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エピローグ

 ボクは死刑囚だった。

 そして、死刑は執行された。

 でも、気が付いたらベッドの上に居て、当麻の姫様・奈央の肉の盾として、戦うことを強制されたのだった。

 どうやら、それも終わるかという思いがあった。

 ボクは、二十三人の、何の罪もない人々を殺した。

 それが良い事か悪い事かぐらいは、言われなくても分る。

「なんで、人を殺してはいけないんですか?」

 という質問にどう答えるかという事が教育の現場で議論されたことがあるそうだ。

 実に馬鹿げている。もしも子供がそんなことをしたり顔で聞いてきたら、一発ぶん殴って、


「ならぬものは、ならぬ」


 ……と、言ってやればいいのだ。

 ボクは、その「ならぬ」ことを知りながら、殺しを繰り返してきた。

 だから、ボクは残酷に死ななければならない。

 地べたを血まみれ泥まみれでのたうちまわりながら、「ファック!ファック!」と喚きつつ、醜く死ななければいけない。

 それを、奈央の顔を思い浮かべながら死ぬとは、許されない事だ。


 ただ、静かだった。

 鼓膜が破れたのかもしれない。

 遠くで、何かが聞こえていたけど、ホワイト・ノイズにかき消されて、聞き取れない。

 ただ、寒かった。

 きっと、大出血をしていて、体温が急激に下がっているのだろう。

 ボクの体は、ボクの意思にかかわらず、生命を維持しようと最後まで頑張る。

 欠乏した血液を主要器官に集め、手足の様な末端の血流を押さえる働きを行う。これも、一つの生命の足掻きなのだろう。

 救いようもない破滅願望と、殺しにまみれているのが人間という生き物だけど、この誰にでも等しく訪れる現象は、美しい。


「まだ、終っていないよ!」


 突然、奈央の声が耳に飛び込んできた。

 新宿歌舞伎町での初めての臨場の時、鬼の現世での憑代よりしろを壊した際、奈央がボクに言った言葉だ。

 この世界に干渉するために、「鬼」はアバターともいえる者に憑依する。

 それを破壊されると、漂う精神体になる。そうなると、幽霊みたいなもので、この世界への干渉は、大きく制限されることになるのだ。

 そして、こちらから触れることも出来なくなる。

 例外は、奈央が編む『砲』。

 その身に縫いこまれた『鬼』を解きほぐして、当麻の者だけが遣える何らかのエネルギーの爆発に、指向性をもたせるのだ。


「勝手に死ぬな! たわけ!」


 奈央の声がする。

 同時に、何かが、ボクの体に流れ込んでくる。

 カスタマーセンターで、解きほぐされた腕の紋様が、禿親父の脳に滑り込むのを見たけど、それと同じことがボクに起きているらしい。

 胸に激痛が走った。

 ボクの視界に、わーんと黒い虫が飛んでいる。

 極度の貧血状態だと、こういう現象が起こる。

 ボクは呼吸を忘れていて、今やっとそれを思い出す。

 噎せる。そして、貪るように空気を吸う。

 すると、急に視界が戻り、黒い虫が消えた。

 明け方の空が見える。

 嗅覚も、聴覚も戻ってきた。

 焦げ臭い匂い。また、スーツはボロボロになっている。

 キーンという耳鳴り。奇跡的に、鼓膜は無事だったらしい。

 ボクは、爆発に巻き込まれ、死んだのではなかったか?

