ロイドの過去(下)
完結編です。
王都サントス マルボルク邸
何やら外が慌ただしいと思ったら、ワルター王子がロイドを担いで必死の形相で屋敷に駆け込んできた。
そのただならぬ状況に私は胸を締め付けられそうだったが、それに耐え必死に玄関まで走った。
玄関に辿り着くと、ぐったりとしたロイド。
そして、彼を必死に揺さぶりながら声をかけている王子が居る。
……なんで、息子は倒れている?
……なんで、王子が息子に必死に声をかけている?
私の頭の中は混乱の極致にあったのか、意味もない言葉が次々と浮かんでは消えていく。
「ロイド! 頼むから目を覚ましてくれ! ロイド!」
「王子、落ち着いて下さい。伯が居られます。まずは伯に説明を」
王子の傍で護衛を任されていた隊長が、王子に必死に声をかけていた。
なにがどうなっているのか全く分からない。
それから暫くして、王子はやっと落ち着いてきたのか、私の方を申し訳なさそうに見てきた。
「マルボルク伯、すまぬ。私は取り返しのつかない事を……、すまぬ」
「お、王子。落ち着いて下さい。何があったのか、それをお聞かせください」
私は精一杯の声を振り絞り、平静を装うために理性を総動員して話しかけた。
すると、王子はぽつりぽつりと嗚咽交じりに話し始めるのだった。
「……じ、実は、王都のはずれにいる魔術師に……、会ったんだ。そいつに、魔術を……教えて欲しいと……話を聞かせて欲しいと言った」
「えぇ、それでその後?」
「……人の、性格を変える事はできるのか? と聞いたのだ」
「性格を……変える?」
それは精神干渉系の魔術だ。
私も詳しいわけでは無いので微妙な知識だったが、できるのは極々僅か。
そして、我が国にはお抱えの魔術師以外には居ないはず……。
「……そのすぐあと、ロイドは……奴に術を……」
「ロイドは、息子はその魔術師に術をかけられたと?」
私がそう問いただすと、王子は泣きじゃくりながら頷き、「ごめんなさい」と何度も言っていた。
ただ、これはごめんなさいで済む話ではない。
これが王子だから私も理性を保って居られているが。
いや、それよりもまずすべきは……。
「兵長! 至急王子から聞いた魔術師の特徴で手配書を発行! 決して逃がしてはなりません! 見つけ出して生きて捕らえるのです!」
「え、あ、はっ! かしこまりました!」
そう、ここでこの魔術師を逃がす手はない。
息子には悪い話ではあるが、そちらも国の為に優先せねばならないのだ。
「ロイドは、恐らく精神干渉を受けている可能性が高い! すぐに国家魔術師に見てもらえる様に手配をしてくれ!」
「かしこましりました。すぐにでも国王陛下に上申いたします」
私は、そこまで指示を出してから王子に向き直った。
王子は私が近づいた事にビクッと一瞬だけ体を震わせる。
「王子、今回の事私どもはずっと懸念しておりました。ただ、ロイドの脈などを見たところ特に問題はないそうなので、精神干渉だけだったのでしょう。王子にはこれに懲りて行いを改めていただけると、私としては怒りの置き場ができてありがたいのですが?」
私が静かにそう言うと、王子は黙って頷き私の方を見てきた。
「すまない。今回は私が軽率だった。今後危ない事には首を突っ込まない。約束する」
「わかりました。でしたら大丈夫でしょう。なに、ロイドは私の息子です。これでも精神力はある方ですよ。きっと精神干渉にも抗って帰ってくるでしょう」
「あぁ、そうだな。ロイドは本当にすごい奴だからな……」
王子はそう力なく言うと、ロイドの横で静かに涙した。
私はその様子を見て今回の事を本当に反省しているのだろうと思い、王子に帰宅を勧めた。
最初こそ王子は意識が戻るまでと言っていたが、国王に報告する義務がある事を伝えると、彼は渋々と言った様子で王城へと帰った。
さて、問題はロイドが目覚めてからどうなっているかだが……。
正直予想がつかない。
「できればまた、元気な姿を見れたらそれで良いのだが……」
それから数日の間、ロイドは眠り続け目を覚ました。
だが、ロイドからは当時の記憶は失われており、何があったのか思い出せないとの事だった。
もちろん、王子はロイドの目が覚めるまで毎日屋敷に足を運び、彼の傍でジッと朝から夕方まで付き添っていた。
彼が目を覚ました時も王子の喜びように親である私たちが喜びそびれてしまったくらいだ。
ロイドが目を覚まして数日の間、自宅療養をしていると国王からの書状が届いた。
今回の件に関して初めて国王が考えを示された事、また気にかけていた事に驚きつつも、私は手紙を読んで、ロイドに内容を伝えた。
