141話 北伊勢にて、経過報告
ひとまずは落ち着いた話。
現在までの経過説明です。
あくまでもひとまずの平穏となります。
秋も本格的に。
ゆるやかに日々は流れ行く。
僅かばかりに暑さも和らぎ、
刈り取った田には稲穂が天日干しをされて
風にサワサワと静かに揺れる。
後は雨に気を付けながら熟成を待つばかり。
漸くに忙しない田の世話から解放される。
大豊作とまではいかないが、
ほどほどに良い採れ高を確保した村衆は
これで何とか一息。
春と同様にこちらが銭で支援したことで、
ひとまわり規模の大きくなった秋の祭りを
心から楽しんでいる。
顔を馴染ませるために、
三郎さまやら又左の坊やら佐々のアンちゃんやら。
他には柴田さまも。
彼等とその共に酒を三樽ほど担がせて
祭りに参加させている。
世の中、タダ酒ほど歓迎されるものは他にない。
どこでも歓声をもって迎えられているとか。
北伊勢には他勢力を踏み込ませていないから、
この地は平穏そのもの。
しかも今年の戦は農民足軽を全く用いず、
傭兵足軽と李部傭兵のみを終始一貫して
運用し使っている。
農村部の村衆は戦に駆り出される事もなく、
略奪も焼き討ちなどの厄災も無かったために。
――――――平穏そのものである。
どうだこうだと言われても。
結局のところ普通に生きている者が望むのは
穏やかで誰も欠ける事も無く、
飢えや寒さに苦しむことも無い毎日。
周りの者達と今日も明日も笑いあえる、
ささやかな幸せの日々なのである。
飢えるから奪い、焼くのだ。
飢えるから殺すのだ。
飢えるから、ヒトは浅ましくなるのだ。
禽獣以下にまで成り下がるのだ。
飢えて明日をも知れぬ末法の世だからこそ、
ヒトは成り上がりなど望むのだよ。
―――――――であるならば、
例え細々とした些細な幸せでも。
日々が満たされればヒトは人に成れる。
衣食足りて礼節を知る、と云われる。
今の世には衣も食も欠乏しているから。
――――ならば人心が乱れるのは当然の理。
ならば対応すべきは、
まずは衣食を存分に満たすことである。
………元来、政とは"祀り事"から来ている。
即ち豊年への願いの祀りに、収穫への感謝の祀り。
元より政とは、国と民を豊かにする事。
それが出来ない者は、政をするべきではない。
政に関わる資格はない。
武のみではメシを喰えない。
武のみでは民を養えないのだよ。
北伊勢全域の地域データが集まりきったのは、
だいたい夏の上旬。
そのデータを並べて
各地区における水路の製作限界や、
ある程度の余裕を持たせた新田開発の検討。
それぞれの河川における治水工事に、
野分(台風)対策や溜め池を作る事も。
ついでに街道と安濃津湊の更なる拡張。
伊勢は産業の生産拠点として用いる予定だから、
その調整も。
その一部は、既に開発の実行も始まっている。
いくつかの村ではもう工事を着工している。
いくらでもやることはある。
開発はむしろこれから。
これらを全て李部の北伊勢支部で執り行い、
尾張の働き手と共に北伊勢の民を雇って
銭を町衆だけでなく村衆たちにも銭を配る。
……………まあ、現代ってヤツを見てるとな?
トップが財を持つことは確かに重要なのだが、
トップだけが持ちすぎると。
社会そのものがひどく閉塞してしまうのだよ。
今は超巨大資本主義とか無縁な世の中である。
確り財の拡散をしておこうか。
世界の基礎力を高める段階であろうな。
近代において、
無知な大衆ほど恐ろしきモノは無い。
無知な大衆は統治しやすいが煽動されやすい。
フランス革命が良い例だ。
アレは実質、反政府系の貴族や知識層による
悪質極まりない情報操作とアジテートの賜物。
一種の情報テロだ。
最終的には統治者にとっては極悪な害悪となる。
いっそのこと、
知恵・知性を付けさせた方がマシ、というもの。
現在の政治思想では理解されないかも知れんが。
―――― 一方、北伊勢近辺の勢力図は。
対六角の方面は変化無し。
小さな関所でしかなかったモノは、
時を経るにしたがって拡大され。
両の端は崖のように削られ長屋櫓が建ち。
元、関所は本丸に変更されて
その先に"二の丸"にさらに"馬出し"まで造られ
一種の城のようになってきた。
これら街道は川沿いの狭い通路であるため、
大軍の運用に全く向いていない。
結果として完全に戦線が停滞している。
とはいえ六角勢には
甲賀衆が参加する可能性があるから、
山沿いには警戒網を巡らせてある。
伊賀衆の監修によるガチガチの代物だから、
ある意味で対忍びに特化している。
まあ、困るだろうよ。
―――― 他方で、対北畠方面は…………
こちらは大きくこちらが押し込んでいる。
既に今年になって大小、
七つほど戦をおこなっており。
第一目標の木造城どころか、
その南の阿坂城まで落としている。
その為に木造・阿坂周辺の今年の税は
北畠ではなくこちらが獲得した。
阿坂一帯については迷惑料として
今年は税の免除を行い、
受け取ったモノを全て返却した。
人気取りというヤツだよ。
一年間で一気に七連敗もしたため、
そろそろ畿内の北畠への対応が
だんだん雑になりつつある。
――――――今では
"かつて天下に名を馳せた北畠も今は昔の事"
等と噂される始末だ。
これは単に弾正忠家とその戦術が強いとか、
北畠の軍と用兵が弱いとかという話ではない。
同じ伊勢であるのに
北部の民だけが厚遇されている現状に、
