秘密の仕事(上)
長らくお待たせしました。外伝です。
ウィンザー国に来てしばらく経ったある日。
この国の状況を見ていると歪だという事が分かってきた。
まず、国の根幹である技術の流出を止めるための防諜技術が皆無である。
この国には諜報機関も警察機関すらない。
防諜するには他からの流入者を止めるという原始的な方法しかないのだ。
そして、その重要性に国のトップであるロイド様がそれほど悩んでいない事。
これは、どうにかせねばなりませんな……。
私がそう思って色々と資料を集めている時、1人の少年についての記述が目に止まった。
それは、ハリスという名の少年だった。
彼は恐らく10にも満たない年齢で、既に囮として活動して尚且つ敵兵を殺している。
だが、性格は普段は普通の男の子と変わらず、一緒に遊びまわっているのをよく見かける。
ただ、ひとたび戦闘訓練に入ると表情が一変する。
特に目、あれは歴戦の兵士の、人を殺しなれた者の目だ。
あの年であれだけの目をする、いやしなければならないだけの経験をしてきたのだろう。
「……モーリス。ここに書いてあるハリス君を呼んできてくれんか?」
「はっ! え? ハリスの坊主ですか? あれは危ないと思いますが……」
「分かっておるよ。だからこそ呼ぶんじゃよ」
私がそう言うと、彼はやれやれといった表情で部屋を出て行った。
そう、ハリスの坊やは危ない。
あの歳であの目をして、躊躇なく人を殺してしまう。
どこかで力の使い方を教えておかなければ、いつか壊れてしまう。
それから数時間後、モーリスが坊やを連れて来た。
ただし、ボロボロの姿で。
「モーリス。お前鈍ってしもうたの……」
「いえ、こいつすばしっこすぎて……」
ふむ、鈍った可能性があるとはいえ、モーリスは我が隊でも5本の指に入る軽業師。
それを手玉に取りながら暫く逃げていたと考えると、相当な腕前なのだろう。
逸材。
今までに見て、教えた中でも飛びっきりの逸材である。
私はそう確信し、彼に二三質問した。
「ハリス君じゃったかな? 私はワルター王子にお仕えしている者で……」
「…………」
相変わらず冷たい目をしておるな。
というか、興味無さそうな目じゃ。
「で、今回君を呼び出した理由じゃが、ロイド様の役に立ちたくはないか?」
私がそう言うと、彼は一瞬体を震わせてから初めて私の方を見てきた。
ふむ、ロイド様の為というのが肝のようじゃの。
私がそんな事を考えながら興味深そうに彼を見ていると、彼はおもむろに口を開いてきた。
「……ロイドの為にどんなことをすれば良い?」
「うむ、やる気があってよいの。まずは己を強くする事じゃの。どうする?」
私がそう訊ねると、彼は躊躇わずに頷いた。
ふむ、忠誠心も問題無し、か。
「けど、お爺さんそんなに強いの? 僕、自分より弱い人に教えられたくないよ」
「ほう、……なめるなよ小僧」
彼の一言に私が大人気なく殺気を放つと、彼は縛られていた縄から飛び出すと同時に距離を置いた。
一瞬での縄抜け、そして距離の取り方。
これまでどれだけの修羅場をくぐってきたのだろうか。
まったくもって、逸材では無いか。
「さて、ハリス君。今ので、私の実力がある程度わかったと思うがどうじゃったかな?」
彼は私がそう問いかけると、静かに頷いた。
うむ、相手の力量もしっかりとはかれている。
「では君に技術と精神を叩き込み、ロイド様のお役に立てるように仕上げてあげよう」
それからというもの、私はハリスと一緒に訓練に明け暮れた。
ある時は、彼に重りを持たせて水中に放り込み。
またある時は、素手だけにして森の中を往復させた。
そして、それらの基礎訓練と同時に組手などの実践的な体術取得の訓練を施した。
それから数か月後、ハリスの最初の任務がやってきた。
それは、敵中への侵入兼陽動である。
作戦内容は簡単だ。
敵中深くへと単独侵入し、頃合いを見て敵中で誤報を流し混乱させる。
そして、やり方は彼自身に全てを任せるというものだ。
この作戦、一見すると侵入だけが難しそうに感じるが、一番難しいのは混乱する敵中を如何にして戻るかというのが、難問なのだ。
「さぁ、敵はあと少しで到着する帝国軍です。恐らく夜襲を仕掛ける必要があるでしょう。その時、貴方がどうするかによって我々の運命が決まり――」
私がそこまで言いかけて彼を見ると、彼はナイフを取り出して1人ブツブツと何かを言っていた。
声が小さく聞こえにくいので、少し傍によってみると、まぁ予想はしていましたが……。
「……侵入して、敵を混乱させたらロイド褒めてくれるかな? ウフ、フフフフフフフ」
この異常なまでの忠誠心、一体何なのでしょうか?