 空を遮って、奈央の顔が見えた。

 ボクにのしかかるようにして、見下ろしている。

 雨が降っている。

 いや、これは、奈央の涙だった。温かい慈雨のように、顔に降り注いでくる。

 ボクの胸に奈央の紋様が潜り込んでいた。

 それが、脈動している。

「心臓マッサージしながら、破損した内臓を修復しているところだ。動くでないぞ」

 古臭い言い回し。

 奈央は落ち着いた声を出しているが、動揺している証拠だ。

「奴の憑代を壊してやりましたよ。仕留めましたか?」

 やっと、声を出す。この報告をしたかったのだ。今ここで死ぬにせよ、生きるにせよ、これだけは言っておかなければならない。

 まるで、老人のような掠れ声しか、ボクは出せなかったけれど。

「仕留めた。よくやったぞ、山本」

 涙で、奈央の顔がぐちゃぐちゃだった。

 鼻水まで流れているが、それでも彼女は美しい。気取った顔より、むしろ今の方が、美しいとボクは思う。

「死なせないからな。死ぬことはゆるさんぞ」

 ボクの額に、自分の額をこつんと当てながら、奈央が言う。

 ふわりと、松脂に似た彼女の体臭がした。彼女の高い鼻梁がボクの鼻に当たって気持ちがいい。

「ええ、あなたがそう言うなら」

 そこで、ボクの意識は途切れた。

 あ、そうか、ここはキスする場面だったか。惜しい事をした……



 警視庁の訓練所が中野区にあるのだが、そこには、射撃の術科のシューティング・レンジがある。

 SITの訓練所も兼ねていて、突入訓練などもここで行うらしい。

 堀田巡査部長もここで、訓練したそうだ。

 彼女は、あの戦闘で生き延びていた。と、いうか、一発も拳銃を撃たず、かすり傷一つ負っていない。

 犯罪者のアジトに入ってしまった時も、彼女は運よく襲撃を逃れた。

 すごい強運の持ち主なのかもしれない。今度、宝くじでも買ってもらおうか?

 ボクは、一週間の入院で退院出来た。

 新宿御苑での負傷の時もそうだったのだけど、医者も首を傾げるほどの治癒力で、ズダボロにされた体は驚異的な速さで治癒したのだ。

 風間と斎藤はまだ入院中だ。

 彼らより、ボクの方がよっぽど深い傷だったのだけどね。

 ボクは、身分証を警備担当の巡査に見せて、訓練所に入ってゆく。

 ここに、どうしても会わないといけない者がいるのだ。

 単独で来たのは、奈央に関わらせないため。

 今から、ボクがやるのは、ボクにふさわしいダーティ・ワークなのだ。

 

 射撃音がしていた。

 シューティング・レンジに一人の男がいる。

 SITの係長の根岸だった。

 堀田巡査部長の直接の上司だった人物で、桜田門にある第二合同庁舎の喫茶室で顔を合わせた人物。

 使っている拳銃は、SIG P230だ。

 ザウエル社が、日本用に特別生産している銃で、十五年前頃から警視庁で採用され、SPや機動捜査隊に支給されている。機動捜査隊出身の根岸も、こいつを愛用していた。

 根岸の行動パターンは、堀田巡査部長から聞き取っていた。

 一週間に一度、ここに来て銃の訓練をすることも、掌握していたのだ。

 耳の保護とゴーグル。規程通りの装具で、根岸が発砲していた。

 手元のボタンを操作して、標的を引き寄せている。集弾率はかなり高い。日本の警察官にしては、根岸はいい腕をしている。

 ボクの顔を忘れてしまったのか、チラっと視線を送っただけで、彼はボクを無視した。

 私生活でも、こうした事が多い。

 どうやら、ボクの顔は記憶に残りにくいらしいのだ。

 根岸は、新しいマガジンを嵌めようとしていた。

 ボクは、その腕をやんわりと押さえて、マガジンチェンジをさせなかった。

 いつの間にボクが接近していたのか、察知できなかった根岸がギクリと身を固くした。

「危ないじゃないか、貴様……」

 そこで、根岸は言葉を切る。

 ボクが、背後から彼の首を絞めたからだった。

 同時に、彼の蟀谷こめかみにゴリッとM29の銃口を押し付ける。

「知っているかい? 根岸警部。 こいつは、四四マグナムといって、世界一強力な銃だよ。なんと、百メートルの距離で、硬いバッファローの頭蓋骨を舎利しゃりにしてしまうんだ」

