第157話 事前の擦り合わせ、もしくは談合
戦が終わると論功行賞。
………の前のはなし。
擦り合わせはともかく、談合?
少しずつ肌寒くなってきた今日この頃。
夜も更けると寒さがやや辛くなってくる。
待ち合わせということで部屋に入ると、
囲炉裏にぶら下げられた薬缶が
わずかな音を立てながら湯気を上げている。
ふわりと暖かい空気が迎えてくれた。
少しばかり冷えた体にはありがたい。
……………………で?
大河内戦の論功行賞が、
もうすぐ始まる前に呼び出した理由は何だ?
何の用だ?
火のそばにドカリと腰を落として尋ねる。
「――――――そうですね。
今回の戦にて第一功となった又左どのに、
来る論功行賞についてお話とお願いについて
予めしておこうかと。」
薬缶から急須に湯が注がれる。
コイツご自慢の"柿の葉茶"のような、
"蒸らす"ことを行う茶であるならば、
急須の方が利用しやすいのだろう。
普通の茶や抹茶の様に高価でないから、
世間でも柿の葉茶の流行と共に
じんわりと急須も使われているようだな。
渡された柿の葉茶をひとくち啜る。
湯の熱さが身体を温めると同時に、
かすかな味と香りが口に残る。
ほどよい味のあるコレもなかなか乙なモノ。
今までの白湯よりははるかにマシだ。
少しばかり飲んで、気を落ち着かせる事にする。
…………………第一功、ねぇ?
どうもこうも、ソレは八百長だろうが。
――――お前の手で行われた、な。
事前にオレに北畠の御大将を捕まえるよう、
陣の配置に細工をしただろう。
将兵の意図的な配置で、聡い者は判るぞ?
少なくとも、
殿と柴田のオヤジ殿は気が付いているだろう。
その辺りはどうなんだ?
ちょっと固いところのあるオヤジ殿なんかは、
特にそういう小細工を嫌うぞ?
「柴田さまには最初から説明済みですよ?
――――説得及び納得済みですからご心配なく。
三郎さまについては、まあ途中で気付くでしょ?
なら問題はありませんよ。」
オヤジ殿への対応は別としても。
……相変わらずだが殿の扱いが、えらく雑だな。
手で勧められたので囲炉裏のスミで焼かれていた
串の焼き物をかじってみる。
―――――何かと思えば、コイツは餅か。
竹串の先に餅を固めて焼いているのか。
見た目では一体何なのかが判らなかったが、
薄く焦げ目のつく程度に焼かれたコイツは旨いな。
軽く塗られた味噌がまたいい味をだしている。
焼かねばならないのが少し難ではあるが、
乾飯よりも余程に良いな。
長い戦の最中に、兵たちに対する
軽い労いに丁度よいかもな。
乾飯に飽きた兵たちは喜ぶだろうよ。
まあ兎も角として。
――――――で?
何が言いたい。
「ではまずはこの先の論功行賞の予定から。
それぞれ霧山と田丸を落とした伊賀と九鬼には
こちらからの依頼とはいえ其に報います。
伊賀衆には霧山の周辺を、九鬼には大湊の権限を
それぞれ礼として与えます。」
……………ふうん?
霧山周辺は交易の要所、大湊は大きな湊町。
それぞれ少なくない利益が出る場所だろう?
圧倒的な速度でで北畠を打倒するためとはいえ、
ちと大盤振る舞いが過ぎるのではないか?
銭の担当としては、
お前は反対する立場ではないのか?
「なんせ、霧山周辺は山岳地ばかりですからね。
長年に平地を治めてきた尾張の弾正忠家は、
山岳地の統治というものがとても苦手でして。
下手にココを弾正忠家の配下の武家に与えても、
正直なところ負担にしかなりません。
余計な労力を使う羽目にしかね。
いっそのこと、長年に山岳地の統治をしてきた
伊賀衆に持たせた方がいいのですよ。
そちらの方が双方にとって楽ですので。」
…………………ああ。
まあ確かに平地暮らしの尾張の武家たちは、
山岳地の統治が苦手そうだ。
実際に慣れてなさそうだからなあ。
領内の見回りだけでも一苦労しそうだ。
迂闊に武家に任せて失敗するよりも、
慣れている伊賀衆に任せた方が楽ではある。
…………それに山岳地は、米の収穫効率が低い。
その広さに対して、ちょっと割が合わない。
―――渡された武家も正直、困るし大変だろうよ。
「大きな利権である湊町である"大湊"を
九鬼に預ける理由、ですが。
そもそも九鬼の勢力が弱小すぎるためです。
最近では南方貿易により大量の銭を得ていますが、
元々の九鬼家は少ない平地を治める一族であり、
海運の仲介という海賊業で食い繋いでいました。
そのために用兵規模が貧弱なのですよ。
簡単に他の勢力に潰されても困りますから、
大湊を預けてもう少し力をつけてもらいます。
これからは佐治と九鬼に対して、
造船を大規模に頼むようになりますからね。
―――――もっと頑張ってもらわないと。」
海賊衆の扱いも理にかなって頷ける。
確かに九鬼の治める志摩は、
お世辞にも恵まれた土地とは言いづらい。
しかもつい最近までは、
その志摩のいち領主でしかなかったのだから。
今の彼らのその勢力は、あまりに頼りない。
知多半島の佐治と共に、
水軍衆としてもう少し力を与えるべきだろうな。
――――――それにコイツにしてみれば、
矢銭よりも尾張商圏に巻き込むことによる
経済的な利益のほうが余程に稼ぎとなる。
コイツの稼ぎは織田への間接的な益となるから、
別に誰が大湊を持っていても関係はないわけだ。
……自身で持っていた方が得になるのは確かだが。
―――――――ん?