ロイド様が何かをされたのか、この子が単に恐ろしいだけなのか。
いや、多分両方でしょう。
この子がおかしい所にロイド様が無自覚に何かをした。
それが私のここ数か月の間に出した結論だった。
「……ハリス。別世界に行ってないでいい加減戻って来なさい。作戦はどうするのですか?」
「え? あぁ、そうですね。体が小さいので夜陰に紛れて行ってきます。敵中は何度も入り込んでいたので大丈夫ですよ」
ハリスはそう言うと、手に持っていたナイフをしまってスッと夜陰に身を投じるのだった。
帝国軍中軍 ハリス
さて、お爺さんに頼まれたのは、中軍を混乱させる事。
難しいのは、出て行く事なんだよね……。
僕はそんな事を考えながら、今敵の中軍が陣取っている場所の近くにある森の中に居る。
「敵の主力は約1万だから……、目の前の敵は3千人くらい? 流石に全滅は無理だから……」
えっと、どうしようかな?
確かこういう状況、前にロイドが歌ってたな。
行きはよいよい、帰りは恐いだっけ?
中軍を混乱させた後、戻れば良いんだけど。
混乱させたら確実に僕の所に敵兵が寄ってくるからな……。
「さて、どうしたものか」
そう言えば、お爺さんは自分たちが暴れはじめたらとか言ってたな。
って事はもう少し待つのかな?
僕がそんな事を考えながら待機していると、少し離れた場所から笛の音が聞こえてきた。
「……合図だよね?」
さてと、それじゃロイドからもらったのでどうにかするか……。
僕はその場からすぐに笛の音が聞こえた方とは、逆の方向に移動を開始した。
少なくとも、同じ方向に向かっては意味がないという事は分かっているから。
元居た場所から少し離れた所に、警備の厳重な天幕が見えた。
「……お爺さんたちは確か食料をとか言ってたから、こっちは指揮官とかの場所かな?」
その可能性は十分あったので、僕はロイドから貰った物――爆薬――を取り出した。
ただ、爆薬と言ってもそこまでの爆発力は無いそうだ。
せいぜい周りに火の粉が飛んで火事になる程度らしい。
「一番大きい天幕の近くで爆ぜちゃえ!」
僕は、そう叫びながら手近にあったかがり火の火を使って導火線に着火して放り投げた。
少しして、遠くから小さい爆発音と共にあちこちの天幕から火が上がった。
もちろん、僕の周りも敵兵が集まり始めている。
「そこの小僧! 貴様敵の間者だな! 大人しくしろ!」
大きな体の鎧を着たおっさんが、僕の肩を掴んできた。
僕の、僕の肩を掴んできた……。
「……触れるな」
「は? なにを言って――」
「触れるなって言ってんだぁ!」
僕は肩に触れてきたおっさんの腕を隠し持っていたナイフでぶった切る。
それと同時に近づいていた喉を掻き切ってやった。
僕のそんな躊躇のない行動に、周りに居た奴らは一瞬だが、確実に恐怖していた。
「……僕に、僕に触って良いのは! ロイド達だけだ!」
「な、なんだこのガキは!?」
敵兵は一瞬の躊躇の後、すぐさま槍を構えて突き出し始めた。
だが、怯えが一瞬あったためか槍を出すタイミングがバラバラになっている。
僕はその間隙をぬって、1人の兵の懐へと入り込み、腹を切り裂く。
次の瞬間、後ろから突き刺しに来た槍を跳躍して距離を取り、安全圏に逃げると敵兵達の顔から余裕が完全に消えた。
さぁ、もっと怯えろ! 恐怖しろ!
そうすればするほど、冷静さが無くなる!
恐怖が伝染すれば、逃げるのも作戦行動もやりやすくなるというものだ。
その後も暫く僕が敵の間をついて攻撃を続けていると、一際大きな体のおじさんが出てきた。
「何を小僧1人にいいようにされている! お前らそれでも帝国の兵か! どけ! この俺が手本を見せてやろう!」
「お、おぉ! カイン様だ! カイン様が来たぞ!」
カインと呼ばれた男は、ガチガチに着込んだ鎧姿で僕の近くに来た。
ほとんど隙間なく固められたフルプレート。
頭部もフルフェイス仕様で、ナイフでは空気穴から顔までほとんど届かない可能性が高い。
僕が黙って彼の様子を観察していると、恐れを抱いたと思ったのか、やけに饒舌に語り始めた。
「我が名はカイン! 帝国屈指の勇者である! さぁ、悪逆の術を使う国の小僧よ! 俺といざ尋常に勝負だ!」
尋常に勝負?
