贄(にえ)
あちこちで、闘争の気配がしていた。
小さな町内会程の規模の町。人口がどれくらいなのかよくわからないけど、少なくとも百人はいるだろう。それらが、この医院を目指して押し寄せる『児取鬼』の信奉者や追随者と戦闘を始めたのだ。
信じがたいことだけど、ここの住民は全て機巧人形で、全てが奈央のために戦うよう、プログラムされているらしい。全部が、死の恐怖を感じない人形なのだ。
これらの起動キーとなるのは、何度か目撃した奈央の右腕の紋様。これは、彼女の右腕に縫いこまれた異形のモノの成れの果てで、解け、伸長し、形を成す。
ある時は、砲身に。ある時は、鍵に。相手の体の中に滑り込ませるなんてことも出来る。
とても便利な代物だけど、誰でも出来るってわけではなく、平安の昔から鬼のような異形と関わり続けてきた当麻一族だからこそ出来る外法なのだという。
奈央のために、腕に縫いこまれた異形は使役されるが、その代償はある。
ボクには、よく理解できないけれど、斎藤から聞いたところによると「魂を喰われる」ということだ。
いわゆる概念にすぎない『魂』とやらを、どうやって対価として支払っているのか、仕組みがよくわからない。ゲームのように、数値化されたデータがあるわけでもないのにね。
とにかく、その仕組みに従って、この町に隠された術式が展開された。
理解していないのは、多分ボクと堀田巡査部長だけ。
『児取鬼』側は、すぐに異変に気が付いたはず。
この町全体が罠であることも、理解しただろう。だが、退く気配はない。今が決戦の機と、考えたのかも知れない。
そういう意味では、兵力を低く見せ、自らを囮とした奈央の戦術は効果的だったと言える、がっちりと、喰いついたのだからね。
ボクの事を『児取鬼』が呼んでいる。
応じる義務はないけれど、労せずして接近できる好機ではある。
空間を爆発させ、その爆圧で跳ぶといった術を使いやがるので、銃で戦うボクとは相性が悪いのだ。回避すら出来ない距離で四四マグナムを叩き込めれば、それにこしたことはない。
「ダメよ。行ってはダメ」
奈央がボクに言う。
ようやく彼女に『児取鬼』の声が聞こえたのだろう。斎藤も風間も御剣とかいう爺さんも、勿論、堀田巡査部長にも聞こえなかったのに、さすが当麻の姫様だ。
「どちらにせよ、我々は包囲されていますからね。隙をみて打って出るのもいいと思いますよ」
S&W M29 を握り直して、ボクが答える。
「アレに心を寄せてはいけない。取り込まれてしまう」
どれほどの苦痛が、彼女を襲っているのかわからないけど、顔色が悪いし、声も掠れている。手術したばかりの体なのだから、当たり前といえば当たり前だけど。
だからこそ、ボクは短期決戦を望んでいる。
この『隠し砦』とやらが、彼女に負担をかけているのは確実だからだ。
「大丈夫ですよ。行って、撃って、帰ってきます」
奈央の制止を振り切って、医院の外に出る。
手にはM29。弾は六発込めてある。さあ撃鉄は上げよう。引金に指をかけよう。
猟奇殺人犯によって使われ、べっとりと血にまみれたこの銃は、元・殺人鬼であるボクの手にわたり、『当麻の姫のための盾』として戦っている。
路地で金属バットを振り回している少年の姿があった。
見上げるほどの大男に果敢に立ち向かってゆく。
空手の三角跳びの要領で壁を蹴った大男が、身軽に回転し、丸太の様な脚を金属バットの少年の頭頂に叩き下ろす。
少年は、頭を胴体にめり込ませて倒れた。
頭はバックリと割れていたが、血と脳漿の代わりに、得体の知れない黒い液と発条や歯車が地面に飛び散った。
機巧人形っていうのは、本当だったんだね。実に驚きだ。
大男が、ボクを掬い上げる様な目で見る。
何体の人形を破壊してきたのか、返り血の様に黒い液体が男に付着していて、何かが焼ける匂いとともに、黒い液体がシュウシュウと煙を上げていた。
酸の腐食作用みたいな感じだ。
体内に異星の生命体の卵が産み付けられ、孵った生命体が人間を襲う、古い映画をボクは思い出していた。
大男の皮膚は爛れているけれど、痛くないのだろうか?
