スペア?
奈央の緊急手術は終わったみたいだった。
蹌踉とした足取りで、三人の白衣の男が出てくる。その目はうつろで、かなり消耗しているみたいだ。
さっきまで眠っていた斎藤が、目を覚ましている。
何か事態が変わると、自動的に覚醒するような仕組みがあるかのようだ。
まぁ、要領がいいだけなのかもしれないけど。
時計を見る。実に五時間が経過していた。あと二時間ほどで、空が白みかける頃だろう。
ボクは、この待合室で低い呪言の詠唱が響く処置室を為すすべなく見つめながら、ただ考える事しかできなかった。
しつこく、肌に触れてくる違和感についてだ。
「あなた方が『鬼』と呼ぶ存在は、願望の純粋な結晶体なんですよね」
座ったまま、姿勢も変えず眠り、姿勢も変えずに覚醒した斎藤に言う。
「そう。思いが純粋であればあるほど、強力な鬼になるのだよ」
それだ。児取鬼は、強力な鬼だ。記録によれば、少なくとも何十年かは、この 世界に顕現している。 格付けは『従一位』。お狐様とよばれる祟り神と同等の格だ。
「そう、願望の純粋な結晶体。だけど児取鬼は、奈央を狙った作戦行動をしている様に見えます。『子供を人知れず攫う』『その子供を隠蔽する』この二つに、本来は特化するはずですよね」
だから、アシヤンのようなうすら禿の馬鹿を餌のように我々に差し出したり、罠を張って奈央を襲撃したりすることが、不自然なのだ。
「言われてみれば、そうだね」
斎藤が、ゴリゴリと頭を掻く。
奈央にしても、斎藤にしても、鬼との戦いに慣れてしまって、思考が硬直しているのかもしれない。
ボクは、つい先日まで部外者だった。
だから、この不自然さに気が付いたのだ。児取鬼にとっての不確定要素がボク。それさえなければ、新宿御苑で奈央を仕留めることが出来たはず。
「奈央が、仮に、あくまでも『仮に』ですけど、死んだら、どうなるのですか?」
ああ……奈央がボク以外の手にかかって死ぬなんて、想像するだけで最悪だ。
斎藤が、底光りする眼でボクを見る。質問の意味を探っているらしい。ボクは殺人鬼だった。そして、今、奈央は無防備だ。警戒されても仕方ないことだけどね。
現時点では、奈央に対して明確な殺意はない。それが、斎藤にはわかったようだ。彼は、一つため息をついて、話しはじめた。
「鬼の通り道を『鬼門』と呼ぶのだけど、その鬼門封じには、色々な方法があってね。当麻流では『戌』『申』『酉』の三方から封じるやり方なのだよ。本家の当麻家は『戌』を守り、分家の遠間家は『申』、同じく分家の富妻家は『酉』を担当していたんだ」
遠間家のことは、いつだったか忘れてしまったけど、聞いたことがある。だが、富妻家は初耳だった。
「そうか、君は知らないよね。昔、富妻家は最後の血統者が死んでしまって、『酉』は欠番になってしまったのだよ。だから、当麻家が『戌』の他に『亥』の方角まで範囲を広げて守っているのさ。だから『乾の護り』と呼ばれているんだよ」
なるほどね。たしか、風間が『乾の護りの姫君』とか、奈央の事を言っていたっけ。
「……で、奈央様がみまかれた場合だけど、スペアを使うことになるのだろうね。ただし、当麻の力 ―― むしろ『呪い』と言った方がいいかもしれないけど ―― が顕現するまで、最低十五年はかかる。この国の首都はこの間、無防備に近い状態になるね」
スペアだとか、まるで奈央の事を道具か何かのように話す斎藤に、軽い苛立ちを感じなら、ボクは話を聞いていた。
どうも、奈央のことになると、沸点が低くなっていて困る。忠犬根性みたいなものが、ボクに芽生えてしまっているのだろうか?
奈央の腹に刺さった鉄片。奈央の白い肌を汚す鮮血。かなりの痛みがあったはずだ。腹部の傷は痛いものだ。
だが、奈央はボクを見て安心させるように笑った。自分の事より、ボクの安否を気にしてくれていた。
あの時の焦燥感は何だ。ボクが自分自身の事以外で、涙を流してしまうなど、ありえない。
それを、ボクが唯一認めた気高き者を、スペアだと?
