第155話 戦場にて画かれる、眼
何となく、
話の展開的にはココにあってはおかしい話。
ひょっとしたら、この話は大河内の戦いの直後に
移動させるかも知れません。
「―――――かっかっか。
もう至れり尽くせりであるな。
ここまで丁寧に策を練っているのであれば、
別に我等が居なくても戦は廻るのではないか?
先陣に案山子を立てていても良いのではないか?」
今回の大河内攻略戦における、
その一連の策の動きを説明した後にひとこと。
三郎さまの皮肉げともいえる科白だ。
そう言いたくなるのもわからなくもないがな。
一から十まで勝つための手順のある戦。
立っているだけで勝てる戦だと言うなら、
別に居なくても良いだろう。
…………と思わなくもない。
――――――ま、それもそうか。
今は武家を中心とする世である。
…………正しくないな。
今は中心に武家しか存在しない世である。
ここまでの"徹底した戦のお膳立て"など、
国中のどこを見回しても存在しないからな。
肝心の膳立てをする者が居ないせいで。
―――――その言は貴方の考え違いですよ。
三郎さま。
根本的に思い違いをしてますね。
「――――――思い違い、ね。
……………何をだ?」
三郎さまも最近は語彙力が多めになってきたが、
こういう時はやはり言葉が減ってくる。
そういう気分屋な所も直して行くべきだがな。
近々にはあなたも統治者なんだから、
気紛れでは済まされませんよ?
――――――そもそも世に有る万事というモノは。
どれほどに人事を尽くしても完全は有りません。
百にひとつ、千にひとつそして万にひとつ。
それらの割合にて必ず予期せぬ逆転が発生します。
特に戦なんてその最たるモノ。
旧くは楚漢戦争の"項羽"や三国時代の"呂布"。
新しくは近しきには柴田さまですかね?
こういう統率や武が極端に突出した個人により、
戦はいとも簡単にひっくりかえります。
ましてや将が案山子であるなら、ね。
その辺りは、
むしろ皆の方が骨身に染みてご存知でしょう?
ヒトの世が続く限りは残念ながら、
武家が喰いっぱぐれることはありませんよ。
―――――――絶対に。
ヒトの欲は無限ですからね。
いつの世もぶつかり合う運命です。
根本的な問題として、
政体に武家しか居ない今の世が異常なのです。
本来の行政とは、内務を行う者に外務を行う者。
内外に謀理をふるう者に軍を率いる者。
それぞれの分野に特化し道を極めた者が
各個に担当するものです。
武門に特化している武家が全てを担当する、
そんな今の在り方は本来なら有り得ないのですよ。
350年以上もその異常に慣れ親しんだために、
誰もその異様に疑問すら覚えませんがね?
―――――――要はですね?
基礎たる政から応用たる外交へ、
そしてソレらを用いて千変の謀を編む。
武官は万全の策をもって、勝つべき戦に勝つ。
其こそが、全うに行われるの政なのです。
武家が現地の戦場まで赴いて、
その地で初めて軍議を開く。
そんな戯言なんぞされては困るのですよ。
勝つも八卦、負けるも八卦では困ります。
兵を軍を起こすなら、必勝でなくてはね。
―――それこそ最低でも、十の内の八でなければ。
素養が無いが故に武を振るう事が出来ず、
ただ待つ事しか出来ぬ者の身にもなって貰いたい。
事前に政略・外交・謀略もて下支えしか出来ぬ者。
後方でただ待つことしか出来ぬ、
不甲斐なさを噛み締めることしか出来ぬ者達の。
そういう意味では
自身の手で決着を着けることの出来る皆の方が、
ずっとずっと恵まれて居るのですよ。
……………その分の其までの積み重ねの総決算を、
全ての決着の成否という圧倒的に重大すぎる責任を
背負うこととなるのですがね?
ソレは世の表舞台に立つ者の相応の責務です。
当然でしょう?
世の全ての"権"というモノには、
もれなく"責"が着いてくるのですから。
勝てない戦など端からすべきでは無く。
勝てない将など戦に出る資格も無し。
……………と、いうものですな。
「――――――――ふむ。
元来、『戦』と『戦の前』とは
分担されるのが当然である…………か。
そういえば古来より、
『史記』の以前より"文武百官"と言う。
文官がまともに居ない今の世こそが、
異常であるということか。」
――――まあそうですね、前田どの。
私からしてみれば、
"そもそも何で武門の者が内務をしているのか?"
という話です。
内務をして外交を行い、策を練った上で戦に出る。
なぜ本来なら武家には適性の無い、
内務の仕事までやっているのですか?
その全てを自分達でやっていては、
身体がいくつ有っても足らないでしょうが?
ソレが武家衆たちの早死にの原因なのでは?
……………と、思うわけですよ?