「さて、ロイド。王子のお付きの件だが、国王から今回の事件も踏まえてお前に続けるか続けないかを判断しても良いとお達しがあった。また続けないを選んでも他の王子のお付きとして励んでほしいと言われていたが、どうする?」
私がそう訊ねると、ロイドはゆっくりと笑いながら応える。
「王子の付き人を引き続き続ける予定です」
「そうか……。なら良き友として王子に接し、良き教師として王子に道を示すんだぞ」
「はい、〝父上〟」
この時私は気づいていなかった。
いや気が回らなかったのだろう。
例の魔術師を未だに捕らえられず、どうすれば良いか悩んでいたのだ。
そう、ロイドの微かな変化にこの時気づいていたら、どうにかなったかもしれないのに。
それから数年後、ロイドは以前とすっかり変わってしまった。
いや、変えられてしまったが正解か。
あれからロイドは書物を持たず、王子と一日中ナンパに勤しんでいる。
つい最近は、人妻に手を出そうとしたとか。
器量よしの町娘の唇を奪ったとか。
散々な事を聞いている。
もちろん私も何度も叱っているものの、全く効果がない。
最近では、そんな苦労を共にしている国王とお互いに愚痴をこぼし合うまでになってしまった。
まったく、どこに何があるか分からないものだ。
ちなみに王子の周りは、次男や三男などの家督を継げない悪たればかり集まっている。
その悪たれを使って悪さを考えるのがロイドだと言うのだから頭を抱えるほかない。
そんなある日、いつもの様に国王の愚痴に付き合っていると珍しく神妙な顔つきで話し始めた。
「さて、マルボルクよ。余はあの悪たれをどうしようかと悩んでおる」
「どのような事でですか?」
「初陣についでだが、先日から隣国ハイデルベルク王国との間が悪いのは知っておろう?」
私はそれを聞いて少し気を引き締めた。
先日からハイデルベルク王国との国境付近で利水に関する事で互いにいがみ合っているのだ。
特にライン川の上流は我らにとっても重要な水源なのだが、そこをハイデルベルク王国の一貴族が抑えてしまった事で一触即発の状態である。
「国王は、その戦争にワルター王子を連れて行かれると?」
「うむ、そして奴の周りに居る悪たれもロイドもだ」
「……確かにそれが良いかもしれませんな。既に15を越えておりますし、なにより戦争で少しでも自覚を持って欲しいものですな」
私がそう言うと、国王は黙って頷きつつ続けた。
「まぁ今回の場合はそう大きな武力衝突にはならんだろうが、懸念がある」
「ライン川のほとりだと、〝金の鷹〟ですな。あれは必ずしゃしゃり出てくるでしょうな」
「うむ、あの悪魔がどう動くかで戦況は泥沼にも地獄にも変わるからな……」
金の鷹、ハイデルベルク王国の双璧と謳われる武将の旗から取った仇名だ。
現在分かっているのは、ハンニバル・タラスコンという名前と戦神の如き強さ。
この二つだけなのだ。
とりあえず、恐ろしい。
という事だけ分かっており、兵達も怯えて使い物にならなくなると騎士団長が言っていたくらいだ。
まぁ唯一というか、あの国は内政をそこまで重視しないので、兵糧の関係で長い間対陣できないのだ。
「それでも国土を維持できるというのは、双璧が異常な証拠ですな……」
「うむ、儂もできたらあそことは争いたくないのだが、致し方あるまい……」
あ、国王陛下も若干涙目になる事があるのだな。
などと益体もない事を思っていたが、これはとんでもない話でもある。
そんなとんでもない化け物の居る所にロイド達を送り出すのだ。
不安でない親など居ない。
それから数か月後、本格的に戦争の気配が濃くなってきた事を受け、ワルター王子麾下1000名の援軍が急行する事になった。
もちろんロイドもその中に居たのだった。
ライン川上流 ワルター
さて、父王に言われた通りライン川付近に陣取ったが、状況は予想していたよりも良くない。
まず戦力差だが、我々が加わった事で、4千対2千と2倍の戦力差になった。
だが、その敵2千の中に例の〝金の鷹〟が居る。
「……金の鷹とかどうやって殺るんだよ」
「あれは出鱈目ですからな……。王子、作戦ですが」
私がブツブツ言っていると、横からロイドが話しかけてきた。
「作戦? 何かいい方法があるのか?」
「えぇ、多分ですが、どうにかなるかもしれません」
そう言ってロイドが広げてきたのは、この辺りの地図である。
その地図を指さしながらロイドは作戦を話し始めた。
「まず、敵軍ですが、現状川を挟んで2つに分けています」
そう言って二つの石を動かした。
こちらに渡っているのは恐らく金の鷹。
