているかな、この御仁?
…………まあ、気付いているよな?
公家という政の泥沼の中に生きてきた者なら。
この提案は表向きにおいては国内の書物の保護
という大義名分で動いているが。
当 然 、違 う 。
ややドブ臭い話ではあるがね、コイツは。
" 利 権 " の プ ロ デ ュ ー ス だ 。
それも一時的で限定的でしかない"遷宮の監督"
という利権など比較にならないほどの、
政治的な巨大利権である。
二條家に渡される利権、とは。
大きく三つ有る。
①、"書物の写本"を取り仕切る権益。
一年間に写本出来る数にはどうしても限界がある。
だから写本する書の数を定数制限するしかない。
ここで"どれを写本するか"を決めるのが
組織の長たる二條さまの一派。
その胸三寸により選定される。
つまり書物の提出により
(一冊につき)5貫の利益を得ようとする者は、
二條さまの派閥に頭を下げ配慮せねばならない。
どうしても二條家の派閥に対して
頭も腰も低くなってしまう。
公家社会において無条件にマウントが取れるのだ。
何気にコレは大きい。
②、写本・校正を担当する"有識者"を選定する権益
写本や校正は目に見えてわかる現金収入。
当然、希望者は殺到する。
しかし先程と同様に、選ぶのは二條家の派閥。
また『図書(仮)』にて写本や校正を行うことは、
自動的にこの派閥に所属することとなる。
二條家は銭を求めて集まる公家たちを
選別する権益と、彼等を従える権益を得る。
"人事権"という、結構な利権だな。
コレは二條家の派閥形成となる。
学識や有識、そして家柄を持つ一大派閥の誕生だ。
③、『図書(仮)』を運用する権益
そもそもこの組織の運営は、
織田からの給与としての報酬と
提出者からのバックマージン。
利益の二重取りが発生することが予想される。
織田勢力・商圏から見れば大した額では無いが
万年金欠の公家社会から見ると話は別。
かれらの中に大きな予算を持った、
新規の政治派閥が形成させることとなる。
こちらは"財務権益"だ。
銭をもつ派閥が新しく生まれれば、
ソレにすり寄る者もまた生まれる。
派閥は有象無象を取り込み更に大きくなる。
思うよりも大きな利権なのである。
コレに『承けて頂けますか?』と言われて、
拒絶されるワケが無いのだ。
そしてソレにより、
朝廷内に特大の"親織田"の派閥が出来上がる。
こちらとしても益のある話だ。
また説明した通り、尾張商圏でも写本を行う。
"李部"にて写本を行い、
書き写された書物を求める者に売る。
まあ当然ではあるが、
同時進行で木版印刷・活版印刷も進める予定。
これらは大量の複製による大量販売だ。
つまり村田屋による新しい事業、
『書店』産業の誕生である。
現代のように安価で山積みの販売は不可能だが。
…………さて、どうであろうな?
およそ100文前後の、約一万円ほどの値段かな。
ちょっと書籍としては高いが、構わない。
これは今まで拓かれてなかった書物の自由化。
これは庶民層にとっては、完全新規の娯楽だ。
今まで市井には祭などしかロクな娯楽が無い。
だからこそ洋の東西を問わず、
処刑が娯楽ショーとして成立したりする。
"李部"の誕生により銭の回った民たちは、
この新しい娯楽に飛び付くであろう。
…………正しくは飛び付かせるのだが?
そのための手段など幾らでもある。
二條派閥や公家たちへの報酬としての銭は、
ここから取り戻すことは充分に可能だ。
出資をするならば、元手を取ることを。
其処からの儲けを新たに導くことも考えないとな。
然もなくば、銭の拠出を嫌がられる。
商いの常識かつ、鉄則だぞ?
――――――そして。
利権というのは往々にして後から問題となる。
問題は、いつかは解消されねばならない。
その辺りも抜かりは無い。
いくら年間の写本の数を制限したところで、
世に存在する書籍の数は無限ではない。
いつかは写本すべき原本は失くなる。
"書の老朽化"を名目として再度の写本もあり得るが
それにも限度や限界というものがある。
この利権は少しずつ消耗してゆき、
やがては尽きて失くなるモノ。
時限式で消失する利権である。
―――――とはいっても消えるのは約100年前後。
当事者は全滅して、もう後の祭りだ。
私には関係は無い。
およそ1552年あたりから提唱され始め
再構築されるに至った『図書寮』は、
京都と那古野の二ヶ所にその拠点が置かれました。
位置付けは京の都が主、那古野が副とされます。
再誕した図書寮は本来の目的通り、
国家が重要な書物を集積・管理するという目的を
主としています。
この組織が巧妙であったのは、
当時の本の複製手段である写本を成すための
現本の提出者に少なくない謝礼金を出した事。
一冊につき、銭5貫を支払いました。
当時の書物の所有者の殆どを占めていた
公家や武家、貧しい寺社などは、
己の持つ蔵書を先を争うように提出します。
あまりにも希望者が多すぎたために、
年間の写本複製の数を
制限しなければならぬ程であったといわれます。
京と那古野の図書の内には、
忽ちの内に大量の蔵書が積み上がりました。
同時に図書寮の功績は、書物を大量に複製して
其を市井・大衆の内にまで広めたことです。
これ以後、民衆文化の内に
書物が一気に浸透してゆきます。
これにより識字率もまた向上。
読書という新しい文化・娯楽は、
国内の大衆層を激しく熱中させました。
後にこの二つの図書寮は、
『京都国立図書館』そして『名古屋国立図書館』
と名を変えます。
この今も現存する二つの国立図書館には、
やがて国内のみでなく世界諸外国の書物も
また大量に集まり始めます。
世界的に見てもトップレベルの蔵書量を持つ
この二大図書館には、破格とも言えるほどの
国宝と重要文化財が林立しているのです。
余りにも全世界的に文化資料・歴史資料としての
価値が高すぎるために、
両図書館は今日に至るまで
あらゆる戦禍を免れ続けたとも云われています。
先に言っておきますと、作者も秀貞も別に
派閥主義者でも利権主義者でも覇権主義者でも
帝国主義者でもありません。
民衆の民意と見識が極度に低い戦国時代の現状で
『民主主義』などを掲げると、結果として
古代ギリシア末期のような"衆愚政治"になるか
革命前後のフランスやソヴィエトのような
"恐怖政治"の状況になってしまい
『状況がより悪化する』事が歴史から明確なため。
今はその段階に達してはいないだけです。
だからこそ、今は大衆の民意と見識の向上を
最優先で行っています。
何でこの二つの国立図書館が海外からもその存在を
憂慮・忖度されたか?