三本目は醤油味か。
香りと風味がいいな。
畿内の方から仕入れて来たのか?
…………はあ?
造った!?
そんなに簡単に出来上がるモノでも無いだろう?
職人をこちらに取り込んだのか?
――――――ほお。
それもしたか。
味噌屋に銭を出して依頼して、
それぞれ内容の違う数樽で醤油造りをさせたと。
複数の業者に頼み込んで。
その全ての樽が違う中身にて。
なるほどなぁ。
そのうちのいくつかは成功するかもしれないし、
成功した樽ごとに違う味の醤油が出来る。
勝っても負けても得るモノの有る賭けということか。
それはまた楽しみなことだ。
…………………けぷ。
まあ、伊賀たちと九鬼については理解した。
オマエの云うところの"投資"というモノか?
必要だからするのだろう?
別に善かろう。
―――――――で、本題だ。
オレに何を頼むつもりだ。
オレに何をさせたい?
わざわざ手の込んだ仕込みをしたのだから、
何か目的やら目論見やら有るのだろう?
「――――――又左どのには第一功として、
田丸の周辺を授ける予定なのですが。
…………この褒美を断って頂きたい。」
………………… あ゛?
何を言ってる?
事と次第では許さんぞ?
論功行賞、の前段階。
事前の擦り合わせです。
何故か"飯テロ"っぽい内容に。
伊賀と九鬼への、そして又左の坊への対応の話。
内容はなんか又左の坊へのムチャ振り。
『褒美を辞退』って、どういうこと?
マメ知識
『薬缶と急須』
双方共に、存在そのものはこの以前より存在する。
薬缶の原型は漢方薬を煎じるために用いた
薬鑵がそのルーツ。
つまり本来は製薬関係のツールであった。
しかしこの時代の以後の1603年の時点では既に
湯を沸かす道具としての用途として用いられていた。
急須は日本では古くは
"きびしょ"(急焼・急尾焼)といわれていた。
"急焼"は中国の福建省の辺りの方言で、
一方の"急須"は呉(蘇州)の辺りの方言といわれる。
この当時では急須は湯沸かしか、
酒の燗をつける(酒を温める)ことに使われていた。
いまだ茶器としては使われてはいない。
当然、柿の葉茶にも使われない。
※当時は茶碗にて抹茶を点てるのが主流のため、
急須を用いる必要性がない。
これらは秀貞が個人的に利用している状態で、
柿の葉茶の流通と共に地味に市場に流通し始めている。
『お茶』
当時のお茶は、猛烈な高級品。
主に上流階級の連中が飲むものであり、
高すぎて一般市民にまで手は届かなかった。
あくまでもお茶は嗜好品であり、その生産より
戦略物資たる米の生産が優先されたためである。
現在でも高い店だと一杯が2000円なんていう
クソ高いコーヒーが有るが、
当時のお茶はそんなモノだと思えばいい。
ホイホイと軽々しく飲めるモノではなかった。
『乾飯』
もしくは"かれいい"とも読む。
文字通り、一回炊いた米を干して乾かしたモノ。
(放置してカサカサになったご飯を更に干したモノ)
原始的なフリーズドライに近い乾燥させた保存食。
もっともフリーズ(凍結)はさせてはいないが。
水や湯で戻すか、そのままガリガリと齧る。
結構な長期保存ができるため、
大昔から保存食として利用されていた。
今でもフツーにお菓子の材料として用いられる。
『九鬼は弱小』
実際に九鬼家は弱小勢力であった。
史実において、北畠の後押しを受けた敵対勢力により
1560年つまり9年後に九鬼家は志摩を失っている。
これよりまともに九鬼が史実に出て来るのは、
"桶狭間の戦い"以降の話である。
ただし、"あちらの世界線"での九鬼は
桁違いな経済力を武器として周辺勢力を圧倒。
既に志摩を完全制圧している。
今回は水軍(海軍)能力の強化のために
大湊を預けられた。
なお、霧山・大湊の授与は尾張には伝達済みである。
『醤油』
一応、室町時代の中頃には醤油の製法は
現在のモノに近い代物が出来ていたようである。
ただし製造は畿内こと関西の寺院がメイン。
室町後半から畿内にて大規模な生産が始まったとか。
それ以外ではまだまだマイナーな存在です。