確かに僕は任務とは言え、敵中に単独で潜入しているけど。
だからって、明らかに小さい僕を兵で囲って尋常に勝負とは笑える。
そう思うと、僕の口元には微かに笑みがこぼれていたのだろう。
それを見た敵兵が、カインが激怒し始めた。
「き、貴様! この状況で笑うとはいい度胸だ! 俺が死よりも辛い目に合わせてや――ッ!」
「……御託はいいから、早く始めようよ」
僕がそう呟きながら彼の足の関節部分に一太刀入れると、彼はますます顔を真っ赤にして怒り始めた。
「き、貴様! 人が話している間に斬りかかるとは何事だ! 後悔させてやる!」
彼はそう言うや否や武器であるモーニングスターを振り下ろしてきた。
「……ッ! 意外に早いな……」
「ほう、俺の一撃を避けるとは、中々やるな!」
彼はそう言いながら今度は、地面に落ちていた鉄球を真横に薙ぐ。
僕はそれを後方への跳躍で避けた。
ただ、避けた先に背中から冷たい感触が伝わる。
振り向くと、1人の兵が僕の背後に立っていた。
武器こそ構えていないものの、逃げ出せないようにびっしりとその鎧をくっつけながら厭らしい笑みを浮かべていた。
あぁ、奴らはここを闘技場か何かと勘違いしている。
そして、カインとかいう男も下卑た笑みを浮かべ、僕へと近づいてきた。
「さぁ、坊主。逃げ場はないぞ」
「……はぁ」
僕が小さくため息を吐くと、死を覚悟したと思ったのかニヤリと笑い振りかぶり振り下ろしてきた。
「死ねぇ!」
「……残念。そんな攻撃じゃ死ねないよ」
奴が振り下ろすのとほぼ同時に僕は横に飛び、武器の軌道から外れた。
そして、悲惨だったのは僕が避ける前に後ろで進路を塞いでいた兵だ。
モーニングスターの一撃で、確実にミンチになっている。
左右の兵も腕を無くしたり酷い怪我を負っている。
「あ~あ、オジサン酷いことするね……」
「き、貴様ー! なぜ避ける!?」
いや、怒る所そこ?
僕だってミンチ肉になりたくはないよ……。
けど、さっき避けた時にかかった血が……。あぁ、気分が高揚する!
どうしよう、爺……隊長には気持ちを抑えろって言われてたけど……。
あぁ! 抑えられない!
そうだ! この試練を果たしてロイドに……ロイドに褒めてもらわないと!
「――ッ! な、なんだこの小僧は!?」
「……あぁ、ロイド待っていてね。こいつら殺して、必ず帰るからね」
ついつい出してしまった殺気に当てられたのか、カインとかいう男が半狂乱で僕に向かって突撃してきた。
恐怖は人の動きを鈍らせる。
敵が振り下ろした鉄球を避けるのと同時に、今度は右手の関節にナイフを滑るように斬りつける。
ほら、敵の手がみるみる血の色に染まってきた。
それでも片手で暴れてくるから、今度はさっき刺した左足の関節に再度斬りつける。
「ヒィィィ! な、なんでお前は俺の鉄球を避けられるんだよ!」
ほら、表情が鎧で見えないけど恐怖で歪み始めた。
今まさに人が恐怖に対して見せる、最後の抗う顔。
はぁぁぁ、ぞくぞくしてくる。
さぁ、どう動くの? 次はどうする?
そう思った瞬間、僕は彼を挑発する様に手招きをしながら言い放つ。
「……さぁ、どうする?」
「く、クソッたれぇぇぇ!」
彼は一瞬、戸惑ってしまった。
怒りからか、恐怖からかは分からないけど。
そしてその戸惑いで冷静になれていれば、判断を誤らなかっただろう。
唯一動く左腕を突き出すなんて事は無かったのだ。
僕はその腕を避け様にナイフで関節部を斬りつけた。
「ぐ、ぐぁぁぁぁぁ!」
「フフ、フフフフフ。さぁこれで最後だ……」
僕がそう言って彼のフルフェイスのマスク部分を持ち上げると、涙と鼻水でグチャグチャになったおっさんの顔が出てきた。
「ひ、ひぃぃぃ! や、止めてくれ! お、俺の負けだ! な、だから、だから命だけは、命だけは」
「……これ戦争だよね?」
僕がそう問いかけると男は躊躇いながらも頷いてきた。
「じゃ、僕が人を殺しても良いんだよね?」
僕がそう言うと、男の顔から一気に血の気が引いたのが分かった。
そんな男を僕は見下ろしながら「じゃ、バイバイ」と言い放つのと同時に首に脳天にナイフを突き立てた。
突き立てた瞬間、血が溢れるのを満足気に見ながら、僕はこの後の事を考えるのだった。
久々の爺や登場です。
まぁ、半分以上ハリス君のお話ですが(;´・ω・)
今後もよろしくお願いいたします。