術式展開
周囲を警戒していた護衛の警官も、全て医院から退去した。
残っているのは、奈央・ボク・斎藤・風間・堀田巡査部長、そして御剣と名乗った老人だけだった。
無表情な看護師が二名いるが、彼女らは精密な機巧人形らしい。当麻一族に連なる人形師の一派があって、彼らが作ったという話だ。
にわかには信じがたいが、この古ぼけた医院を中心に直径一キロメートル四方は看護師たちのような機巧人形が人間を装って生活しているらしい。
つまりここは、巨大な結界の中ということ。
鬼を罠にかけたり、万が一の時に、ここに逃げ込んだりする場所なのだという。
通称『当麻の隠し砦』と呼ばれるエリアがここだった。
奈央を仕留めることにしたらしい『児取鬼』とその信奉者たち。
奈央は警察の内通者を疑っていて、その洗い出しと『児取鬼』との決着のため、この『当麻の隠し砦』を使用することに決めたのだった。
そこで、当麻一族とは別の特殊事案対策専門部隊『第十三機動隊』を使って、欺瞞作戦を敢行した。
だが、これは敵の注意を惹きつけるための囮であることが発覚するのが前提。
奈央が自分の身を守るために医院に潜み、敵の注意を『第十三機動隊』に集めてウラをかくという作戦行動をとっている……という、シナリオを演じているのだ。
内通者を通して、逆に無防備になった奈央が医院にひそんでいる情報を得た『児取鬼』は、奈央を仕留めにかかるはず。
だが、一見、無防備に見える奈央は、『当麻の隠し砦』という術式によって守られており、『児取鬼』との長年にわたる因縁に決着をつけるべく待ち構えているのだ。
奈央自身を餌にした、危険な作戦だが、『当麻の隠し砦』とやらの性能を信じるしかなさそうだ。
まぁ、奈央の読み通りに敵が食いついてくるとは限らないしね。
「この『当麻の隠し砦』の結界内部では、ひとたび術式を展開すれば、草一本に至るまで全て当麻の姫様の味方になります。推定される『児取鬼』の追随者や信奉者は、およそ二十人。奈央様を追い詰めたと考えているなら、おそらく総掛で襲ってくるでしょう。もちろん、本体も来るはずです」
明かりを落とした医院の窓から、通りを見ながら斎藤が言う。
奈央は、眼を閉じて、待合室のソファに腰掛けている。
御剣とかいう、大きな太刀を携えた老人は、その隣に座って、同じく目を閉じていた。
風間は、咥えタバコのまま、首を回してコリをほぐしていた。
いまいち事情のわからない堀田巡査部長は、奇妙な緊張感に耐えられないのか、キョロキョロとプレーリードックを思わせる仕草で、不安気に視線を彷徨わせている。
ボクだって、結界だの機巧人形だの、事情はわからないけど、今までの常識では計り知れないモノがあると学習した分、彼女よりはマシかも知れない。
「ああ……嫌だ、嫌だ……」
そんな言葉を斎藤が吐く。そう言いながら、彼がポケットから出したのは、糖尿病患者がインスリン補給に使うような、小さな注射器だった。
中身は、淡く燐光を放つ紫色の液体で、なんだかとても体に悪そうな代物だ。
「これは、『恐怖の感情を抑制する霊薬』だよ。私は、超常現象が大嫌いでね。怖くてたまらんのだが、恐怖の感情は、鬼に付けこまれる要因になるから、薬の力で抑制するのだよ」
問わず語りに斎藤が小声で言う。
そういえば、斎藤は生意気な黒い毛玉である伝鬼坊にもビビッていたっけ。なんで、そんな男が『特殊事案対策課』にいるんだか……。絶望的に向いてない職場じゃないか?
