幕間 『精神世界の戦い』
お待たせしました、ハインツ視点です。
「そろそろ仕掛けるぞ。ニャスビィシュ、私が術を使っている間、体をしっかりと背負っておいてくれ」
そう言うのとほぼ同時に私は、術を発動した。
吸い込まれる様な感覚を覚え、一瞬目の前が真っ暗になる。
そして、体を精神が離れたのであろう浮遊感を感じて、目を空けると。
そこは夢の世界。
その人の精神世界である。
精神世界とは、簡単に言うと人の記憶である。
ただし、記憶とは曖昧なもの。
すべての記憶が整理整頓されて入っている訳でも、順番に出てくるわけでも無い。
どの時代のどの記憶が出てくるのかは、正直術をかける度に変わってくる。
そして、今回入った彼女の精神世界は、全てが混沌とした世界だった。
下は生まれて間もない頃の記憶。
上はつい最近我らの同士となった記憶と、全てがごちゃ混ぜになっている。
それらの記憶は、もちろん私の中にも入ってくる。
目を閉じれば、彼女が生まれた日の事すらその時の空気、臭い、想いが入ってくる。
そう、この世界は自己と他者の境界が曖昧になり、自我の弱い者が強い者に浸食される世界だ。
そういして浸食されると、術を解いた時、私なのか彼女なのか分からない状態に陥るのだ。
「さて、彼女の記憶のエラーを探さないといけないのだが、こうもごちゃ混ぜだとどこに何があるのやら……」
私が途方にくれていると、遥か彼方に一人の子供が眠りながら浮かんでいるのが見えた。
「……アニエスの自我だな。多分今は眠っているのだろう……」
そして、反対方向には、大人になったアニエスが、困った顔でこちらを見ている。
「あれが、アニエスの理性だな。恐らく敵の術の中で、必死に抵抗しているのだろう……」
どちらか一方を助ける事でこの世界は終わるかもしれない。
だが、逆に助けないという手もある。
エラーだけ取り除いて行けば、アニエスの記憶に私が刷り込まれる。
刷り込みの様な状態になるが、それは私の望むところではない。
「となると、理性を助けるのが一番だろう。彼女に色々と聞いて助けない……とぉ!?」
私が理性と思われる彼女の方に移動しようとすると、理性から炎が巻き起こりこちらに向かって飛ばしてきた。
それを横っ飛びでどうにかかわすと、私は自分に水の防御を体にまとわせた。
「……グググ……、私を……困ら、せる奴……、排除……すべし……」
「これはまた物騒な防衛反応だな。流石瞬炎と言われた魔術師。あれだけ弱りながらも瞬殺できるくらいの術を発動するとはな」
「消えロ……、私の、中カラ……消えろ!」
彼女はそう言うと、またもや炎を連発してきた。
防御をしていると言っても、流石に何十発と連射されてはたまらない。
彼女を説得するのは、不可能とみて、私は眠っている方に向かう事にした。
「ふぅ……、危うく消滅してしまう所だった。全くもって危ない人だ」
どうにか防御を駆使して攻撃をいなした私は、もう一人の彼女の近くに移動した。
ちなみに、理性の彼女はある一定の距離を取った段階で、私の事を気にしなくなった。
「ちょうど半分が彼女のテリトリーか、恐らくあっちがまだ生きている方で、こっちが操られている方のようだな……」
私は彼女の精神力に感心するのと同時に、そんな彼女をして半分まで侵食されている事に驚きながら、もう一人を見ると。
「……眠っている彼女の後ろに何者かが居るな……」
見つけたのは、彼女の近くに居る小さい男だ。
その姿は通常のサイズから考えると、3分の1程度の大きさだ。
近づきながら目を凝らして見ると、男は眠っている彼女に対して何やら呟いている。
「奴が、エラーの原因だな……。もう少し近づいて、何の呪文を唱えているか聞いてみるか」
私は奴の視界に入らない様に注意をしながら、記憶の海を移動して近づいた。
近づくにつれて、奴が何を唱えているのか聞こえてくる。
「……ヒュプ……言ほぎ……伝え、聞き……、伝えよ」
聞こえてきた呪文は、全くもって知らないものだった。
というか、どの精神系の魔術のものでもない呪文。
全くの別物と言って良いだろう。
「また、厄介な仕事を引き受けたものだ……。だが、引き受けたからには最大限の事をせねばな」
意を決して奴の前に降り立つと、先程までの呪文を止めてこちらをじろりと睨んできた。
その姿は、まるで骨の様で。
頬はこけ、目は飛び出すほどのギョロ目、色は白を通り越して青くなっており、見るからに不気味な印象の顔立ちだ。
そして、服装は魔術師が着るローブではなく、黒を基調にした布のような物を巻き、手と胸元に鉄の輪が繋がった防具を付けていた。
「お前が原因のようだな。すまぬが退治させて頂くぞ」
私がそう言って身構えると、奴は掌を前に着き出すと同時に、先程の聞いた事の無い呪文を唱え始めた。
「我、懇願するはクロノスの力、我、顕現するは戦乙女の力、その力絶大にして時を刈り、その力無慈悲にして命を刈る……。死ね!」
そう言われた瞬間、私の頭の中にこれまでにない、苦痛と恐怖と不安が襲い掛かってきた。
「ぐぅ……、あぁぁ……あ、た、ま、が……うぅぅぅ」
このままでは拙い。
