表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

飢え渇くもの 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 これ! こー坊! 地面に落ちてるものを食べちゃいかん!

 まったく、しょうがないねえ。いくら近くでハトさんがつっついているからってねえ、あんたまで真似をして食べんでええわ。

 いくら美味そうに見えたにしてもな、ハトのもんはハトのもん。お前のもんはお前のもんで、しっかり用意がされているんじゃ。ちゃんとお金出して、自分がその手におさめたもんを食えばいい。他のものを盗るなど、やってはいかんことじゃ。

 ――ふーむ、まだお前くらいじゃ、ばーばのいうことは分からんか?

 じゃあ、ひとつ話をしてやろう。むかしむかしの話をな。



 あるところに貧しい一家が暮らしておった。

 お父とお母、そして娘がひとり。それぞれが仕事をして暮らしとったが、腹いっぱい食べられる時は、一年で限られた日しかなかった。

 ここのところ、戦続きというのも痛い。お殿様からたびたび、戦のための食べ物を用意するよう言われてな。その通りの量をおさめてしまうと、しばらくは食うや食わずか、という日々が続いてしまう。


 ――足りないと思う分は、自分で用意してこよう。


 お父はいつもそういっていた。お金を出してものを買うことができるのは、それこそだいぶ具合の良い時に限られる。

 山で木の実を集めたり、川で魚を釣ろうとしたりすることもあったらしい。それでも食べ盛りに差し掛かった娘には足りず、彼女は少しずつ遠くへ足を伸ばしていったそうな。



 やがて彼女は、家からそれなりに離れたところにある、だだっ広い砂浜へたどり着く。

 お父の話によると、かつてはここまで海の水が来ていたらしい。少なくとも、彼女が生まれる数年前までは。

 それが急に、潮がここまで届かなくなって久しいのだという。取り残された魚や海藻類は、もれなく村人たちの腹の中へ収まった。そうしていまは、ところどころゴツゴツとした岩が顔を出す、砂の浜へと変わってしまったとか。


 彼女はしばらく、高いところから浜を見下ろしていたんじゃ。

 よおく見ると、白い砂の上でもぞもぞと動く影がところどころで目に映る。

 それらは黒いカニじゃった。浜全体で見ればゴマのひとつぶに過ぎない大きさじゃが、奴らは横向きに走りながら、ときおり足を止める。すると左右のハサミで目の前の砂を掘り起こし、中から貝を引っ張り出してくるんじゃ。

 彼女に貝の種類は分からない。じゃがカニたちは、自らのハサミをごちんごちんと貝の表面に叩きつけ、その場で中身をすすっておったという。

 川にいるカニではなかなか見られない、荒っぽい気性。それが必死さのように思えて、彼女はカニを見習うことにしたんじゃ。つまり、浜へ降りて貝を掘り出すということをな。

 

 

 子供とはいえ、彼女の手はカニの数倍はある。あとは転がっているとがった石を、カニのハサミ代わりに使えば浜を掘るのは難しくない。

 ややあって、彼女は両手いっぱいに貝を掘り出して家へ持ち帰ったんじゃ。砂抜きをしたりなどで時間はかかったが、久々にありつけた海の幸に彼女がすっかり気をよくしてしまう。

 

 ここ数日、貝ばかり拾ってくる娘を見て、お父はどこで集めているのか尋ねてくる。娘がこれこれこうだと伝えたところ、「少し確かめたいことがある」と、次の日、娘と一緒に浜へと向かったのじゃ。

 すでに慣れていた娘は、たどり着くやすぐに浜へ下りていったが、お父は動かない。あの日、彼女がしていたように高い位置からこちらを見下ろすだけ。

 娘は構わず仕事へ移ったが、その手に軽く握れるほど貝が集まる頃。お父が下りてきて腕を強引に掴んだ。


「早く、ここからけえるぞ」


 有無を言わせぬ強さに文句を言いかける娘。だが改めて顔をあげた時、自分が立っている場所へ向かって、いっせいに浜のあちこちからにじりよってくる影があったんじゃ。

 あの黒いカニたちじゃった。どこにこれだけの数が潜んでいたのか、彼女の見渡す景色の先、およそ十尺(約3メートル)程度をすっかり埋め尽くしながら、迫ってきていたんじゃ。

 命からがら家へ逃げ帰ったものの、いまだ娘が持っている貝を見て、父親はいう。

 そいつらを、早いところ家から離れたところに埋めたほうがよいと。


「あのカニども、よほどその貝を気に入っていたのだろう。ああして数を集めることも、いとわないほどにな。

 お前は奴らにとっての盗人に思えたんだよ。最初はこそ泥と思い、目こぼししていたのだろう。それが毎日のように、とんでもない量を盗っていくから、完全に科人とがびと扱いだ。

 ああいう奴らの思いをあなどっちゃなんねえ。ここまで、貝を取り戻しにやってくるかもしれん」



 父親のすすめで家から離れた場所に、貝たちを埋めにいく娘。さすがに浜へ戻る勇気はなかったそうじゃが、その晩に思わぬ異変が起きる。

 夜中に、お父とお母、娘の三人は同時に目を覚ました。さざ波の音が耳に飛び込んできたからじゃ。

 身を起こしてからも、音はずっと止まない。それどころかどんどん大きくなり、すぐさま父親が家を離れるよう、二人に指示を出した。



 飛び出した三人が見たのは、すでに家の壁に接するほどまで寄せてきた、海の水じゃった。

 潮が満ちてくる時のように、いったん引いた潮が再び迫ってくると、先ほどより長く広く、水の手が広がっていく。

 近くの斜面に避難した三人は、この水が浜の方角からずっと続いているのを見た。この場所に至るまで、すべての地面は薄いながらも水の幕に覆われ、生える木は根っこを隠されてしまう。

 どこまでも伸びるかと思った満ち潮じゃったが、彼らの家の土台をすっぽりおさめたところで足を止めてしまう。お母は首を傾げたが、お父と娘は思い当たる節がある。

 あの貝を埋めた場所。あそこは家と直線上のところにあった。確実ではないが、この水は貝を埋めた場所以上に、深くは入り込まないのではないか、とな。



 東の空が白み始めるころ、潮は急激に引いていった。

 ぬめりにぬめった泥の上を歩いて確かめたところ、やはり貝を埋めた場所は徹底的にゆるくなっていた。貝そのものも、ひとつも残っていない。

 それがカニたちの思いが成したわざだったのか。はたまた遠くへ去って思い出に飢えた海が、自分のかつての忘れ物を取りにやってきたのか。いまとなっても分からない、むかしむかしの話じゃよ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
気に入っていただけたら、他の短編もたくさんございますので、こちらからどうぞ! 近野物語 第三巻
― 新着の感想 ―
[一言] おお! あの満潮のは海しわざかもしれないとちょっと思いました。数年前からの引き潮は、これまた食うに困ってたあのカニたちに餌場を提供してあげたのかなとか思ったり……。人間たちには取り残された魚…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