闇色の眼
調布を出た車は、甲州街道を通って新宿に向っていた。なんで、合法・非合法胡散臭い組織は黒いバンを使いたがるのかよくわからないけど、映画やなんかだと大概そうだよね。
都市伝説みたいなものでもあるのかしらん。
ボクは、窓から、流れる景色を見る。
整備された道路。
美しい並木道。
そういえば、季節は春だった。桜が、風にはらはらと散って、なんだか胸を衝かれる様な風景だ。
「山本君?」
斎藤にそう呼ばれて、ボクは『山本』という名前になったことを思い出す。
「あ、すいません。桜に見とれてしまって……」
軍事訓練キャンプは地獄だった。景色といえば、岩と山と灌木と杉だけ。その景色すら生き残るのに必死であまり覚えていない。
だから、桜色の色彩が胸にしみたのかもしれない。ボクらしくない、感情の動きだった。まさか、ボクに望郷の念があったとはね。
「とても、説明しにくいんだけど、君はある方を守るのが仕事なのだよ」
ボクが蘇生した日、彼と小さなおばあちゃんが話していた『当麻の姫様』のことだろう。
たしか、ボクはその『盾』にふさわしいとか何とか話していたはずだ。
「なんて言ったらいいのかな? ええと、ずっと昔から続く古い家柄の当麻家にしか出来ない仕事があって、君はその仕事に随伴して、ある方が傷つかないようにお守りするわけだけど、その仕事が特殊でね。我々はこれを『特殊事案』と呼んでいるんだよ」
斎藤はなんだか、話しにくそうだった。「まいったなぁ」などと言いながら、ハンカチを出して、額の汗を拭っている。
「……で、その特殊な仕事というのが『鬼退治』なんだ」
ボクは、笑わなかった。呆れただけだ。斎藤はなんていった? 『鬼』?
「そのあたりは、モモタロウとか、ワタナベツナとか、サカタキントキとか、そういう人たちに任せた方が、いいんじゃないですか?」
斎藤はボクの皮肉を受けて、自分の額に分厚い自分の掌をぴしゃりと当てて、肩をすくめた。昭和のコメディアンじみた、古臭い仕草だった。
「ですよね。ですよね。呆れてしまうよね。私も最初は馬鹿にされているのかと思ったものです」
ボクの予想は、何か陰謀に関わることにボクが使われるのではないかということだった。その陰謀に、ボクの特殊な『交感神経β受容体異常』という極めて珍しい体質が必要なのだと思っていたのだった。
そうでないと、わざわざ死刑囚を蘇生させる意味がわからない。
それが『鬼』とはね。
「でもね、居るのですよ。比喩表現の『鬼』ではなく、本物が……ね」
凶悪犯罪の多くにはよく「鬼の様な所業」といった様な表現が使われる。
ボクの起こした連続殺人事件も、そんな書き方をされていた。たしかに、こいつは本当に人か? と、思わせる凄惨な事件も多い。
だが、表面に出たこうした事件の裏で、もみ消された事件もあるのだと斎藤は語った。それが、彼の言う『特殊事案』のことらしい。
「犯罪と結びついていることが多いので、警察と組むことが常なのだよ。本当かどうか私も知らないが、平安時代には、衛門府、弾正台、検非違使庁、鎌倉時代には六波羅探題、江戸時代には奉行所などの時代時代の警察機構と組んでいた記録があるらしい」
ますます、おとぎ話じみてきたようだ。ボクの興味は急速に薄れてゆく。今、ここで、斎藤を撃ち、二十四時間の自由を満喫して、その後に死ぬのも悪くない。ボクはそんなことを考えていた。
「ついた、ここだよ」
ボクが降りたのは、新宿警察署。東京第四方面本部に所属し、大繁華街である歌舞伎町や巨大ターミナル新宿駅を所轄する、日本最大の警察署だ。
斎藤は巨体に似合わず、身軽に正面玄関前の階段を上がり、長い棒を持って警備している制服警官に手帳を見せ、耳打ちする。
警官は、射抜くような目でボクを見て、ツイと眼をそらした。分かりやすい嫌悪の表情だった。ボクは、どうやら歓迎されていないらしい。
斎藤がボクを伴って向ったのは、新宿警察署の地下三階だった。
そこは、資料室や証拠保管室などがある階で、あまり人が来ない場所だった。その一角にパーテーションで仕切られた空間があり、ペラペラのドアがついていた。
斎藤は、彼が強く叩けばあっという間に毀れてしまうようなそのドアをそっとノックし、緊張感あふれた声でこう言ったのだった。
「姫様。新任の男を連れてまいりました。入室許可願います」
部屋の中から返事はなかったが、斎藤はノブを回してドアをあける。殺風景な空間だった。
官給品の灰色のスチール製の机が三つ。各机に電話が一つ乗っている。蛍光灯は古いのか、陰気なジジジという音を立てていた。
破れて中身が見える古ぼけたソファが壁際にあり、そこに一人の女性が眠っていた。
黒髪でショートカット。カーゴパンツにジャングルブーツを履いている。軍用のM-51シェルパーカを掛布団代わりに体にかけている。
「姫様、またこんなところで!」
斎藤が、寝ている女性に近づこうとして、足を止めた。
彼女のソファの下の暗がりから、緑色に光る二つの目が見えたからのようだ。斎藤は息を飲み、そっと後退する。
「何が……」
言いかけたボクを、掌を向けて制する。
「下がるんだ、ゆっくりと。大きな音を立ててはいけないよ」
シャアという唸り声が上がる。まるで、猫の威嚇声のようだった。
「まったく、勘弁してくれよ、斎藤伝鬼坊。いつになったら、私のことを覚えてくれるのやら。同じ斎藤姓ではないかね」
猫らしき、物陰の眼の主に斎藤が声をかける。
返ってきたのは、更に大きな威嚇声だけだった。
「変な奴連れてくるから、伝鬼ちゃん怒っちゃったんだよね」
眠そうな声。いつの間にか、ソファの上の女性は目を開けていた。漆黒の眼だった。虹彩のメラニン色素が多いのか、まるで黒に塗り潰されているかのような、闇色の眼をしていた。
ヒロイン出しました。
なんと13000文字打ってやっとです。
苦手ですけど、頑張ります。