第15話 熱田、『村田屋』
結構、長くなってしまった…
さて、ある意味大きなプロローグとも言える
第1章を過ぎ、ゆるやかに話は動きます。
熱田の湊
津島とともに有名な尾張の2つの湊のひとつ。
かの有名な『草薙の剣』が奉納された、
由緒ある『熱田神宮』の門前町として誕生する。
同時に、『桑名』へ船で渡る『七里の渡し』の湊町
として大きな発展を遂げた。
屋敷から出て、熱田へ向かう。
津島よりは近いとはいえ……それでもなかなかの
距離があるので、共の者に背負ってもらう。
不格好とかいうな、自覚している。
ホント、何とかしないとな………………
もっとサスペンション馬車の研究に
資金を叩き込んでおくか。
要は懸架式の板バネ型だ。
原理そのものは教え込んである。
研究が成れば、移動にも輸送にも革命がおきよう。
…………あくまで平地限定ではあるのだがな。
しばらくすると、あちこちに雁皮の木が
見え始める。
最近になって口出し出来るようになってから、
真っ先に領内にこれの植樹を強く勧めた。
田畑に出来ぬ所には徹底的に植えろ!!
と命じている。
知ってる人は居るかもしれない。
こいつは『高級紙』の原料だ。
村井で高く買い取る、と言っておいたので村衆も
進んで頑張って植えているようだ。
もっとも、収穫は植えて4年後……
まだ先は長い。
生育が安定すれば超大型プランテーション化して
大量生産する予定だ。
高級紙といえども需要なぞ腐るほどある。
しばし時間がかかったが、熱田の湊町に入る。
熱田は高名な神宮の門前町として、
尾張の消費を津島と共に担う商業地として、
更に陸上交通と海上交通のハブ港として、
それらの機能を集積させた尾張の最重要拠点の一つ。
ここを取られることは城を複数奪われるよりも
織田弾正忠家に深刻なダメージを与える。
今日も熱田は賑やかだ。
結構、結構。
やや古いが手入れのしっかりした商家の家屋。
大きな商いをする商家から立地条件が悪くなった…
との相談があったため、新しい場所の紹介の
手間賃分を割引いてもらう形で買い取った。
立地が悪いだけで建物の機能は万全。
むしろ敷地や倉の規模は熱田の中でも上位に入る。
なかなかの良い買物であったな。
「おお、若! ようこそいらっしゃいました。」
店の者がこちらに気付き、そろって頭を
下げようとするのを手で制す。
「私よりもまずはお客さんが大事。構うな。」
手を振って仕事に戻るよう促す。
慌てて接客を続ける皆を見ながら奥へ。
途中で、
「仕事がひととおり終わり次第皆を集めよ。」
と、伝言しておく。
奥の間で書簡を眺める。
店の者に仕事とは別に店の売上と売れ筋、
そして町の品物のそれぞれの相場を日々記録を
取るように…………と指示している
店を開いてから1年弱、1日も欠かさずに。
いずれは津島も含め尾張近隣の全てに広げて
ゆきたいものだ。
ここは熱田にある私個人の砦、
名 を 『 村 田 屋 』 と い う 。
気が付けば夕方、木戸が叩かれるのに気付く。
「若、よろしいでしょうか?」
呼ばれる声に答え、広間へと移動する。
ぽてぽてと軽い音を立てる自身の足音を聴きながら
裏庭に目を向ける。
…………………試しに庭園を作らせて見たが、
どこがとは言えんが………ちと甘いな。
一度………京の名のある寺の庭園を
見せておくか。畿内への商いの序でにな。
――――――ふむ、
そういえば今は"天龍寺"が燃えているのだったな…
沢彦和尚が臨済宗であるし、
同じ栄西大師の教えを
信ずる縁………としてかの御仁を通じて微力ながら
援助を申し出てみるか。
京に伝手を幾つか付けておくのも良かろう。
広間へ足を踏み入れると、村田屋にいる者達が
揃っているようだ。
一様に顔を向けられる。
構わず奥へ。
招かれるままに上座へぽてぽて歩き、ドカリと座る。
すると場にいた一同、そろって頭を垂れて
私に伏して見せた。
「…………………………………」
胡座をかいた姿のまま、左足を振り上げ
叩き落とす。
すると、伏せたままの皆の肩が大きく跳ねた。
「だれが考えたのやら知らんが、」
じろりと伏したままの皆を見回す。
とはいえ、別に犯人捜しなどはする気はない。
ただの戒めだ。
「要らんことはせんでいいよ。
どこに目が、どこに耳があるやも知れぬ。
用もない誤解や諍いを招く。
以後はせぬ様に。」
「はっ!!」
「はい!!」
それぞれの声で返事を返してくる。
ま、軽いがこれだけ釘を刺しておけば良かろう。
「もういいぞ。頭をあげても。」