「体に悪そうな薬だろ? 実際、使用すると寿命が縮むと言われているよ。使用すると、『多幸感』とか『自分が無敵なったような感覚』とか、ははは…… 危ないよね」
愚痴かよ。デカい図体して、斎藤は泣き言を言っていやがる。
しかも、よりによって、殺人鬼であるボクに。
「山本君はいいよね。薬も使わないのに、怖くないとか。まるで、チートじゃないか」
まったくもう、うるさいなぁ。振り返って、斎藤を撃つという考えが、ボクの胸に浮かんでは消える。
その時だった。御剣老人がカッと目を見開き、しわがれた声でこう言ったのだった。
「来た」
……と。
『当麻の隠し砦』の結界内は、全てが奈央の味方だ。
草木は毒草に代わり、釘や木のササクレさえ、敵に牙を剥く。
敵の接近を、ここの管理者たる御剣老人に伝えることもするのだろう。
待合室には、ホワイトボードが設置されているが、そこに二十個の磁石が張り付いている。そのホワイトボードには、この周辺の地図が固定されていて、磁石がまるで『ウィジャボード』か『こっくりさん』の様に、ズズズ……と動いていた。
これは、信奉者の動きを示しているのだろう。
彼等は、四、五人のグループを作って、医院に向って四方から襲ってくる様子が見て取れる。
「術式を展開する」
奈央が宣言して、右手の袖をめくり、薄汚い包帯を解く。
斎藤が、ため息をついて、注射器を自らの腿に突き刺していた。
御剣老人が、長大な太刀の鞘を払う。
風間が、古めかしいジッポーライターをカキンと鳴らす。
堀田巡査部長は、オロオロと落ち着かなく待合室を動き回っていた。そして、最終的に、ボクに寄り添うように近づいてきた。まるで、殺気を感じたハツカネズミのように。
ボクは、S&WM29を抜く。
奈央が拳で、地面を殴った。
腕の紋様がほどけて、ぞるぞると放射状に広がってゆく。
「いったい、何がおこっているんですか!?」
堀田巡査部長が、思わずボクにしがみつく。ボクは、M29を抜いている時、動きを阻害されると、イラつく。
咄嗟に、堀田巡査部長を突き飛ばしそうになるのを、やっと抑えた。邪魔だ。
「武装した敵が襲撃してきます。堀田さんは伏せていて下さい。ボクが守ります」
邪慳にならない程度の力加減で、彼女を離す。
何を勘違いしたのか、堀田巡査部長は、ぽぅと頬を染めて、コクリと頷いた。
ホワイトボードの地図を見る。
うすら禿のロリペド野郎のくそキモチワルイ『アシヤン』は、一流の武術家なみの身体能力だった。それが、二十人もこのちっぽけな医院を目指している。隠し砦の仕掛けがないと、支えきれないだろう。
ギクシャクした動きで、この町内で人間を演じていた機巧人形が、通りに出てくる。
包丁や野球のバットなど、そういった身近にあるもので武装している。
昔、「ロボットが反乱を起こして、人々を狩る……」という内容のパニック映画があったが、それをボクは思い出していた。
「来いや! カスども」
鼻息も荒く、毒づいたのは斎藤だ。
顔中に青筋が立ち、かっと見開いた眼は爛々と輝いている。まるで、別人じゃないか。
これが、あの霊薬とやらの影響だろう。確かに、体に悪そうな薬だ。
「山本、そこにいるんだろ?」
声が響いたのは、その時だった。
スピーカーとか、そういう音声ではない。
直接、耳に響くような、奇妙な感覚だった。
「貴様らが、少人数なのは知っている。いつでも、君らを殺せるぞ。だが、その前に山本、お前と話がしたい」
ボクは奈央を振り返った。
奈央は、拳を床に付けたまま、苦痛に耐えているような顔をしていた。
声は、彼女には届いていないようだった。
斎藤も、風間も、反応はない。
どうやら、ボクにだけ聞こえた声だったみたいだ。
町内で怒号が上がる。
信奉者たちと、機巧人形たちが、どこかで激突したらしい。
「聞こえているな、山本。お前の命だけは、助ける。我と一緒に来い」
わかる。こいつは、『児取鬼』の本体だ。