 ボクがそう言いながら、左腕を根岸警部の首に巻き付け、更に銃口を強く押し付ける。

 その意味を悟ったか、彼はゆっくりとSIG P230 を台の上に置き、手を上げた。

「どうも、ボクの事をお忘れみたいなので、改めて名乗っておきますね。新宿署特殊事案対策課の山本です。思い出しました?」

 わかる。彼は今、恐怖した。恐怖には、匂いがあるんだよ。

「質問に、どうしても答えてほしいんですが、まぁ、あなたにも事情があるんでしょうからね。チャンスをあげます。ボクとゲームをしましょう」

 彼の首を絞めながら、片手でM29のシリンダーをスイングアウトさせ、一発だけ銃弾が装填されているのを、見せる。

 その時点で、締め上げていた腕を緩める。

 根岸が、咳き込む。

 汗が、首に流れていた。

「誰に、奈央の居場所を知らせたんです? それを教えてもらいますよ」

 根岸が、唸るような声で答える。

「知らん。貴様、こんな事をしてタダで済むと思うなよ」

 はは……。いいね、この期に及んで、恫喝とは。

「山本式、ロシアンルーレット」

 根岸の恫喝には答えず、ボクはゲームを宣言した。

 緊張で根岸の背中が強張っていた。

「ルールは簡単。連続して五回引鉄を引きますから、生き残った方が勝ちです」

 そう説明しながら、シリンダーをカラカラと回す。

「それじゃ、ボクが先攻でいきますね」

 根岸が横目で見れば、シューティング・レンジの強化ガラスにボクの姿が見えるだろう。

 ボクが、自分の蟀谷に銃口を向けていることも。


 …… ガチン、ガチン、ガチン、ガチン、ガチン ……


 連続で引鉄を引く。五回、空撃ちの音がした。

「やめろ!」

 根岸は喚いたが、勿論ボクはやめない。

「ボクってば、すごい、幸運だね。さあ、今度は根岸警部の番ですよ」

 カラカラとシリンダーを回す。

 そして、撃鉄を起すと正しい位置でシリンダーは止まった。

「やめろ! 気でも狂ったか!」

 根岸が暴れた、ボクはそれをガッチリと抑え込んでいた。


 …… ガチン ……


 空撃ちの音。ビクンと根岸の体が硬直した。


「誰に、奈央の居場所を伝えたんですか?」

 急に震えだした根岸の耳に、ボクは囁く。

「知らん。何のことか―― ひっ」


 …… ガチン ……


 二発目の空撃ち。

 言葉の途中で、根岸の言葉は小さな悲鳴に変った。

「誰に、奈央の居場所を伝えたんですか?」

 根岸の首に汗が流れていた。

「やめろ! やめてくれ――わあっ」


 …… ガチン、ガチン ……


 二回連続で引鉄を引く。

 空撃ちの音が二回。根岸は、気絶寸前だった。

「誰に、奈央の居場所を伝えたんですか?」


 四回空撃ちだった。

 次が空撃ちなら、根岸は生き残る。だが、恐怖に耐えられるかな?

 カチリと音を立てて、撃鉄を起す。

「言えない。言えば、私は、殺されてしまう」

 裏返った声で、根岸が言った。


「なら、今、死ね」


 …… ガチン ……


 また、空撃ちだった。

 根岸が、笑い始める。

「わかったぞ。あの弾は偽物だな。くそ、小細工しやが――」

 ボクは、M29を正面に向け、標的を撃った。

 四四マグナムの重い射撃音。

 十メートル先にある人間のシルエットの標的の頭部に、ボコリと大穴が開いた。

 根岸がへたり込む。

 もう、抵抗の意思は消えてしまったようだった。

 ボクは彼の前で、シリンダーをスイングアウトさせ、硝煙漂う銃弾を床に落とした。

 そのうえで、一発装填する。

 手首のスナップだけで、シリンダーを振り戻し、カラカラと回転させた。


「さぁ、第二回戦ですよ」


 …… ガチン、ガチン、ガチン、ガチン、ガチン ……


 自分の蟀谷に銃口を向けて、立て続けに引鉄を引く。五回の空撃ち。


「次は、根岸さんです」


 彼の顔は、もう紙の様に白かった。




 ニュースは女性の国家公安委員長の自殺事件で持ちきりだった。

 根岸がウタったのは、この女の名前だった。

 ボクはそれを斎藤に伝え、斎藤は当麻の本家にそれを伝えた。

 その後の事について、ボクは関知していない。

 ボクの役目は奈央の盾。奈央に直接影響があったので、ボクはそれを排除する道筋を作ったに過ぎない。

 