「君は見たはずだ。地下に封じられた鬼を。奈央様がみまかれれば、その鬼の母体に子種を仕込み、血統を持続させる。それゆえ、彼女、『美央様』は、生かされているのだよ」
廃校の封印された地下室で見た、奈央と瓜二つの姉妹。その身に『大災厄』という名の鬼を封じるため身をささげた人。
今は、精神は『大災厄』に支配され、現身だけが美央の残滓となっている。
「奈央様と業が釣り合った人物が早く現れ、お世継ぎをおつくりになれば、スペアは廃棄してよいのだけどね。いつまでも、あんな危険な代物、生かしておくのはよくないよ」
気が付いたら、ボクはM29を抜いていた。その銃口は、ゴリっと斎藤のこめかみに押し付けられている。
斎藤も、いつの間に抜いたのか、コルトM1911A1をボクの脇腹に押し付けていた。斎藤の銃は初めて見たけれど、なんとガバ(コルトM1911の愛称『ガバメント』の略称)だったとはね。たしか、風間は、これの別バージョンの銃を持っていたっけ。
こいつは、45ACP弾を使う強力な軍用銃で、バリエーションを変えつつ第一次世界大戦の頃から使われている拳銃だ。日本人の手にはゴツすぎる銃だが、斎藤なら丁度いいだろう。おそらく、これもボクのM29と同じく、曰く因縁のある血塗られた銃なのだろう。
それにしても、並んで病院のベンチに腰掛けながら、拳銃を互いに突きつけているなんて、何のコメディだ?
「落ち着き給えよ。奈央様に対する忠誠心は賞賛に値するけど、こんな恐ろしい銃を向けるのは頂けない」
そんなことを言いながら、斎藤のガバは微動だにしない。
鬼と対峙した時のヘタレっぷりがまるで嘘のようだ。
「言葉に、気を付けてくださいよ、斎藤さん。ボクは、疲れていて、苛立っているのですから」
「OK、OK。わかったよ」
だけど、先に銃口を外す気はないみたいだ。
撃鉄を上げるのも同時だった。
これは、困ったね。膠着状態ってやつだ。
「スポーツドリンク、買ってきましたぁ。山本さんは、マメに水分をとらないと」
まるで、小動物がエサを巣に運ぶような、小刻みな走り方で、堀田巡査部長が自動販売機から帰ってくる。
斎藤とボクが、互いに銃を引いたのは、同時だった。
「?」
緊張感が静電気のように帯電していたのか、小動物めいた仕草で、堀田巡査部長が小首をかしげる。
困惑して斎藤がゴリゴリと頭を掻いた。
ボクはぷっと吹き出してしまった。
「何? 何? なんです? いきなり。失礼しちゃう」
そう言って、堀田巡査部長が膨れる。
「いやいや、ごめん、ごめん。まるで、君はボクたちの『守護天使』みたいだなぁと思ってね」
斎藤の顔にも笑みが浮かぶ。
ボクにスポーツドリンクを手渡した彼女の顔は、真っ赤だった。
奈央の病室には、斎藤とボクだけが残った。
ここは、大きな病院ではないので、ICU(集中治療室のこと)のような施設は無い。だが、現在は奈央の防衛機能がフル回転をしていて、受けた損傷を回復させているのだという。
鬼と千年以上も昔から戦ってきた一族だ。異様にタフなのは、こうした様々な術式がその身に刻まれているからなのだろう。
血圧も脈拍も正常。発熱もない。末梢の体温低下もない。
腹部から背中に抜ける程の刺傷を受け、緊急手術を終えたばかりなのに、これだけでも異様なことだ。
廊下に出ていた堀田巡査部長が、病室に帰ってくる。
「足利のPCの画像データから、君原綾香ちゃんの監禁場所が特定できました。警視庁捜査一課特殊犯捜査第一係が臨場しています。未確認ですが、綾香ちゃんは無事保護された模様です」
うっすらと涙を浮かべながら、堀田巡査部長が言う。
「よかった。少なくとも、一人は救えたな」
不意に聞こえたのは、奈央の声だ。
麻酔で眠っていると思ったのだが、既に覚醒していて、堀田巡査部長の報告を聞いていたのだろう。
奈央が、体についた、点滴や心電を計測する装置などのコードをひとまとめにして引き抜く。
ピッピッと奈央の心音をトレースしていた電子音が、ピーというフラットな音になった。
まったく、縁起でもない。
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