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最期に浮かぶ顔

 本来の退魔師。

 廃校の地下に封印されていた、奈央の双子の姉妹である美央を思い出す。

 斉藤の説明だと、我が身を犠牲にして、その身に『大災厄』という強大な鬼を封じたということだが、それに奈央が関連しているといいことだろう。

「そう。あの忌々しい美央とかいうメス犬が、本来の退魔師。当麻家は、双子が生まれる確率が異様に高く、姉か兄には従来の退魔師より大きな潜在能力を持つ傾向があるのだよ。逆に、妹や弟には、微かな能力しか伝わらず、鬼を惹きつけるための囮として使われることが多い。それが、『にえ』という仕組み。当麻家二千年の歴史だよ。反吐が出るよね」

 周囲では闘争の気配が激しくなってきた。

 あの、うすら禿の気色悪いペド野郎のキモ男アシヤンですら、一流格闘家なみの動きをした。

 先に確保したタムラの様に体格に恵まれた者ならば、もっと上手に身体を操作することだろう。

 『児取鬼』の追随者や信奉者が何人生き残っているのか知らないが、数で押しているはずの機巧人形たちが、徐々に討ち減らされているのは、確実の様だ。

 ボクに続き、御剣老人と風間が外に出てきたのが、それを裏付けていた。

 奈央はまだ、術式展開に専念しているのだろうか? 医院の中から出てくる気配はない。

 斉藤は武器が拳銃。医院に籠り、迎撃する気だ。

 堀田巡査部長は……まぁ、戦力としては考えない方がよさそうだ。

 頑張って生き残ってほしいものだね。幸運を祈るよ。

「君は知らないだろうけど、実はこの国は、二度滅びかけたのだよ。『大災厄』の具現だね。この国の愚かな大衆にはびこる破滅願望の大きさを、君はしらないだろう。いや、この国だけではないな。人間全体ということかな」

 わかる。人間は愚かだ。自らの住まう世界を穢し、他者を押しのけて拡大し、殺しの連鎖によって生命を維持する。

 植物という生命を殺して草食動物が生き、それを肉食動物が殺して生命を繋ぐ。考えてみれば、生命の営みとは死にまみれているではないか。その残酷な現実から眼を逸らせたくて、人は宗教というものを作ったのかもしれない。

 恐怖という感情も、「死を直視したくない」という精神の揺らぎによって、もたらされるのだと、ボクは思うのだ。

 人々は救いを求める。宗教に傾倒する者も、無神論者も等しく。

 ボクは、それを観察してきた。救いとは忘我の果てにある、まばゆい光。

 だが、光が強烈であればあるほど、闇の色も濃くなるものだ。この闇こそ、斎藤が『鬼』と呼び、奈央が忌避して『アレ』と呼ぶ存在なのだろう。

「この国を憎悪する者が政権を執った時に、巨大災害が発生したのは、偶然じゃないんだよ。当麻一族は、この国の中枢と結ぶもの。その絆が薄まった時こそ、我らが跋扈する好機なのさ」

 なんだか、くだらない都市伝説レベルの話だ。

 かつてのボクなら「へぇ、そうなんだぁ、すごいねぇ」と答えて、以降無視するところだけど、この数ヶ月で色々なモノを見てしまった。

「陰謀論は、もう結構。奈央の話の続きを頼むよ。君が撃たれないのは、その情報を持っているからなのを、お忘れなく。ボクには興味がないんだよ。この国がどうなろうとね」

 そう、ボクはボクのためにしか動かない。

 奈央を守ろうとするのも、自分がそうしたいと思っているからだ。

 国とか、社会正義とか、関係ないし、興味もない。

「そうそう、それでこそ、君だよ」

 楽しそうに『児取鬼』が笑う。


 ―― ああ……面倒くさいなぁ。もういいか……


 ボクが考えたのは、そんなことだ。奈央の秘密を知りたかったのだけど、どうもコイツとは『波長』とやらが合わない。


「おおっと、怖い、怖い」


 半歩『児取鬼』が引く。一瞬だけ、彼とボクの間の空間がボヤけた。

 彼の言うところの『火種ひだね』が撒かれたのだろう。爆弾と化す鬼火。それが、コイツの能力だった。

 指向性があるのか、それとも鬼火を中心に放射状に圧力が拡散するのかわからないけど、ボクはその破片を浴びて、死にかけたことがある。

 また、入院するのは面倒なので避けたいところだ。

 ボクの殺意が緩まったのを察したか、『児取鬼』がニヤリと笑った。

「勘もいい。あの方が、君を欲しがる理由が、少しわかったよ。条件だって、破格なんだ。君には、『永遠の探索の旅』が約束されているのだからね」

 ボクは恐怖の概念を通じて、生命の輝きを探求する者だった。

 彼の申し出を受ければ、ボクは鬼の眷属となり、永遠の命を得て、好きなだけ殺しを続けることが出来るというわけか。さしずめ、ボクは『恐怖を探求する概念の具現体』となるわけだね。