南部の民の間にて
極めて大きな不満が溜まりつつある事である。
つまり兵の士気の差だ。
此方からも緩めにアプローチをかけているため、
今現在に彼ら南部の民は
北畠に従いながらも"消極的な寝返り"をしており。
北畠側の兵の集まりが悪かったり
密かに敵陣への案内があったりもする。
更に阿坂の一帯が税の免除となった事で、
周辺の好感度を一気にこちらに引き込んだ。
今では、北からジリジリと戦略レベルにおいて
次第に北畠は不利になって来ている。
現在、弾正忠家は
史実に比べて実に18年近く早く北畠の堅城、
大河内城にまで接近しているのだ。
そう、
次は"大河内城の戦い"である。
――――――その前に、時は9月の末。
那古野の村田屋より一通の文が届く。
……………………ふむ。
ざっと一通りに流し読みをしたあと。
少しばかり考えて。
文を持って来た使者を留まらせて、
今宵は休ませもてなす手配をさせる。
今日は確りと休んで疲れを取るといい。
出立は明日の事となるだろう。
…………さて、皆を呼び出す準備をするか。
なお、七回の戦ですが。
その全てに調停の手が入ったワケでは有りません。
全てに調停が入ると、
明らかにスケジュールが間に合わなくなります。
内訳としては。
秀貞の坊が北伊勢に行くまでに
やや大きな小競り合いがありこれが一回目。
およそ三月初頭に四回目の攻防で
逆撃で大きく攻め入り木造城とその周辺を奪取。
(これで調停が入る)
六月末と八月初頭にて五回目と六回目。
五回目で阿坂城の一帯、六回目で現在の松阪近隣を。
この二つの戦で、現松阪市の周辺平野部を
完全に制圧しています。
(それぞれの戦に調停が入る。)
七回目は八月末、北畠から。
刈り入れの直前に稲を強奪しようとして返り討ちに。
元自分達の領地であるにも関わらず、
阿坂・松阪周辺の村衆から略奪を働こうとした北畠は
彼らから決定的に支持を失い。
その分、彼らを保護した弾正忠家は強い支持を得た。
(更に税の免除でその支持は磐石となる。)
乱世の倣いのままに行動したが故に、
伊勢の民の支持は旧領主の北畠から
泰平の政を行う弾正忠家に流れ続けている。
誰だって、静かで安らかな暮らしがしたいのだ。
マメ知識
『稲穂の天日干し』
田舎の田んぼでは、秋に刈り取った後に
稲穂を逆さにして干されている様子が秋の風物詩。
最近では機械乾燥に押されているらしいが、
この天日干しの方が米はウマくなるらしい。
日に当てて干すと、アミノ酸と糖の含量が増加。
更に逆さに干すことで、
残った養分が一番下の米粒に集まるとか。
実際、天日干しをした方がウマさが違うという
そんな論文も出されているとか。
『衣食足りて礼節を知る』
古代中国は春秋時代の"斉"の国の宰相である
"管仲"の政治論、"管子"の一文より。
正確には、
"倉廩実ちて則ち礼節を知り、
衣食足りて則ち栄辱を知る"
倉廩とは米蔵のこと。
栄辱とは誉れと恥のこと。
ヒトが礼儀や節度にまで気が回るのは
食い物が万全になってからであり、
喰うモノ・着るモノが整ってようやくに
カッコ良いとか恥ずかしいなんて考えに至る。
つまり極端すぎる意訳をするなら、
"民衆は追い詰められると蛮族に成り果てるから
世の中をまともに治めるには
まずは民の暮らしを整えてやれ"
と説いている。
『フランス革命時の情報操作とアジテート』
例えば某マリーさんの言ったというセリフ、
"パンがなければお菓子を食べればいいのに"
これは、
"そもそもマリー・アントワネットのセリフではない"
100年ほど前の"マリー・テレーズ"のセリフである。
同じマリーだが、別のマリーさんである。
この辺をボカして世に吹聴された、
いわゆるかなり悪質なフェイクニュース。
(むしろマリー・アントワネットは
食料問題などの解決を図ろうとしていた)
当時の学識もマトモな情報源もない大衆は、
これにマンマと引っ掛かる。
また庶民と王宮との間で情報が隔絶され
情報のやりとりが無かった事が、
フェイクニュースを止める事が出来なかった
一因であるとも。
当時は知識というものを
貴族と金持ちしか持っていなかったため、
民衆はアジテートに簡単に引っ掛かった。
一般的には、"学識"と"民度"の低い民衆ほど
アジテートに引っ掛かりやすいと言われる。
『馬出し』
城の城門の前に張り出して造る防衛陣地。
この馬出しの門は城門に対して直角に造られるため、
これを破るためには"城壁に対して平行に"
立地して攻撃しないといけない。
つまり城壁の中からは絶好のマト。
また城門の前に陣地を造るため、門を丸太などで
破ろうとすると助走距離が足らなくなる。
つまり攻城に手間取る。
逆にここから出撃することも可能。
故に馬出しと呼ばれる。
いわゆる"真田丸"も馬出しの一種である。
『阿坂城』
三重県松坂市大阿坂町にある
阿射加神社や浄眼寺の西の山中にあった山城。
残念ながら今は石碑しかない。
『大河内城の戦い』
1569年に史実であった攻城戦。
織田7万対、北畠八千の籠城戦である。
この兵力差があったものの攻めきれず、
一月後に和睦。
織田信雄を後継として北畠に養子に入れ、
大河内城の退却での決着となる。
実質的な北畠の降伏。
『現在の松坂近隣』
この辺り、後の松坂城が築かれる近辺には
四五百森城があった。
今回、落とされたのはコレ。