もう1つはこの地方の男爵だったかの軍。
「で、この金の鷹が確実に孤立します。この突出した状態を我らが誘い出し、より突出させます。そこを」
そう言ってこちらの軍に見立てた石を森に配置した。
なるほど、伏兵を持って金の鷹を誘い出して圧殺するという方法か。
その図は、見事な各個撃破の図である。
私は作戦を了承し、役割の分担をさせた。
我々は伏兵部隊。
ロイドは敵の誘引をする部隊へと別れた。
「では、ワルター様。行ってきます」
「おう、無事誘い出してきてくれ」
私たちはそう言って拳を合わせると、にっこりと笑い合った。
それから数時間、私たちは息を潜めて待機する時間が続いたかと思っていると、1人のボロボロになった伝令が駆け込んできた。
「王子! 誘引部隊は全軍壊滅です! 1千人の兵もやられました! お逃げください!」
「なに!? ロイドは? ロイドはどうなった!?」
私が伝令にそう詰め寄ると、彼は目を伏せて報告を続けてきた。
「ロイド様は……、おそらく戦死されました」
「戦死……、ロイドが?」
現実感の無い話だった。
だが、兵士の報告から現実の出来事だと否が応でも認識せざるを得ない。
兵士の報告では、ロイド達は奴を誘引する為に森を迂回して進んでいた。
そして、その森に敵の伏兵が居たらしく、飛び出してきた兵にロイドは脇腹を突き上げられて落馬。
その後、混乱が広がった事で千の兵は散り散りとなったそうだ。
「とにかく、お逃げください! 鷹が! 鷹がすぐそこに!」
兵士がそう言うのとほぼ同時に、敵襲を告げる鐘の音が鳴り響いた。
「鷹だ! 鷹が来たぞ! 全軍迎撃用意!」
その命令に対してすぐさま兵達は方陣形を取り、槍を隙間なく構えた。
その様子を鷹は何もせず黙って見ていると、突然ニヤリと嗤ってきた。
まるでこれから殺戮が始まる事を楽しむかのように……。
「ひぃ! な、なんだあいつは! 笑っているぞ!?」
「王子! ここはお逃げください! 我らが――」
「いや! ここで逃げてたまるか! 全軍! 鷹を迎え撃――」
私がそう命令しようとした瞬間、爺やが突然目の前に現れて私の頸に一撃を入れて意識を刈り取るのだった。
それから、私が目を覚ましたのは、随分と王都に近づいた馬車の中だった。
幾分かボロボロになった爺やが俺が目を覚ますのを見て笑いかけてきた。
「ワルター様、お目覚めですか? 先程はすみませんでした。至急避難して頂かないといけませんでしたので」
「……いや、構わない。それよりもロイドは助けられたのか?」
私の問いかけに、爺やは黙って首を振ってきた。
その様子をみた私は、絞り出すように「そうか」としか言えなかった。
「ロイド様は残念ながら、私の到着まで間に合いませんでした。また、ご遺体を確認しておりませんので、もしかしたら混乱の最中逃げられた可能性も僅かですが……」
「いや、良い。良いんだ。マルボルク伯には私から伝えるよ……」
マルボルク伯
私は戦後、ロイドの死を伝えられうな垂れたのを覚えている。
その後、私は自分の心の傷をいやす様に必死に働いた。
働いて、働いて、働き続け、帝国と戦い、死ぬつもりだった。
だが、それがこうして生き残っている。
「まさか、死んだと思っていた息子が自分で国をつくって、そこの王になるなんてな……」
私がそう呟きながら廊下を歩いていると、1人の兵が呼び止めてきた。
「マルボルク様、先程配送の者がこちらを」
そう言って差し出してきたのは、一通の手紙である。
送り主は……、ウィンザー国国王ロイドか。
私はその場で手紙を受け取り自宅へと帰ってから空ける事にした。
「さて、何が書かれているのやら……」
期待半分、不安半分。
いや、不安の方が若干大きいか……。
何せ向うは覚えていないのだからな、私を。
そう思いながら手紙を空けると、意外な内容が書かれていた。
「拝啓、お父様。と申しましても私は貴方の事を覚えておりません。ですが、貴方が私の父である事に変りはないのでこう呼ばせていただきます。さて、今回手紙をしたためた理由ですが、以前ボリスを通じてお話が行っていると思いますが、一度お話をしたいと考えております。また、遅ればせながら私の所に嫁いだ嫁も紹介したいです。もしお時間がある日が分かりましたらお越しください。お待ち申し上げております。ウィンザー国国王ロイド・ウィンザー」
……。
覚えていないと言いながらまた、〝父様〟と呼んでくれるか……。
まったく親孝行なのか、親不孝なのか分からない息子だな。
私はその夜、ウィンザー国国王へと、いや息子へと返事をしたためるのであった。