「君は、人間よりも、むしろ我々に近い存在だって、知っていた? 人間は精神の内部に敷かれた境界線を越えることが出来ないのだけど、あの嵐の夜に、君はそれを踏み越えているんだよ」

 嵐の夜。ボクの初めての殺し。

 叫ぶような風の音。

 ガタガタ鳴る家。

 脅えた寝たきりの老人の白く濁った眼。

 放電音がする陰気な蛍光灯の光。

 埃と黴の匂い。

 ラップフィルムで塞がれた口と鼻がひしゃげる様子。

 ああ……動かないはずの脚が、死の恐怖に突き動かされて、ビクンと震えていたっけ。

 素晴らしい体験だった。

 あれが、永遠に続くのか。

「君にかけられた病の呪縛なら、心配しなくていい。あんなもの、簡単に解けるよ。あれは、君にかけられた、強力な暗示に過ぎないのだからね」

 その呪縛をリセットするために、一日一回支給される薬は、いわゆる偽薬プラシーボだ。実態は単なるビタミン剤。それは分かっていたけど……。

「ああ、奈央だね。わかるよ。我々を妙に惹きつけるよね。そういう血なのさ。彼女は『贄』だからね。ならば、こうしよう。我々と共にくるなら、奈央を君に進呈するよ。何なら、彼女の双子の美央も君の物にしていい。好きなだけ双子をオモチャにすればいいさ。抜け殻など、我々には必要ないからね」

 懐柔するための提案だったのだろう。だけど、この提案は陶然としかけたボクの思考に冷水を浴びせることになった。

 コイツは、分かっていない。

 ボクが奈央に執着しているのは確かだ。それは認める。だけど、玩具の様に、なぶったり、凌辱したり、こねくり回したり、そんな事をしたいわけではないのだ。

 ボクは連続殺人犯人だけど、快楽のために殺しを続けたわけではない。恐怖や生命といった、あやふやな物を探求したいという欲求に従っただけ。

 信じてもらえないかも知れないけど、ボクは殺した人々に敬意を払っていた。恐怖を引き出すために、切りとった指を食べさせたり、眼球を抉り取ったりしたけれど、必要以上の暴行は加えていない。

 そして。探求が終われば、これ以上の恐怖を味あわせないために殺したのだ。慈悲をもって、速やかに。

 奈央は、美しい。

 容姿も美しいが、精神が美しい。

 ボクは今まで多くの人々を殺してきたけれど、奈央ほど黄金の輝きを放っている者はいなかった。仄昏く冷たい水底に棲んでいるボクにとって、奈央は焦がれてやまない光なのだ。

 だから、ボクは最大限の敬意を払って、探求に挑むつもりだ。その時がくれば。

 その決意を、『児取鬼』は下司なもので穢した。それが、許せない。こいつは、今日消滅させてやる。

 ボクの中で、それは確定事項だった。


「結論は分かりきっているけど、一応聞くね。誓約は、言霊。言霊はとても貴くて重いんだよ。さあ、声に出して言ってくれたまえよ。『私は人をやめます』とね。もともと、君は殺人鬼。とっくに人じゃないのだから、平気でしょ?」


 多分、この時ボクは、陽だまりの中を散歩している時と変わらない顔をしていたと思う。

 『自分は、他の人と違う』

 そう意識した時から、ずっと自分を偽装することに傾注していたのだから。

 でも、ボクはこの時、激怒していたのだ。だが、超自然的存在である『児取鬼』ですら、気が付かないほど巧妙に、感情も表情も脈拍すらコントロールしていたのだった。


「当麻の姫様、奈央って女は哀しいよね。死ぬためだけに生きて来たのに、肝心の時に足がすくんじゃってさ。その償いなのかどうか知らないけど、許容量をはるかに超える鬼を体に飼ったり、必死になって体術を学んだり。生命エネルギーに余裕がないから、必要な時以外は、眠って過ごしているんじゃないのかい? オーストラリアのコアラだっけ。体内のユーカリ毒を分解するために体力を使うから、眠ってばかりいるんだってね。それに似ているよね」


