5-19
私たちは、作戦を決行すべく夜を待った。
息苦しいくらいに緊張した私は、手元の布切れで汗を拭きとろうとした。
「おい、なんでこんな場所に3人も居るんだ?」
そう不満を漏らしたのは、ニャスビィシュだ。
彼が不満を漏らすのも無理はない。
なぜなら私たちは、少し大きめの木箱に入り込んでいるからだ。
なぜ木箱に入っているかと言うと、ハインツの作戦としか言いようがない。
彼の作戦はこうだ、アニエスが一番無防備になる夜の徘徊時にできるだけ近くから彼女を捕まえ、術を解くことを試みる。
その為に、近くに居ても不自然で無いもの=木箱に潜む。
というどこかの誰かがやった事を提案してきたのだ。
ただし、今回は前回の様に被っているのではない。
まさしくINしているのだ。
それも3人で。
「阿保なのか? お前らは本気で阿呆なのか? 何の理由があって男3人で同じ木箱に詰め込まれにゃならんのだ?」
「仕方が無かろう、ハインツは人見知りが激しく、お主とだけだと緊張して術が使えぬ。だが、お主が居らねば咄嗟の対応が遅れるのは分かり切っている。この2つの条件を乗り切ろうと考えるなら、同じ木箱に3人で入るだろ?」
私の理論に目と鼻の先のハインツが頷いて肯定の意思を示している。
「それなら各自別々か、せめて俺だけでも別にできたんじゃないのか?」
「いや、それだと意思伝達が遅くなり、お互いの連携がとりにくい。特に私たちは即席のパーティなのだ。その点は抜かりなく対策を立てなければならない」
私の澱みない受け答えに、ニャスビィシュも納得したのか、反論して来なくなった。
反論はしてこなくなったのだが、いつもに増してため息の回数が多い気がするのは、きっと気のせいだ。
それからしばらく経ち、基地内のほとんどの者が寝静まった頃、彼女が動き出した。
いつもの様にキッチリとした服を着ており、ローブもしているが、どこか足取りがふらついている印象を受ける。
「出て来たな。ただ、前よりもひどくなってないか?」
「それはそうだろう。寝ている状態で、何日も体を動かしているんだ。相当疲弊しているはずだ」
「なるほど、となると早いめに開放しないと彼女自身が危ないのだな?」
「あぁ、最悪命を落とす事になりかねない」
そんな話をしながら、私たちは木箱を出て、彼女の後を追った。
おぼつかない足取りで入口へと向かい、基地を出て人気のない場所へと移動していく姿は、まるで食死鬼のような危ない足取りだ。
「そろそろ仕掛けるぞ。ニャスビィシュ、私が術を使っている間、体をしっかりと背負っておいてくれ」
「うむ。その点は、任せろ」
そう、ニャスビィシュが頷くのを見て、ハインツは術の発動をし始めた。
すると、急に彼の体から力が抜け、ニャスビィシュの背中に崩れ落ちる。
「精神系魔術師でも稀な術なのだな」
「あぁ、相手の精神世界で戦うのは、彼くらいのものだろう」
精神世界。
そこは無限に広がる世界であり、自分の気の持ちよう1つで天下無双の豪傑にも貧弱な弱兵にもなってしまう世界だ。
心の持ちようが全てを左右する世界で、1人で戦う。
それは、とんでもない恐怖と重圧を伴った戦いだろう。
「……ボリス。戦いとはそういうものだ。戦場に立つ者が最後に信じられるのは、己が武とそれまでの修練のみだ。そういった意味では、こいつは相当な修練を積んでいる。負けるはずなどないよ」
「あぁ、そうだな。後は信じて待とう」
彼が術を使ってもなお、アニエスは歩き続けていた。
事前に聞いていた話では、精神世界での戦いは、結果が出るまで現実世界に影響が出ないらしい。
彼女の場合は、現実世界では魔術式が起動しているので、報告へと向かう足は止まらないのだ。
それからしばらく、私たちは歩いた。
相変わらず彼は戻ってきていない。
そして、もうすぐ敵の諜報員とアニエスが、以前接触した場所だ。
「……拙いな。まだ戻る気配がないぞ。まさか負けたんじゃないだろうな?」
ハインツがこの作戦を説明している時に撤退についても話していた。
それは、自分が体に戻ってこない場合だ。
精神世界での死は、自らの魂の死を意味する。
魂が死ねば、体に戻ってくることは無く、一切の活動が停止する。
そう、心の蔵もだ。
「ニャスビィシュ、彼の心の音は感じられるのか?」
「あぁ、背中越しだが、まだ感じられている。ただ……」
彼は弱々しくこう付け加えた。
「かなり弱ってきている」
「苦戦しているのやもしれんな。後は、彼が勝ってくれるのを祈るばかりなのだが……」