 新宿署の地下に向う。

 ソファで奈央が眠っていた。

 その足元で、黒い毛玉がボクをみて「にゃぁ」と鳴いた。鳴き声でわかる。こいつはボクを馬鹿にしている。

 奈央の護衛を気取っているくせに、肝心な時に居なかった分際で、生意気な猫だ。

 机が一つ増えている。

 そこには、放心状態の堀田巡査部長が座っていて、みかん味のお菓子を握っていた。

「本社から、所轄に……左遷なの?」

 などとぶつぶつ言っている。彼女は、特殊事案対策課に異動になったのだ。

「なんか、大量のみかん味のお菓子が机にあるんですけど、なんですか? これ?」

 カガリちゃんの攻撃だ。

 女性がここに来ると、カガリちゃんは、みかん味のお菓子で攻撃する癖がある。

 そういえば、ボクは未だにカガリちゃんの姿を見ていない。

 そのくせ、いつの間にか、メモやお菓子が置いてあったりする。

 本当に、妖精か何かなのかも知れないと、ボクは思い始めていた。


「うえ……マズ……」


 みかん味のお菓子を一口食べて、堀田巡査部長が思わず吐き出していた。

 

 堀田巡査部長が、ボクに気がついて、顔を輝かせる。

 医院での一件以来、妙にボクに懐いている様子だ。なぜなのか、全くわからない。

「あれ、やってくださいよぅ」

 と、ねだられる。

 ボクは、M29のシリンダーから、弾を全部抜いて、薬室の一つに紙を詰めた。

 そのうえで、カラカラとシリンダーを回す。

 堀田巡査部長は、くりくりとした小動物めいた眼で、穴が開くようにシリンダーを見ていた。

「四番目」

 彼女が言う。

「五番目ですよ」

 ボクが応じた。

 空撃ちする。

 五回目の空撃ちで、銃口からポロリと丸めた紙が転がり出る。

「なんで? どんなトリックか、わからない」

 堀田巡査部長が悔しがる。

 ボクは、その仕掛けを教えない。

 タネは実は単純だ。

 シリンダーの回転音で、シリンダーが何回転したか、ボクは正確に当てられるのだ。


 奈央が薄目をあけ、その様子を見てひらりと笑った。

 そして、ボクの机の上には、いつの間にか、なっとう味のお菓子が置いてあった。



   ==== 退魔の盾( 了 )====


 これにて、『退魔の盾』終劇であります。

 一年の長きにわたり連載しました作品でありますが、最後までお付き合い下さいました皆様には、感謝の念しか感じません。

 本当にありがとうございました。


 活動報告でも触れましたが、実は結末を変えています。

 本当は、主人公の山本は死ぬことになっておりまして、映画の『灰とダイヤモンド』ばりの救いのないラストを迎えるプロットだったのです。

 しかし、「ヒロイン書けない病」克服企画だったにもかかわらず、ちっとも克服していないことに忸怩たる思いがありまして、続編作成に踏み切った次第であります。

 ゆえに、後半は腰砕け感が否めませんが、皆様におかれましては、壮大な習作と思し召し、ご寛恕くださいますようお願い申し上げます。


 私の師匠(と、勝手に私が思っている)筋であります、赤井様におかれましては、素敵なレビューを頂きました。宝物であります。

 頂いたご感想、ご評価、ブックマークも全て、宝物であります。

 本当にありがとうございました。

 感謝。合掌。


---追記---

伏線回収につきましては、次回作で行うこととします。

ドタバタですいません。


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