第102話 多度東の戦い、後編
初手からのクロスボウ1000本による
クロスファイア斉射。
北伊勢連合軍はビビって完全に足が止まる。
………さて?
次の手は?
さて、時が経つのは早い。
戦の口火が切られたあの日から早、
半月以上が経過してしまっている。
戦場は現在、数度の衝突はあったものの
完全に硬直・膠着してしまっていた。
進むワケにもゆかず。
迂闊に進めば初日の二の舞となる。
"弩"の矢は水面に向けて放たれた為に、
既に流されている。
そのためにアレがどの様なモノであったか?
矢を拾い、確認・精査することもできない。
こちらの手の内がわからぬままに突き進むのは、
飛び込むのは上策ではない。
何かの策を打つべきだ。
かといって、陣の左の柵を壊し、
陸伝いに北上する訳にもいかない。
柵の先に待ち受けるのは、
"多度大社の幟"。
下手に攻撃をかければどう拗れるかわからない。
そして柵の向こう側の小部隊が『あの弓』を
持っているかどうか、
それが連中にはわからないのだ。
それが確認できない以上、
彼らは軽々しく北へ軍を寄せる訳にもいかない。
或いは南からの増援。
長島に援軍を頼み、多方面作戦を取ると言う策。
アリと言えばアリな話ではあるのだが、
これも余り宜しくはない。
最初からのお願いでも渋られるのに、
今更ながらの依頼など。
強突張りな長島の坊主が、
上から目線で一体何を要求してくるやら。
儂なら怖くて頼めん。
じゃあ、どうすればいい?
すごすごと引き返すか?
無理だ。
ただでさえ、同行しなかった北勢の残り十三家を
『意気地無しめ』と嗤っただろう。
このままおめおめと帰れば連中に嗤い返される。
『尾張への長旅から手ぶらでお帰りか。
―――――ご苦労なことだ。』
とでも悪し様に鼻で遇われるのだ。
そんなこと、我慢ができるか!
などと連日に評定をしているが、
何ら変わるところがない。
肝心の"何らかの策"が何も出てこないのだ。
前には桁違いの矢衾。
圧倒的な物量の前には少数で攻めた所で、
初日の悪夢を再び見ることとなる。
するべきは全軍をもって一塊に攻め寄せること。
これが正解だ。
しかし、そのためにどれだけの犠牲が生まれる?
どれほどの躯が海へと流れてゆく?
そして、どれだけの者が
無事に北伊勢に帰り着くことが出来る?
―――――――――そして、
誰が真っ先に先陣を切って攻めこむ?
ただ只管に、答えの出ない評定を
グルグルと繰り広げている。
先陣を切った者は、確実に全滅する。
第二陣・第三陣も決して安全とは言いきれない。
織田も一度に放てる矢の数には限りがある筈だから
纏まった数で一度に攻め寄せるのが
正しいことはわかっているのだが。
――――――だが、しかし。
……………………まあ、要はだ。
どうやって自分達が軍団の最後尾に付こうかと
軍勢の位置取りを争っているわけだ。
自分達だけが勝ち馬に乗るために、
生きた楯役を他人に押し付け合っているのだな。
そもそも連合を組んだ彼らだが、
元々は小競合いをしている間柄。
他の連中が傷つくことはむしろ大歓迎なのだ。
ゆえにいかに自分達は矢面に立とうとせず、
余所を前へ前へと押し出そうと企てる。
織田の火力を利用して他家を潰そうと考える。
まだ兵力で勝っているからと。
まだ有利だからと。
………………曰く、
"やれ、ここは力のある長野どのが"。
"いやいや、ここは勇猛で知られる関どのこそ"。
"まあまあ、ここは名門北畠に連なる神戸どのに"。
"今こそは正成公に連なる楠どのの出番では?"