『ココにウイリアム・シェイクスピアの演劇台本の
"原本"の一つが現存する』
そう言われると、歴史的・文化的価値を
考慮せずにはいられないでしょう?
(途中から事業として原本の収集も始まっている)
他にもそういうレベルの書籍がゴロゴロしてます。
話は戻って今回の話。
銭の獲得と人事権益に派閥形成まで。
かなり大きな利権です。
しばらく権勢から離れた公家たちなら、
ほぼ無条件で飛び付くような話。
まあ、ここで条件を付ける事が出来るのが、
ホンモノの一流ですが。
二條さまが、ソレをしたかどうかは秘密。
この試みは単なる多額の銭の出資だけでなく、
新規事業にも連携する提案です。
織田・村田にとっても有益な事となります。
そして新たに開拓される『書籍事業』。
娯楽が極度に無いこの時代には、
書物というモノは劇薬指定されかねないほどに
『こうかは、ばつぐんだ!』となります。
………良くわからない?
例えば、インターネットの使用禁止をされる事を
想像してみて下さい。
一年くらい。
『こうかは、ばつぐんだ!』でしょ?
文明の中期から後期(前半)にかけて、
書物という娯楽は世界を席巻しうるほどの
桁違いなポテンシャルがありますので。
また、これは同時に。
書籍事業は小説や台本などの発展を。
後の『那古野三大新芸能』へとつながってゆく
大切なフラグです。
マメ知識
『源氏物語を全巻、揃えるのは超大変』
当時は本の複製は写本のみ。
そのため本の複製や流通をさせるには、
まず写すための"原本"の存在が必要となる。
しかし"原本"はそれぞれの家が過去に欲した本を
バラバラに持っている状態。
その為、源氏物語などの"続き物"を集めるためには
①まず原本を持つ家を探し出す。
②その家と交渉して貸してもらう。
③写本した後に原本を返却する。
という過程を必要とする。
だが、まず①が猛烈に難しい。
そのためには自分の人脈を最大限に利用して、
日本中をくまなく尋ね歩かなければならない。
したとしても見つかるかどうかは運次第。
運良く見つかっても、それが敵対派閥なら
②へ移行するのは不可能となる。
しかも①・②の両方の過程においてかなり高い
"謝礼金"が発生するために経費は莫大なモノに。
結局のところ、源氏物語を全て集めるには
凄まじい時間と費用がかかることとなる。
平安時代末期には、源氏物語を全部そろえるのは
ほとんど奇跡に近かったとか。
なお、無事に③に移行できても
誤字脱字によって写本が失敗することもある。
こうなると、全部が台無しに。
『散逸』
バラバラに散って、失われてしまうこと。
"逸する"には、
"逃して見失う"というニュアンスがある。
また"離れる・それる"という意味もアリ。
『令外官』
法令たる"律令"制度に本来は存在しない
役職のことを指す。
役職としては実際に存在するが、
法制度内としては存在しない根拠のない立場。
マイナーなところでは"参議"や"中納言"がある。
実は『征夷大将軍』もいわば臨時の令外官であり、
実際には正式な役職ではない。
そのため『征夷大将軍』単体では
"無位無官"となってしまう。
(慣例上、無位無官では征夷大将軍にはなれない)
※実は作者は"令外官"という単語は知っていたが
正しい読み方を把握していなかった。
今回、調べて初めて正しい読み方を知りました。
コレだからマメ知識を作るのは侮れない。
結構な雑知識の獲得になっています。
『清原家・藤原家・菅家』
清原家とは、いわゆる"清少納言"さんの家。
学者系の名門としてこの時代でも有名です。
藤原家は云わずもがな。
ここに"紫式部"の家が含まれます。
菅家とは、"菅原家"のこと。
学者公家の家系である菅原家は、
かの"菅原道真"を輩出した学問の大家です。
三つの家を挙げましたが、まだまだ一握り。
当たり前ですが、他にも多くの学者系公家が
数多く存在しています。
『校正』
現代における校正とは、印刷物における
誤字や体裁、色彩などの不具合を予め修正する事。
もともとの意味は原本と写本とを比べて、
誤字脱字が無いかを確認する行為を指す。
つまり本作での"校正"が本来のやり方。
なお、似たような表現に"校閲"が有るが
"校閲"とはひとつの文章の中から
誤字や文脈的なミスを探して訂正する事。
作家の書いた"原稿"から誤りを探す行為
などがメインとなる。
対する"校正"は"前"と"後"の二つの文章の見比べ。
意味は似ているが、用法が全く違うのでご注意。