 俺の目の前で『児取鬼』が笑っていた。

 嘲笑だった。奈央が侮辱されていた。それでも、ボクは殺意をもらさなかった。それどころか、ボクも一緒に笑っていた。

 だから、ボクが左手をすいっと伸ばして『児取鬼』の胸倉をつかんでも、奴はそれが何を意味するのかよくわからなかったようだった。


「ぺらぺらと、よくしゃべる野郎だな。うんざりだよ」


 そのまま、『児取鬼』を引き寄せる。

 ボクと奴は殆ど体が密着するような格好になっていた。


「なんだっけ? 『言霊』だっけ? 声に出すんだよね。言ってやるよ」


 ここに来て『児取鬼』のスカした表情が変わった。なぜ、ボクが体を密着させたのか、理解したのだろう。


「お断りだ。もう一度言うぞ。お・こ・と・わ・り だ」


 『児取鬼』の小鼻に皺が寄る。朱を引いたようななまめかしい唇が、きゅうっと上がって歪む。般若の面の顔。奴の顔がそれになった。

「全てが手に入るというのに、愚か者め。奈央も手にはいるのだぞ」

 すごい力で、ボクを突き放しにかかったけど、ボクは離れなかった。

「奈央にどのタイミングで何をするか、ボクが決める。君らに与えられるまでもないよ」

 必死になって『児取鬼』がボクの腹を殴り、頭突きまでかまして、振り払おうとしていた。

 まるで、ヘビー級のボクサーのボディブローを喰らったような衝撃。頭突きでボクの伊達眼鏡は割れて、地面に落ちて行った。鼻の軟骨は潰れたかもしれない。

 ボタボタと鼻血が滴って、ワイシャツを汚していた。

「欲望に忠実な者とばかり接していたから、ボクを見誤ったな。確かにボクは境界を踏み越えたクズだけど、貴様らとは違う」

 もがく『児取鬼』の腹にゴリっと押し付けたM29のトリガーを引く。


 一発、二発、三発、四発、五発!


 立て続けに撃つ。血塗られた呪われた銃、ボクのS&W M29。曰く因縁がある銃だけが、『鬼』を穿つことが出来る。

 世界一強力な銃弾が、立て続けに『児取鬼』を貫く。

 内臓は、ドス赤いドロドロのオートミールになっただろう。

 慣れ親しんだ体だったのだろうが、これでこのスカした野郎ともおさらばだな。くそ鬼め。

 ボクが『児取鬼』の呼びかけに応じたのは、極限まで距離を詰めるため。

 彼奴の鬼火は爆発。

 そして、彼奴はその爆発によって生じたエネルギーを、移動手段に使っていた。

 本体にも、物理的な影響があるのだ。

 ならば、密着すれば、ボクを殺害するほどの爆発は、本体も傷付けることにならないか? そう思ったのだ。

 ゴボゴボという泥濘をかき混ぜたような声で、『児取鬼』が喚く。


「何を言っているのか、わからないよ」


 ボクはそう答えて、彼を左手だけで引き寄せて、体を捻りながら腰に乗せる。

 柔道で、襟をつかんだ『釣手』だけで背負投げをする技法があるが、それの逆回りバージョンだった。

 投げを打つ途中で、わざとカクンと膝を折る。

 頭から地面に叩き付けるためだ。受身うけみなど、取らせるつもりはない。

 アスファルトの地面に、顔面から『児取鬼』が激突する。

 彼奴の体重と投げる勢いを全て乗せた衝撃。恐らく、頸椎は折れただろう。


「ざまぁ見ろ」


 そう思うヒマもなく、ボクは光に包まれた。

 この体を捨てると決めた『児取鬼』が、自爆覚悟で鬼火を作動させたのだ。

 彼奴がばらまいた『火種』。それが一斉に爆発する。

 ボクは、その爆心地にいた。

 

 ――― 光


 ――― 衝撃


 ――― 激痛


 それらが、どっとボクに流れ込んでくる。

 だけど、ボクの脳裏に最後に浮かんだのは、寂しそうに笑う奈央の顔だった。


「あなたの念願の敵。仕留めましたよ」


 そう彼女に伝えられないのは、残念だ。とても残念だ。


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