ゆるゆると、恐る恐る顔が上げられる。
上がりきったところで、
「私は『殿様ごっこ』は性に合わん。
やるならもっと面白げなことを考えよ。」
一堂にしばらくポカン―――――――とした後、
誰からともなく深々と頭が下げられる。
仰々しくもなく、芝居じみてもなく。
「それでいい。」
ただ一言、そう伝えた。
「さて、と
知っている者もいようが殿との話により、
これより三河へひとつ……策を打つ。
追って知らせるが
それぞれに留め置くように。」
まずは通達。
彼らが三河へ出向くことはないが細々とした動きが
必要になる。故に先に知らせておく。
それから、
「殿から許しが出た。
これよりお前達は、村井の分家………
『 村 田 』だ。」
ぼんやりと待つ。
暫く呆然としたのち、顔を互いに
見合せ………やがて騒騒と話し始める。
とりあえず放置。
『意味が分からない』のなら、相談しても一緒。
どうせ黙っていても、彼らはこちらに話を
促す様に…………静まるのだから。
「ま、聞いての通りだ。
これより皆は、『村田』の苗字を名乗れ。
ここにおるものだけでなく、『村田屋』に関わる
者はそろって村田家の一族だ。」
――――――――――本当に馬鹿馬鹿しい話だ。
公家・武家らの下にいる彼等は、許しがなければ
苗字を名乗ることも出来ん。アホ臭い限りだ。
庶民――――世にあまねく生きる彼らに
人権は無いとでも?
「何やら武家という者のが商いをするのは見苦しい
………………なんぞとほざく連中がいてな………
ならば商いは分家の皆に………という"建前"で、
お前達を隠れ蓑にして『村田屋』を続ける。」
実質は変わらん。
変わるのは、『看板』に『肩書』が追加される
………だけ。たったそれだけ。
ちっぽけな事だがな……………
しかし――――――
「村田の家は、
村井に出来ぬ"不可"なことを頼む。
村田の家は、
村井にとって切り離せぬ"不可分"な家となる。
これから、そなたらは村井の…………
私の―――――『不可分家』だ。」
ひとり、またひとり
男も女も、老いも若きも問わず
はらはらと涙を流した。
これより幾年、幾星霜
どれだけ時が流れようとも村田家は村井の家に
変わらぬ忠誠を誓うこととなり、
後に『村田の名付』と呼ばれるようになる。
フツーに技術開発や産業奨励・市場調査まで
やってたりする主人公。
ただしまだ7歳のため、動き出してから日が浅い。
マメ知識
『馬車が日本で見かけない理由』
日本は山岳国家のため、馬車の経路がたびたび山で
断絶する。そのために『馬車の個人運用』がほぼ
不可能に近いため。(短距離運用なら可能)
結果として公共交通として以外で利用が難しくなる。
『熱田』
現在は近隣が埋め立てられたため内陸に
なっているが、当時は海沿いの湊町。
那古野~熱田の距離は
近いといっても直線でも10km近く、当時は
真っ直ぐの道など存在しないためはるかに上回る。
『雁皮』
沈丁花の系統の落葉低木。
前話で調べた方はご存知だろうが、この木は
『古式ゆかしき日本の紙』の原料。
通称『鳥の子紙』
大昔、"最澄"が遣唐使で留学する際に土産と
して持って行ったほどに高品質だったらしい。
紙の発明元に紙の土産とは、相当自信が
あったようだ。
『超大型プランテーション(雁皮)』
織田家の直轄の低山を複数使って、小作人を雇い
"一ヶ所"、100haクラス(1km四方)という
大型経営をする予定。
『天龍寺』
京都、嵐山の渡月橋の近所にある寺。
元は天皇家の離宮だが、足利尊氏が後醍醐天皇を
弔うためにここを寺院とした。
何度も火事で燃えており、特に応仁の乱に
巻き込まれて燃やされ、当時はガタガタの状態。
『胡座』
正座はこの時代、正式な座りかたではない。
この時代、正座は相手に服従を強いたり罪人扱いを
する要素がある。
正座が普及するのは江戸時代のこと。
座る時も油断できない当時は、胡座・立て膝で
座るのが通常となる。
『庶民に苗字をくれてやる』
有名なのは源頼朝。
平清盛に追い回されている時期、金も権勢も
なかった為にことある事に苗字を与えて恩賞と
した話はそれなりに知られている。
『不可分家』
自身に"不可"な事を託す、"不可分"な相手を指す
言葉。極めて高い信頼を置く者をこう呼ぶ。
"股肱之臣"、"刎頚の友"に値する最高の褒め言葉。
出典: ○明書房
『村井のモノ』
『村田の名付』
後世において『歌舞伎の名演目』のひとつとなる。
泣かせる場面としてえらく脚色されてるっぽい。




