第113話 北伊勢基礎構想、実地導入編
前回までが戦略理論ならば、
今回は戦術理論です。
拠点政策における初動戦術となります。
三郎さまは殿と交渉して柴田どのを獲得次第、
至急に伊勢中を挨拶回りに駆け回って下さい。
今、かの地は統べる者亡き無人の地。
スキと見た寺社や土豪が権力の空白地に
足を踏み込みかねません。
その様な愚行をされる前に北伊勢を安定させます。
用も無い俗物どもの介入を排除してください。
兵2000人を連れて行き、
不当占拠した連中が居れば叩き出してください。
………………相手が反抗・抵抗されたら?
強い警告の上で従わない様なら構いませんよ。
名分はこちらにこそあります。
誰であろうと遠慮なく潰してください。
それをもって見せしめとします。
反乱分子など、減らせば減らすだけ良いですね。
――――"弾正忠家に何の名分が有るか?"ですか?
以前に山科卿が来られた時に
都から"北伊勢が戦が止まず憂慮している"
といった風な"発言"を彼方の忖度で得られるように
殿にそれとなく誘導するようにお願いしたのです。
――――ええ、あくまで"憂慮"程度の発言です。
強制力などありませんよ。
その発言に対して勝手に弾正忠家が、
こちらが忖度して北伊勢を平定するだけですから。
恐らくは後で父が上洛して報告する予定です。
『いと貴き御方のお気持ちを安んじる為に、
北伊勢を無事に平らげました』とでも。
まあ、向こうは発言しただけですからね。
書を与えたとはいえ。
動くかどうかはこちらの勝手です。
その行動を評価されるならば良し。
『そんな積もりで言ってはいない』
とでも言われ責められる様でしたら、こちらは
『民と地を安んじる事は上に立つ者の当然の責務。
我らはその責務に従ったのみです』
と、大義・正論をもって堂々と開き直ります。
どちらにしても大義名分は既に存分に使った後。
事後報告でしかありませんしね。
――――――そうそう、それから。
北伊勢のそれぞれの村に告知・宣言して回る時。
その際に村衆たちに
『これまでの年貢から、
一割を減税して、ソレを弾正忠家への税とする。』
と触れて回れば、喜んで此方に尻尾を振りますよ。
…………そう不満そうな面をしないことです。
元々はヒトの物でしょう?
手に入るだけ御の字ですよ?
開発して、取れ高そのものを
格段に上げてしまえばよいのです。
それから年明けから北伊勢の全域に対して、
大規模な"検地"を行います。
当然ですが"検地"という名目は用いません。
村衆たちが反発しますからね。
地形と地勢の調査と銘打ちます。
北伊勢を開発するにおいて、これはどうしても
必要となることですから。
大地の傾斜やそれぞれの田畑の規模、全域の地形。
水源の位置や水量と新規水源の有る無し。
更に歴年の豊作・凶作の履歴から野分が来る時期、
田畑に対する農作物の取れ高割合から
水利争いや地区の災害の履歴まで。
どこまでも、川底から山の頂上までも徹底的に、
北伊勢を全て見透せるように調査し尽くします。
大量の人員をつぎ込んで開発の為の事前調査を
北伊勢全域にかけて大規模に行うのです。
これらの情報をもとに分析する者達を編成。
来年が明けるまで、戦略的に
『どこをどれだけ、どのように』開発するかを
検討します。
まあ……その一連の調査の結果として、
北伊勢全域の『検地に相当する田畑の情報』が
集まるかも知れませんよねぇ?
今年の開発はしませんし、出来ません。
無計画に田畑の開墾行って地区全体が水不足に、
大渇水となっては元も子もないですからね。
このあたりは繊細・緻密な計画を立てます。
ひとまず来年は減税で黙らせる路線ですね。
あとは村田の方から余剰作物などを
買い取りに行商を回らせます。
村々の様子によって、こちらから食糧を売るか
嗜好品を売るかは現地で決めさせます。
村衆の満足度を地味に向上させておきますよ。
再来年からは村田からも大幅な開発投資を
行いますので宜しくお願いしますね。
なお、私はまだ北伊勢組には所属していません。
正月が数日過ぎて、元服が完了して
それが終わってからの正式加入となります。
…………あと一月ほど、頑張ってくださいね?
ふふふふ。
早くから期日を決めてしまった己の短慮を
呪うが宜しかろう。
"勢力の空白地"と言うものが発生した以上、
高確率で"火事場泥棒"じみた行為が起こります。
今回は北伊勢への交流・挨拶と共に、
そういう碌でなしを潰す目的があります。
また、地域開発といってもそう簡単に出来ません。
事前調査が絶対に必要となります。
無計画な開発は地滑りや渇水、ハゲ山化等が
起こって環境が余計に悪化する可能性があります。
その為に地域の綿密な調査が必要となるものです。
チートなんて無いのですから、
ホイホイと開発なんて出来ませんよ?
……………伊賀の開発は、随分と早かったなぁ?
・・・ですか?
………いつから伊賀の懐柔が
始まったのが去年の事だと思っていた?
"伊賀所属一族の平和的離脱"なんて超難事が、
そんなに簡単に出来るワケが有りませんから。
あそこは"抜け忍は全員コロコロする"国ですよ?
マンガや時代劇で超有名でしょう?
1548年も初期の頃からの長期交渉です。
交渉そのものが非常に難航しています。
交渉の時点で開発プランを提示して納得させ、
かなり早い時期から自分達で調べさせています。
データは出揃っていました。
だから即日にできるのです。
実は、最後を見るとお分かりかと思いますが、
まだ1550年の年を越してしません。
ビミョーに時間が戻っています。
そのためまだ村井秀貞になってません。
後少しだけ、妙見丸のままです。
マメ知識
『公家衆の発言』
公家には武力がないから、発言・虚言によって
他者を動かす時がある。
文書という証拠を残さずに。
そのため、後になって"知らぬ存ぜぬ"をやられて
シッポ切りをされることがある。
今回は、公家衆による重度の忖度の結果として
"お言葉"を書として賜っている。
ただし、発言その物がファジーで曖昧なために
スルリと躱される可能性は充分にある。
だからこそ、否定しづらい正論を掲げる。
『減税』
当時の武家は、
武闘派ヤクザやマフィアのようなモノ。
各地の政庁を個々に武力制圧している状態。
そのために徴税も武力が利用される。
実のところ、戦国時代で税の低い所はほぼ無い。
小田原の後北条氏くらいである。
それゆえ、減税の余地はいくらでもある。