そして、それから数分後。
ついに彼女が、先日の場所へと到着した。
「……拙いな。撤退すべきか?」
「いや、まだ心の音は聞こえている。待機しておこう」
頼りにすべきは、彼の心の音だけと言うかなり不安な状態の中、私たちは〝待ち〟を選択した。
ただ、その選択をしてから数分後、異常な事態に私たちは気づいたのだ。
「……なぁ、敵の諜報員出てこないんじゃないか?」
「まさか、バレた?」
「いや、ここまでの追跡は完ぺきだった。気づかれる要素は何もない。それに奴の気配事態が消えている」
「……ハインツが勝ったのか? だが、それなら戻らない理由は何だろう?」
「まさか、アニエスとも戦っているとか?」
「…………」
さもありなん、と私たちはお互いの顔を見合わせた瞬間。
「――――ぶはぁ! ハァハァハァ。死ぬかと思った……」
彼の意識が戻ってきたのだった。
「おぉ、無事だったか? それでどうだ? いけたのか?」
「どうにか魔術式は解け、認識に靄がかかっていた部分も直す事ができた。できたのだが、あの者、頭の中が大変で――」
彼がそこまで話すと、言葉を詰まらせてガタガタと震えはじめた。
そして、震えた指で私たちの後ろを指したのだ。
その指に導かれて、私たちが後ろを振り返ると、そこには憤怒の形相をしたアニエスが仁王立ちしている。
「……ほぅ、誰かと思ったら、イカレ国王の〝飼い猫の〟ニャスビィシュじゃないか?」
「年長者にその物言い、正気に戻った様で何よりだよ。〝裏切り者の〟アニエス」
2人はそう言うと、人を殺すのではなかろうかと言う殺気を込めた視線を互いに送っていた。
えぇ、私、生きてこの方30年近くなりますが、殺気が見えるのではないかと錯覚したのは、生まれて初めてです。
無理、絶対無理、マジで無理。
何この2人の殺気だった空間!
膀胱の線が緩みそうなくらい怖い!
私がそんな事を考えていると、アニエスがふとニャスビィシュから視線を外し、私たちの方を見てきた。
その視線には、殺気は無いものの、どこか値踏みをするような冷たいものがあり、背筋を凍らせるには十分なものだった。
「ふむ、そっちの暗いのが、私の中の術式を解いてくれたようだな。その事に関しては礼を言っておこう」
彼女はそう言って、ハインツに頭を下げながら、「だが……、」と付け足しながら顔を上げると、再び殺気のこもった視線を今度は、ハインツに放っていた。
「貴様が私の中で見聞きしたものは、一切の口外を禁じる。破ればわかっているだろうな?」
彼女にそう言われたハインツは、泣きそうな表情で首を激しく上下に動かしていた。
いや、泣きそなと言うのは、語弊がある。
完全に泣いていた。が正しいだろう。
「では、ボリスだったか? 助けてもらった礼に何か1つ願いを聞いてやろう。ただし、私の気分次第で従うかどうかは決めるがな」
それって願いを聞くって言うのか?
などと野暮ったい事を思ったが、まぁいやがる事を言っても仕方ない。
「君がお願いを聞いてくれるなら話が早い。実は――」
私は、かねてからの腹案を彼女に話した。
もちろん、この腹案に関しては、事前にマルボルク伯からの許可は取ってある。
なにせ、かなり重要な任務なのだから。
「ふむ、確かにそれなら嫌とは言わぬ。飼い猫と一緒に居るよりは、百万倍マシだからな」
「ふん! どうとでも言うが良い。まぁ、貴様にはあの〝狂人〟がお似合いだとは、俺も思うがな」
お互いにそう言うと、また睨み合いを始め、ほぼ同時に「フンッ!」とそっぽを向いていた。
私からすれば、この2人も十分仲が良さそうに見えるのだが、まぁそんな下手な事を言って、睨まれたくないので、黙っておこう。
「では、私はこのままここを出るぞ?」
「準備も何もなしにですか?」
「もとより準備する程の物もない。あぁ、あと私に術をかけていた魔術師だが、精神世界で負けて逃げ出しておる。今頃、遠くへ移動しておるだろうが、暫くは戻ってくるまい」
彼女は、そう言うと身を翻して私たちの元を去っていった。
後日、ハインツが以前にもまして、部屋から出てきたがらなくなったのは、言うまでもない事だろう。
呆気ない最期ですが、第5部終了です。
次回幕間(精神世界の戦い)を挟んで第6部に突入します。
第6部は、最終戦です。
これまで以上の凄惨な戦いを描けるよう、R15をはみ出さないくらいの表現を目指していきたいと思います。
それでは、今後もご後援よろしくお願いしますm(__)m