"ここは近くにあり織田をよく知る伊藤どのが"。
"いやいや"。
"さあさあ"。
云々。
この様な事を延々とやっている。
・・・・浅はかな話だ
情報を遮断しているので連中は知らないのだ。
既に津島では、そして熱田においてですらも
奴等は物笑いの種となっていることを。
『北伊勢の長評定』と。
それこそ、既に彼らは後世に名を残すことだろう。
北伊勢に生きる者達の恥としての大きな汚名を。
―――――なんでそう事細かく知っているか?
小僧の部下が紛れ込んで、いちいち
"嗤い噺"を流してくるからな。
飯時に、話のタネには尽きん。
さらに半月ほど経ち、十一月半ばに入る。
そして、ようやく時が動くときが来る。
北伊勢連合軍の後方より、軍勢が現れたのだ。
その旗は此度の戦に参加していなかった
北勢四十八家の、残りの十三家の旗。
『すわ、留守をしていた連中が待ちきれずに
援軍を率いてやってきたか!!』
大喜びで盛り上がり士気を高める連合軍。
そして動揺する弾正忠家。
『勝った、これで我等の勝ちは確定だ!』
大いに沸き上がった連合軍は、援軍に現れた
彼らを迎え入れようとして後方の陣を大きく開き、
―――――援軍に来た筈の彼等から
敵意の籠った矢を浴びせかけられた。
大混乱する連合軍。
味方であるはずの彼等から攻撃を受け、
意味もわからず右往左往するばかり。
軍勢としての体を完全に失う。
そして更にその後方、伊勢の方角より
新たな軍勢が現れる。
数は七千ほど。
敵も味方も大きく響めいた。
特に愕然とする北伊勢軍。
――――それが到底あり得ない事だったからだ。
その軍勢にはためく旗印は、
『織田木瓜』
紛れもなく、弾正忠家の旗である。
そして共に翻るは、黄色一色に縦三枚の
『 永 楽 銭 』
かつては"うつけ"とまで呼ばれた、
ウチの倅である。
弾正忠家、明白なまでの時間稼ぎ。
最初に胆を思いきり潰したために
連合軍は超慎重になる。
そればかりか、なんかアホな事を始めた。
この一ヶ月の評定が、"あちらの世界線"では
『北伊勢の長評定』として後の世に伝わる。
意味としては、
"大事な事を投げ出し目先の争いに気を取られる"
などとして使われる。
ハッキリ言って、北伊勢の人間には恥でしかない。
"小田原評定"よりも、はるかにヒドイ扱い。
そして、満を期してのノッブ様登場。
…………しかし?
なんで敵の後ろから?
種明かしは少し先になります。
マメ知識
『口火を切る』
元はと言えば、火縄銃の"火縄"に付けた種火の事。
これと、"火蓋を切る"が
ゴッチャになって"物事を開始する"等の意味に。
なお"火蓋を切る"の火蓋は
トリガーをひくと火縄が落ちる"火皿"を
普段隠しておくカバーのこと。
火縄銃の中に火薬と弾を込めて
火皿に火薬を盛った後に、
誤射・誤爆を防ぐために一回火蓋を閉める。
撃つ直前にこれを開ける(切る)と、
いつでも撃てる用意が出来る。
この状態のことが語源。
『膠着』
文字通り、膠が着いて固まった状態。
昔のボンドである膠は固まると
物と物とを引っ付けて固まってしまう。
『迂闊』
古典表現"うかと居"から来たとされる。
"うか"という状態で居ること。
"うか"とは"うっかり"などの意味で
あわせて"うっかりとしている状態"をさす。
これに漢字をムリに当て字したらしい。
漢字の"迂闊"は、かなりひどい遠回りの事。
内容が全然、違ったりする。
『矢衾』
"ふすま"の様に見えるほどの
圧倒的な数で飛んでくる矢のことをさす表現。
なお、この衾は、建具の襖ではない。
昔の掛け布団代わりに使われていた衣のこと。
つまり襖の様に、一枚紙の様に見えるのではない。
衾のように、着物を投げた様に見えることになる。
『十一月と書いて"しもつき"』
正しくは霜月である。
当時の人間は"十一月"なんて表現はしないため。
なお、十一月は"しもつき"とは読めません。
あくまで本作品での当て字です。




