帰国
ボクがなぜこの大きな銃を手に取ったのか、今でも全く分からない。
だけど、アーチャーはここで、この奇妙な凶器の博物館案内を終了した。
そして、彼は、ポケットから無線機の様な物を取り出し、こう言ったのだった。
「ミスター・サイトウ。彼は、選ばれたよ」
ボクは日本人で、銃には全く馴染がない。モデルガンとか、エアガンなどにもあまり興味がない人だった。だけど、この銃を「進呈するよ」と言われた時の昂揚感は、いったい何だったのだろう。
長い間、離ればなれになっていた肉親と再会した様な懐かしさと、渇望していたものをやっと手に入れた喜びとがないまぜになって、平坦なボクの心を満たしているかのようだった。
ボクは教わりもしないのに、ラッチを押して切落とした蓮根のような輪胴をスイングアウトし、滑らかにそれが回転するのを確かめていた。
手首を内側に捻って輪胴の重さでフレームに嵌め戻し、撃鉄を上げる。
そして、トリガーガードにひっかけていた指を、トリガーに添える。トリガープルを確かめるようにゆっくりと力を加え、カチンと撃鉄が落ちるまで、それを引いた。
次は、撃鉄を上げずにトリガーを引く。
ボクは、無意識にシングル・アクションとダブル・アクション両方の感触をテストしていたのだった。 まるで、ガンスミスのように。
「滑らかな手つきだね、銃を触るのは初めてかい?」
アーチャーが、柔和な顔のまま私に言う。
「ええ、ボクは外国に行ったことがないので、本物の銃は初めて触りました」
銃身を握り、グリップの方をアーチャーに差し出す。アーチャーは、そのまま持っていなさいと、ボクにその大きな銃を返したのだった。
「あとで、ショルダー・ホルスターをあげよう。たしか、この銃とセットになっていたホルスターがあったはずだ」
この銃の元の持ち主が使っていたホルスターだろうか? 多分、そうなのだろう。
小屋には、ソファに横になった大男と、青い顔をした残り二人の護衛、そして斎藤の姿があった。
「相棒が、決まったようだね。では、次はキャンプに向うよ」
額に浮いた油汗を拭いながら、斎藤が言う。この小屋で涼しい顔をしているのは、ボクとアーチャーだけだった。
「キャンプ?」
これは、飯盒でご飯を炊いたり、たき火を囲んでギターを弾いたりするキャンプではないよなぁと、思ったが、まったくその通りだった。
ボクが日本に戻ってきたのは、それから半年も後のことだった。予想通り、キャンプとは軍事訓練用のキャンプの事で、そこでボクはひたすら撃ったり、走ったり、殴ったり、殴られたりしながら過ごしたのだった。
まぁ、殴り倒されることが多かったのだけど、教官がまぁまぁというレベルまで、ボクは訓練をこなしたのだった。
ボクは、タバコも吸わないし、酒も飲まない。食事は、楽しむものではなく、活動エネルギーの摂取に過ぎないと考えていたので、過食などもない。
だから、軽いジョギングだけで、健康的な体型を保っていたのだけど、格闘技や兵士の肉体というのは、それだけでは足りないということを、思い知らされた半年だった。
キャンプの前、ボクの身長は百七十五センチ、体重は丁度七十キログラムだったのだけど、見た目はそれほど変わらず体重は八キログラムも増えた。
筋肉がついたということらしい。
そういえば、元の服装では、腿のあたり、上腕筋のあたり、胸囲が少しキツくなったような気がする。
ボクはまた、ガルフなんとかという名前の自家用ジェットで帰国した。
到着したのは調布市にある飛行場で、大島や三宅島などの島への航路がある都営の飛行場だ。小型旅客機に紛れて着陸し、例によって入国審査もない。
普通の空港なら大騒ぎになっていただろうね。なにせ、ボクが着用している背広の下には、攫ってきた人間を原野に放し、獲物の様に狩っていた殺人鬼スチュアート・ヤンセンという人が使っていた革製のショルダー・ホルスターがあって、そのホルスターには彼の愛用のS&W M29という大きな拳銃が収められているのだからね。
ボクに用意されていた服は、濃紺のスーツの上下。白いワイシャツ。ラバーソールの黒革靴。青と灰色のストライプ模様の地味なネクタイ。そして、黒縁のメガネだった。
メガネは、度の入っていない伊達眼鏡だ。理由はわかる。顔の印象をぼやかすため。
就職活動でもしているような服装も同様だ。都心部の雑踏なら、ダーク・スーツは都市迷彩同様に目立たないから。
もともと、ボクは目立った外見ではないし、こんな地味なサラリーマン風の男が、まさか、世界一有名な四四口径の大型拳銃を吊っているとは誰も気が付かないだろう。
空港で待っていたのは、斎藤だった。まさか彼の顔をみて、故郷を実感する日が来るとは思わなかった。
「長旅、ごくろうさん。さ、こっちへ」
予想通り、黒色のバンが空港に停まっていて、ボクはそこに導かれた。
「とても、優秀だったと聞いていますよ」
斎藤が、笑みらしきものを浮かべながら言う。そして、運転手に出せと指示を出した。
ボクについた教官は、ボクを罵る事しかしなかったので、その評価は意外だった。まぁ、斎藤が話の接ぎ穂で、適当に言ったのかもしれないけど。
「これ、あなたの身分証です。これが、スマホ。あと、解毒剤は飲みましたか?」
ボクは、しげしげと身分証を見た。新聞や雑誌をにぎわせた殺人鬼は、新たに『山本 和夫』という人物になったのだった。山本和夫は、警視庁に所属する総務部の巡査部長らしい。まったく、何をこれからボクがやらされるのか、意味が分からない。
「解毒剤は、飲みました」
免許証、警視庁総務部総務課巡査部長の身分証、保険証、財布などを、背広のポケットに収めながら、答える。
ボクは一日一回解毒剤を飲まないと、アレルギー反応で呼吸すら出来なくなる物質を服毒させられている。
もともとボクは凶悪犯罪を起こした殺人鬼だ。それが、銃社会アメリカでも連邦捜査官が所持を制限されるほどの強力な銃を持っているのである。野放しには出来ない。
そのための、見えない鎖がこの解毒剤だ。仮にボクが逃亡しても、二十四時間の命というわけだ。ボクはボクに山本和夫という名前を与えた人々から、離れることが出来ないのだった。
わざと逃亡して、一人で死を噛みしめるという選択肢がないわけでもなかったが、余生となった今の自分の人生がどうなるのかという好奇心の方が勝っている。
死ぬのは、いつでも出来る。今は、その時ではないというだけだ。
「よろしい。では、山本君。君の任務を説明しよう」