そう思った私は、これまでの修練の成果であるマイナスによるマイナスの打ち消しにかかった。
「大丈、夫。あの時、よりは、楽だ……。1人で、トイレで、飯を、食っていた時。好きな、子に告白して、晒された時。それに比べたら……こんなもの、まだまだだぁ!」
そう叫んで立ち上がると、奴は心底驚いたように私を見ていた。
「ば、馬鹿な……。かの文豪も、かの英雄も屠った我が術を跳ね返す、だと? 貴様何者だ!?」
「単なる引き籠りだ!」
この言葉に余程の衝撃を受けたのか、奴は何も言えず口を空けていた。
ただ、何だろう。
自分で叫んでおいて、自分の心にダメージがある気がする。
「おのれ、そんな奴に私の術が破れるなど、あってなるものか!?」
奴はそう言うと、ぎょろりと出た目玉を憎悪の炎を宿して、睨んできた。
睨むのとほぼ同時に、攻撃をしてきた。
雷を落とし、炎の玉を飛ばし、氷の弾を飛ばしと、正に雨あられの如くである。
「わ! おっとととと、ひぃ」
その攻撃を私は、自分が避けられるというイメージを強く持ちながら、右へ左へ、上へ下へと避け続けた。
そんな攻防が5分ほど続いた時、奴は業を煮やしたのか、突然攻撃を止めて、一点集中させ始めた。
一点集中したものの大きさは、直径50mはあろうかと言う大きな岩の塊だ。
これで押しつぶされるイメージを植え付けようとしたのだろう。
それに対して私はというと。
「砕ける、砕ける、砕ける。砕ける!」
叫ぶのと同時に、奴の岩がふってきた。
当然回避が間に合う訳が無いので、岩に向かって突きを繰り出した。
「砕けてたまるかぁ!」
「砕いてみせる!」
お互いの意地と意地のぶつかり合いだ。
どちらかが先に諦めるかしないと、どちらとも死ぬ事になる。
だが、そんな事関係ない。
私は、あの真っ暗な時間すらほぼ不明の場所に何十年も閉じこもっているのだ。
負けて、良いはずが、ない!
そう言い聞かせて、拳を突き上げる。
最初、まさしく岩というイメージから来る激痛が走るが、そんなものを気にしていたのでは本当に潰れ、消滅してしまう。
そんな痛みを我慢しながら、更に拳を突き出すと。
岩に拳が、ギチギチというきしみ音と共にめり込んでいく。
「うぉぉぉぉぉぉ!」
お互いに雄叫びを挙げながら、イメージに力を入れた、その時。
奴の後ろから誰かが攻撃を仕掛けてきたのだ。
その攻撃を受けた奴は、もんどりうって倒れた拍子にイメージを途切れさせてしまい、勢い余った私の拳に突き破られた。
「ぐ、がはぁ! 馬、馬鹿な……、貴様は、眠っていた、はず!?」
そう、奴を攻撃したのは、寝ていたアニエスなのだ。
奴の驚く顔を見たアニエスは、ニヤリと口の端を歪めると、得意気に話し始めた。
「ふん! 厄介だったがこの程度の術で、完全に自我を手渡してたまるか」
「ぐ、ぐぅ……、操られているフリ、だったとでも言うのか?」
「ずっと寝たふりするのは、しんどかったけどな」
そう言い切るアニエスを見た奴は、敗北を悟ったのか、スッと消えた。
なんとも腑に落ちない部分があるが、これでアニエスが操られていた原因を消す事ができたのだ。
事件解決と言って良いだろう。
「ふむ、ハインツだったか? お前のお陰で助かった。だが、ここは私の記憶の世界だ。さっさと出て行ってもらおうか?」
「あぁ、言われなくてもそのつもりだ。ついでに出口はどこになる?」
私がそう訊ねると、アニエスは2つの扉を指さした。
恐らくどちらかが、出口なのだろう。
「助かる、では向うでまた会おう」
そう言って、私は彼女の指さした扉の片方を空けると……。
そこには夢のワンダーランドが広がっていた。
そのワンダーランドでは、アニエスともう一人の男が楽しそうに走り回っている。
そして、その記憶は、アニエスが小さい頃から、恐らくごく最近だろう所まであったのだ。
「みぃ~たぁ~なぁ~!?」
背後からドスのきいた声に振り向くと、彼女が怒髪天を突く勢いで髪を逆立て、ワナワナと震えている。
「い、いや、これは、その、不可抗力というものではないか?」
「言い訳なぞ見苦しい! 覚悟しろ!」
そう言うと、彼女は突然私に対して攻撃を仕掛けてきた。
それも、本気の攻撃である。
「や、ちょ。アニエス嬢! そんな攻撃あ、当たったら私が消滅してしまいます!」
「消滅させるために攻撃しているんだ! なんで! なんでよりにもよってこの部屋を、私の妄想の記憶を開けるんだ!」
「モ、妄想!? なら、私は一切口外しないから、だから、ちょ、止めて、本気で死ぬから!?」
私の「口外しない」という言葉を聞いて、幾分か冷静になれたのか、アニエスは扉の外を指さしていた。
恐らく、いや、絶対に「出て行け」という事だろう。
私が無言で頷いて走って出ると、彼女は内側から扉を閉め、閉じこもったのだった。
「で、では、私は失礼するので……」
そう言って、怯えながら私は、彼女の精神世界から出る扉を開くのだった。
少し眠い目こすりながら書き切りましたので、おかしな点があるかもしれません。
お気づきになられた方は、感想などでご報告下さい。改稿する時に参考にさせて頂きます。
※後日大幅改稿あり得ます。
今後もご後援よろしくお願いしますm(__)m




