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臨場

 現場はパトカーと警官、それと野次馬で騒然としていた。

 緊張した面持ちの制服警官が、黄色いテープを張り巡らせて警戒線をつくり、野次馬をその外に押し出すのに忙しくしていた。

 ボクら三人は、そのテープを潜って現場に近付いてゆく。

 一人の制服警官が気が付いて、こっちに走ってきた。武装している者を見ると、制圧したくなって困る。キャンプの後遺症だ。

「こらこら、だめだよ、入っちゃ」

 などといいながら、警戒しつつこっちにくる。腰に拳銃を下げているのに、そのグリップに手もかけずに……だ。いかに、日本が平和なのか、そのことだけでもわかる。

「今から、この現場はウチの管轄になるから。臨場してるの、だれ?」

 慣れた手つきで、身分証を姫様がかざしながら言った。

「警視正……」

 制服警官がつぶやき、姿勢を正して敬礼する。

 ボクも身分証を見様見真似でかざしてみたが、姫様のように格好よくパタリと身分証は開かなかった。どうも、逆さまに出してしまったみたいだ。

 やり直すのも間が抜けているので、それをポケットに戻す。練習が必要なのかね? これって?

「組対の相葉課長です」

 しゃっちょこばって、制服警官が答える。

「そう。ありがと。野次馬はもっと下げてね。あと五十メートル」

 姫様はそっけなく制服警官に答え、背広姿の一団が固まっている場所に近付いてゆく。

組対そたいって、何です?」

 私は小声で斎藤に尋ねたが、答えは姫様から帰ってきた。

「組織犯罪対策課のこと。担当はヤクザとか、そんな奴ら。これくらい覚えておきな、間抜け。シャブ食ってる相手かも知れないんで、出張ってきたんでしょ」

 シャブ? まさか薄切り肉を湯に潜らせる料理の事ではないよな? 符牒や用語が特殊すぎて、よくわからない。今度、よく勉強しなくては。


 我々は、敵意あるいくつもの視線に迎えられた。

「おやおや、当麻のお姫様直々のご出馬ですか。近頃は『ポン中』相手もなさるのですかね?」

 目つきの悪い私服警官の中で、ひときわ目つきが悪い中年男性が、声をかけてくる。彼が、現場の指揮官である相葉課長だろう。柔道家のようながっしりとした体つき。髪は短髪でデッキブラシの様だった。

 それにしても、またスラングだ。ポン中? 

 軍事キャンプもそうだったが、特殊な環境を共有している者たちは、共通のスラングを使う。狼のハウリングと同じだ。同じ言語を使うことで、仲間との結束を無意識に確かめている。

 そういう意味では、ボクはまだ群れの中に入っていない。

「好き嫌いないのよ、私。けっこう悪食だし。あとは、こっちでやるから、皆さん引き上げてね」

 相葉課長の嫌味をさらりとかわして、姫様が言う。

 ぞわりと殺気が走った。ヤクザ顔負けの強面刑事さんたちが、無言で威圧してきたのだ。さすが、アジア有数の繁華街の危ない連中を担当する刑事さんたちだ。殺気はいっぱしだった。

「この現場はウチのだぜ、当麻さんよ。あんたこそ、すっこんでなよ」

 嫌悪を隠さず、相葉課長がすごむ。これは、ヤクザでもビビッてしまうだろうね。

 だが、姫様はため息をついただけだった。

「もう、違う。十秒以内に電話来るよ。ほらね」

 相葉課長の携帯電話が鳴る。彼は無言でその電話を耳にあて、無表情で聞いていたが、最後に一言

「押忍」

 とだけ言い、電話を切った。

「引き上げるぞ」

 無表情のまま、不満顔の部下を引き連れ現場を去る。

 怒りの残滓が、この場所にわだかまり、空気が帯電しているかのようだった。

「それじゃ、行ってくるわね」

 ポケットに手をつっこんだまま、無造作に姫様は雑居ビルの入り口に向かった。

「お……お待ちください。この者も、お連れくださいますよう、お願いします」

 斎藤が、黒猫に睨みつけられて怯みながらも、食い下がる。

「足手まとい」

 一言で切り捨て、姫様は歩みを止めない。

「ならば、仕方ありません。乳母様に連絡をとります」

 ピタリと、姫様の足が止まった。

「本気?」

 斎藤に背を向けたまま、姫様が問う。

「本気です」

 斎藤が答えた。声は毅然としていたが、腰は引けていた。

 ボクは、その様子をただ見ていた。『間抜け』とボクは姫様に呼称されていたが、本当に間抜けになった気分だ。

「面倒な……、いいよ、来な、間抜け」

 斎藤は安堵の溜息を吐き、ボクは少しこの現場に興味がわいてきた。


 その雑居ビルは、べっとりと安香水の匂いが染みついている様だった。

 狭くて汚いエレベーターは、露わな格好の女性の写真をあしらった風俗店のチラシが張ってあり、若い女性とこの空間にいるのは、気まずい感じだが、姫様は気にも留めていないようだった。

 もちろん、ボクも気にしていない。

「現場は初めてでしょ?」

 四階のボタンを押して、姫様が言う。

「ええ」

 何と答えていいのか、分からないので、ボクは曖昧に答えた。

「特殊事案で一番殉職率が高いのは、最初の現場だよ」

 いやにゆっくりと、エレベータは上がってゆく。

「今日、帰国したばかりで、何の説明も受けていないのですが、『特殊事案』って、何ですか?」

 ずっと、ボクとは視線すら合わさなかった姫様だったが、この時やっとボクをまじまじと見たのだった。

 吸い込まれそうな、闇色の瞳。久しぶりに、ボクは欲望を感じていた。


 『断末魔のその瞬間、この瞳には何が映るのだろうか』


「可哀想な男。死が救いなんだね」

 吐き捨てるように姫様は言い。ボクから視線を外した。もう興味が薄れたと言わんばかりに。

 この時にボクが感じた寂寞感は何だったのだろう?

 あまり、ボクが抱いたことがない心の動きだった。

「ついたよ。怖かったら、逃げな」

 四階。犯人が立て籠もっている店舗があるフロアだった。

 

 

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