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当麻の隠し砦

 裸足のままの奈央が、ベッドから降りて床に立つ。

 当然だけど、膝がカクンと折れて、彼女はよろけた。まぁ、予想していたので、抱き止める事が出来たけどね。

 掌に、薄い病衣越しに奈央の素肌の感触があった。

 ふわりと香ったのは、血の臭い、そして松脂を思わせる奈央の体臭。まるで、希釈したジンの様な香り。

 ボクの中の、昏い何かが身じろぎしたような気がした。

 このまま彼女の耳を掴んで、思い切り首を横に捩じったら、奈央の頸椎はポクリと折れるだろうか。  その時に、奈央はどんな目でボクを見るのだろう?

 怒り? 軽蔑? それとも裏切られた悲しみ? 『殺し』というカルマを御しきれないボクに対する憐憫?

 そして、自分の使命を全う出来ないことが分かった時、彼女は恐怖を感じてくれるだろうか?

 案外、安堵の表情を浮かべる様な気がする。

 手が震えそうになるのをやっと押さえて、奈央の首に手を添える。

 そして、そっとベッドに彼女を寄りかからせた。

 不意に、奈央と視線が絡んだ。

 ボクは、慌てて視線を逸らせた。焼けたストーブにでも触ったかのように、彼女からも手を離す。奈央の真っ直ぐな眼で見られると、ボクが纏っているあらゆる偽装が一瞬で剥ぎ取られ、丸裸にされた気分になるのだ。

 ボクは闇の住民だ。自分の興味のためだけに、人を殺して埋めて殺して埋めて殺して埋めて殺して……これを延々繰り返してきた人間だ。そして、未だにそれらの事柄について罪の意識すらない、生まれついての殺人鬼なのだ。

 気高い奈央が、見てはいけないけがれ。それがボクという人間。

「無茶は、やめてくださいよ」

 眼をそらせたまま、平常の声を出すのに、ありったけの意志が必要だった。

 奈央との距離が近い。まるで、抱き合うかのように。

 その事がボクを動揺させている。

 自分でも意外な心の動きだ。


「児取鬼は、あっさり獲物を手放した。これは、ここ十年以上なかったことだ。これで、はっきりしたぞ、山本。狙いは、私だ」


 奈央が笑っていた。

 敵を射程内に捕えた虎は、こんな笑みを浮かべるのだろう。

 獰猛な、それでいて魅せられるほど美しい笑みだった。

 再び歩き出そうとして、奈央がよろけた。

 もう一度ボクが支える。奈央の頭がボクの肩の上に乗った。それは、意図された動きだった。


 『もう一つ分かったぞ、山本。内通者がいる。』


 奈央が囁く。

 うすら禿のペド野郎であるアシヤンを餌として泳がせることを、児取鬼はした。

 そして、その首尾を直接確認するため、カスタマーセンターに紛れるというリスクも犯した。

 奈央が餌に喰いつくのは確認したが、彼女が直接臨場するかどうかは、確認できない。

 つまり、タイミング良くうすら禿で気持ち悪い変態野郎のアシヤンが爆発するには、何者かの合図が必要だったという事になる。

 低脳でうすら禿のアシヤンは行動パターンが一定なので、予め連絡員を移動ルート上に潜伏させておいた可能性が無いとは言えないが、警察による警戒線などの要素がある以上、更なるリスクを犯す可能性は低いような気がする。

 何より、奈央の狩人としての『勘』が内通者を疑っているのなら、ボクはそれを信じる。

 

 『準備期間を与えぬうちに、敵を誘い出す。餌は、私だ。』


 計画を打ち明けたということは、ボクを内通者として除外しているということ。

 斎藤はボクに対して警戒を怠っていないが、奈央は無条件に全幅の信頼をボクに寄せていることになる。

 嬉しくてたまらないが、同時にこれが奈央の致命的な欠点。殺人鬼に背中を預けるとか、まったく正気の沙汰とも思えない。ボクなら、絶対そんなことはしない。


 『反対です…… と、いっても、あなたはやるんですよね』


 奈央に囁きかえす。奈央の髪の匂い。希釈したジンと柑橘を混ぜたような体臭。くそっ、なんていい香りだろう。頭がクラクラしてしまう。


 『内通者を洗い出し、同時に迎撃する。最小限の人数でやるぞ、そのために、ここに来たのだ』


 耳元で奈央が囁く。急造の作戦だ。無理があるけど、無理は承知の上だ。敵が乗ってくるかどうかはわからないけど、乗ってこなければそれで仕切り直せばいいだけの話。乗って来たら、互いに急造の作戦同士。覚悟をしている分、ややこっちが有利といったところか。