彼が咆哮を上げ、ボクに向かって突進してくる。まるで、プロレスラーのような、圧倒的な肉体の迫力だけど、こいつも『児取鬼』の追随者か信奉者なんだよね。
ようするに、あのキモチワルいアシヤンと同じく、ペド野郎っていうこと。
こんな奴に暴行された子は、さぞ怖かっただろう。まったくもって、反吐が出る。
吸い寄せられるように、ボクのM29の銃口がこの大男に向く。射線が重なったと同時に、重いマグナム弾の発射音がして、腕が反動で跳ねた。警告射撃なんかしない。ボクは警察官という事になっているけど、特殊事案専従。普通の警察のやり方なんかしていられない。
百メートルの距離のバッファローの硬い頭蓋骨を粉砕するエネルギーが、わずか数メートル先の大男の胸の真ん中で炸裂した。
眼に見えない障害物にでも衝突したかのように、大男はもんどりうって倒れ、噴水みたいに胸から血を噴出させている。ボクが放った弾丸が、大動脈を引きちぎったのだろうね。
「あんまり、私の兵隊を減らさないでもらいたいね」
暗がりから現れたのは、腕を吊った若者だった。
カスタマーセンターにいた奴。やっぱり、こいつが『児取鬼』だったか。
「初対面じゃないけど、言葉を交わすのは初めてかな? そう、私が『児取鬼』と呼ばれる存在だよ」
青白い細面の顔。
唇だけが、朱を引いたように赤い。
フードをとっているので、大きくウェーブした黒髪であることが分かった。
深い紫の瞳。『邪眼』と呼ばれる瞳は紫じゃなかったか?
ボクはM29をこの男に向けた。
こいつは、世界一強力な銃の一つを向けられてなお、薄く笑っただけだった。
ボクに殺気が無いのを察知されたようだ。
「私がわざわざ出向いたのは、君を誘うためだよ。君の事をたいそう気に入ってしまった存在がいてね。やり手ばばぁみたいな役目を仰せつかったわけさ」
ボクの親指が撃鉄を起す。その金属音を聞いても『児取鬼』は表情を変えなかった。
「ペド趣味など、ボクにはないよ」
ふと、奈央の顔が浮かぶ。ボクの執着は彼女だけだ。
「知っているよ、そんなこと。私とは波長があわないものね」
朱い『児取鬼』の唇が笑みを刻む。
波長だと? 波長って何だ? ボクは音波や電波や光など出していない。
それとも概念的な『相性』を示す慣用句として使ったのだろうか? 『魂』だの概念上の『波長』といった話を聞くと、ボクは苛立つ。曖昧なものが好きじゃないんだ。
「我々は、切なる願望の結晶体。長い時間をかけて積み重なった情念の重なりだよ。だから、我々はその情念に従って動く。そう、君は、我々に限りなく近い存在というわけさ。君は君の情念だけで、殺人を繰り返していたのだろ?」
たしかにそうだ。ボクは自分が感じる事の出来ない『恐怖』という曖昧なものに、生命の根源を感じ、それを探求したいという願望のため、殺しを続けていたクズなのだ。
「あの当麻の姫様のことを、君は気に入っているようだけど、彼女と居たら死ぬことになるよ。そう、彼女は出来損なのだから」
奈央を侮辱されたとボクが感じた。それだけで『児取鬼』は万死に値する。
だけど、ボクは引鉄を引かなかった。
ボクの知らない奈央をこの男は知っている。それに興味があったのだ。
「出来損だと? どういうことだ」
銃口を向けたまま、先を促す。
「君は、聞かされていないんだね。現・当麻の姫こと奈央嬢の本来の役目は『贄』。その役目から逃げてしまったので、彼女の姉……本来の退魔師は、死ぬことになったのさ」