ひとまずは話を戻しましょう。
―――――――そうですね、例えば。
戦というモノを"画を描く"とするならば。
内務は紙や墨と硯そして筆を確保することです。
質の悪い紙でまともに描けません。
凸凹の紙ではガタガタの画となりますからね。
同様に墨や筆も。
これらが無ければ、字すらも書けないでしょう?
内務とは、全うな画を描くための下準備です。
描くための道具を集める過程ですかね。
続いては外交。
これは画の題材となる資料ですね。
いくら良い絵師であろうと、
題材を知らない絵師にその画は描けません。
富士の山を知らぬ者には、
どうやっても富士の山は描けないのですよ。
たとえ描いても、失笑・嘲笑されるだけですな。
外交とは、思うよりも重要なのですよ。
次いでは謀略や策略。
これは戦場という紙の上に実際に画を描く事です。
如何に敵を操り、如何に自軍を有利にするか。
如何に戦場を操り、如何に勝ちを手に収めるか。
其はまさに紙の上に龍の姿を描くが如く。
策を謀を振るう者の腕の見せ所ですね。
戦場に龍を顕すことこそ、謀というモノです。
そして、用兵とは。
勝つべき戦に十全に勝つこと。
暴れ動く戦場という"紙"を押さえ込み、
『予定付けられた勝利』を確定させること。
まさしくソレは、『画竜点睛』。
戦場に描かれた龍に眼を描く役割です。
これは戦場に出た者にしか出来ません。
戦場に出る武家にしか。
―――しかしながら。
どんな優れた紙の上に、
どんな雄壮な龍の姿を描いても。
その眼が凡庸であれば。
その眼を描き損じれば。
その龍の画は単なる駄作に成り下がります。
歴々に語られるお笑い種に成り果てます。
しかし反対に。
内務により、万全な国力と戦力を得て。
外交により、周囲の全てを味方に付け。
策謀により、華麗なまでの絵図を描き。
武門により、完膚なきまでの勝利を得る。
そうなればその戦は、
末代まで語られる名決戦ともなりましょうな。
――――――しかしながら。
最終的にその戦が高名なる傑作となるか、
あるいは世の笑い物となる駄作となるかは。
その全てが率いる武家の力量にかかっています。
そう、全てがです。
これは本当に戦場に立つ武家にしか出来ぬこと。
武家にしか無し得ぬことですよ。
案山子には出来ません。
今回の大河内攻略が傑作となるか駄作となるかは、
単に皆の腕にかかっております。
――――――奮戦を期待しておりますよ?
実のところ、戦国時代とはひどく歪な時代です。
ほとんどの武家では文官が0%に、
武官が100%という有り様。
内政までも武官がしている状態です。
そりゃ、うまくいくはずは無い。
約1700年以上前の『キング○ム』の時代ですら
出来ていたことを出来ていないのが戦国時代です。
何もかもを武官のみで運用。
戦国武将が早死にするのは、過労死もあるのでは?
『画を描く』という例えなら国人連中の戦は、
"紙も墨も筆も無い状態"で
"題材となる龍の資料が全然ない"状態のまま、
"絵心がないいわゆる『画伯』な素人"が
"現地でドロや炭を使って板や岩に書き殴る"有り様。
まともな画になるわけがない。
『現地に着いてから初めて勝つための軍議』とか、
秀貞にしてみたら"バカなの?"としか思えません。
当時の戦は竜眼をうまく描けるモノのみが生き残る、
そんな超リスキーな業界です。
この竜眼を描くのが極端に上手いのが上杉謙信。
どんな駄作でも竜眼のみで龍に化けます。
逆に全員が武官とはいえ適所適材で仕事を割り振り、
戦を徹底的にシステムとして運用したのが秀吉。
その究極がいわゆる"中国大返し"です。
ただし、武官をムリヤリに文官に割り当てたために
後方で"戦をしない武家"が発生。
このことが家中で歪みを生みます。
コレが解消出来なかったために起こったのが、
"大内"や"豊臣"での内紛の果ての崩壊。
秀貞くんは、コレを最初から文官を割り当てる事で
問題解決をはかっています。
また、今回の話は。
次代の織田家中枢に『武官だけでなく文官も必要』
でありその協力と協調が大切であると
"刷り込み"をしてます。
尾張に戻った後にも現首脳部に似たような話を
するとは思います。
多分、書きませんが。
マメ知識
『項羽』
楚漢戦争時代における、武力のスーパーチート。
コイツの戦績は異常のひとこと。
勝つ可能性が1%でも有りそうなら勝てるという、
ちょっと頭がおかしいヒト。
………数の少ない反乱軍が数の多い正規軍と
正面から衝突して何で勝てるの?
………敵50万対味方3万で、何で完勝ができるの?
とか、色々な疑問がわきます。
最後の垓下の戦いでは、
劉邦側が戦略的に勝率を0%に操作したからこそ
項羽は勝てませんでした。
逆にここまでしないと勝てない相手。
それ以外の戦いでは全戦全勝しています。
何だコレ、メチャクチャすぎる。