 奈央が、欺瞞作戦を指示する。

 敵の意図が奈央の殺害ということならば、奈央を負傷させたこのタイミングで、必ず敵はとどめの襲撃をかけてくるはず。

 だから、襲撃しやすくしてやろうというのだ。つまり、わざと隙を見せるというわけ。

 奈央の負傷が思いのほか重かったということにして、警視庁の非公式な特殊事案専従部隊『第十三機動隊』を動かして、奈央を四谷の大学病院に護送するという作戦を立てる。

 ただし、これは囮部隊で実際奈央は護送されない。

 奈央はこの古ぼけた病院に、ボクと斎藤と風間と堀田巡査部長だけで残ることにする。

 この病院に立てこもって、敵を迎撃するというのだ。

 堀田巡査部長はいかにも役不足だが、奈央は彼女経由で情報が流れていると予測している。移送作戦は欺瞞で、実はこの病院に奈央が残っているという情報を流してもらわないといけないのだ。

 斎藤が、太い指でこめかみを揉んでいた。

「ここが搬送先に指定された時に、嫌な予感はしていたんです。使いますか『当麻の隠し砦』を……」

 堀田巡査部長が、第十三機動隊の出動要請をしている間に、奈央から斎藤に今回の欺瞞作戦の説明があった。

 初めて聞く言葉が、彼の口から出た。『隠し砦』だって?

 奈央が言う。

「山本は、知らなかったんだっけね。この病院を中心に半径五百メートル以内に人は誰もいない」

 ここに来る途中、普通に人は居たし、今は夜だけど、家の中に明かりもともされていたはず。人は居ないだって? たしかに、妙に静かな町ではるけれど……。

「当麻の傍流に機巧からくり師・雲慶一族というのがいてね、人間そっくりの傀儡くぐつを使うのだよ。その傀儡自体が、自分が傀儡であることを忘れてしまうほど、精密な傀儡をね」

 斎藤が口を挟む。奈央は、彼女の悪い癖で、説明を途中で放棄してしまう。奈央の投げっぱなしの説明を、斎藤が引き継いだ形だ。

「ここは、雲慶一族の最後の作品『当麻の隠し砦』。敵に攻め込まれた時に、当麻一族が退路として使う特別な場所だよ」

 腰が曲がった老医師が、奥から顔を出す。

 相変わらず無表情だが、いくらか腰がしゃんと伸びている。

 そして、手には長大な太刀を持っていた。刃渡りは一メートル近くある。柄も長くて、四十センチはあるだろうか? その全長は、目測百五十センチ程度の老人とほぼ同じくらいあった。

「この『当麻の隠し砦』の主として、この場所を守り続けて十余年。やっと、死に花を咲かせることが出来ます。まことに尊き当麻の姫様、ありがとうございます」

 老医師が深々と頭を下げる。

 奈央が片膝をついて、老医師の肩に両手をかけた。

御剣みつるぎの爺よ、我々に付き合うことはない。逃げてよいのだ。逃げてくれ」

 ボクや斎藤と会話している時には、決して出ない優しい声で、奈央が言う。

 御剣という名前らしい爺さんは、いやいやと首を振った。

「私は、末期がんです。このまま、枯れ果てて死ぬなら、御剣一族らしく戦って死にたいのです。一族の伝統は、孫娘が継ぎました。もはや、後顧の憂いはありません。どうか……どうか、お供に加えて下さい」

 奈央の目に逡巡があった。善意の第三者を巻きこむ事を、極端に嫌うのが彼女だ。だが、この老人の覚悟は揺るがないと悟ったのだろう。奈央の顔が非情な当麻の当主の顔に変わる。

 いいね。実にいい。心で泣きつつ、人を斬る顔だ。ボクにもそんな顔を向けてもらいたいくらいだよ。

「わかった。その命、預かる」

 奈央が言う。爺さんの顔がほころんだ。

「ありがたき幸せ。移瀬うつせ御剣みつるぎ流の舞い。存分にお見せしましょう」


 堀田巡査部長が第十三機動隊の出撃を、警視庁経由で依頼して帰ってきた。

 彼女に、今後の方針を奈央が伝えた。

「あ、大変! 奈央さんが移動しない事、伝えないと!」

 その場で、堀田巡査部長がスマホをいじる。

 彼女の手を、奈央が止めた。

 奈央に包まれる様に手を握られた堀田巡査部長は、一瞬呆気にとられ、ついで夕日のように真っ赤になった。

「なななな……」

 ぱくぱくと口を動かす堀田巡査部長にかまわず、奈央が言う。

「この事を伝えるのは、君の上司の根岸警部にだけ。他には伝えてはダメ」

 ああ……、なるほど。奈央は根岸とかいうスカした野郎を疑っているってわけね。


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