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待合室にて

 堀田巡査部長がいうところの「おばあちゃま」が見えなくなると、斎藤はボクに頭を深々と下げた。

「よく、堪えて下さいました」

 まぁ、堪える何も、いきなり殴られてびっくりしたけど、ボクは盾の役目を果たせなかったわけで、そのために生かされているのだから、あの「おばぁちゃま」のお怒りはごもっともだと思っていたんだけどね。

 だから、ボクの反応は、斎藤の的外れな謝罪には、肩をすくめてみせただけだった。どうも、アメリカでの訓練以降、この仕草が癖になってしまっているなぁ。

 ボクよりも堀田巡査部長の方が怒っていて、低い声でうーうーと唸っていた。

 あの「おばぁちゃま」に睨まれて、腰を抜かさなかったのは、大したものだと思う。

「きゃあ! 血が出ているじゃないですか!」

 額から流れている血に気が付いて、堀田巡査部長が悲鳴を上げる。

 濃紺のスーツで目立たないのだけど、何か所かカラスなどの破片が突き刺さっていて、実は体も血だらけなのだけど、注意力散漫な彼女は、それには気が付いていないみたいだった。

「そういえば、ここ病院でしたね。看護師さんを呼んできます」

 堀田巡査部長が、医務室の方に向う。

 ボクは、その彼女を後ろから抱き止めた。

「や……山本さん?」

 ビクンと堀田巡査部長が身をすくませる。何を勘違いしているのか、肩越しにボクを振り返る彼女の頬はほんのり赤く染まっていた。


 何だ? 彼女には、見えていないというのか?


 医務室のドアは、まるで立ち入り禁止のテープが張り巡らされているかのように、奈央の右腕に刻まれている黒い紋様によく似たものが、浮き出ているというのに。

 微かに聞こえるのは、呪言のようなもの。

 これも、堀田巡査部長の耳には届いていないらしい。


「ドアには、近づかない方がいい」


 廃校の地下で見た、結界。奈央と瓜二つの美女が、何本もの杭に刺し貫かれて、封印されている場所で、これと似たようなものをボクは見ていた。

 それは、鬼を封じる印。人が触れていいものでない。


 見えないものを納得させるというのは、難しいものだ。

 堀田巡査部長を止めたのはいいものの、どう説明するか、ボクは全く考えてなかったのだ。

「そろそろ、離していただけますか。人目もあります」

 コホンと咳払いして、堀田巡査部長が言う。そういえば、彼女を後ろから抱き止めたままだったっけ。

 普通に考えれば、これは、セクハラ事案だ。

 だが彼女は、ボクの胸に体重を預ける様な体勢だった。嫌悪を感じている場合は、もっと体に力が入り、体重は逃れようと前にかかる。

「あ、すみません。つい、慌ててしまって」

 言い訳をして、彼女から体を離す。

 結界が張られているから――― とは、説明できない。

 はてどうしたものか? そう思いながら、やや上気した彼女の細い首を見る。

 腕を巻き付け、斜め上に捻れば、ボクンと折れるだろう。面倒くさいので、いっそ、そうしてしまおうか? そんな考えが浮かぶ。

 だが、出来ない。ボクはもう、連続殺人鬼ではなく、奈央の盾なのだから。


「感染症の疑いがあります。処置室には接近しないように」


 いつの間にか、無表情な看護師が処置室の入り口に衛兵よろしく立っていて、抑揚のない声でそんな事を言った。

 看護師は二人いたが、同じ背格好、同じ髪型、似たような顔つきで、なんだか区別がつかない。そう、まるで人形のような……

「怪我人がいるので、処置してほしいのですけど」

 堀田巡査部長が食い下がる。

「感染症の疑いがあります。処置室には接近しないように」

 全く同じセリフを吐いて、看護師が処置室の前で仁王立ちになる。

 堀田巡査部長は、自分の言葉が無視されて、さすがにカチンと来たみたいだった。

「看護師なのに、怪我人を無視ですか? いいです、応急処置は私がやります。応急キットを下さい!」

 まるで、小動物ががんばって威嚇するかのように、肩を怒らせ、看護師に詰め寄ろうとする。

「感染症の疑いがあります。処置室には接近しないように」

 看護師が繰り返す。

「だから!」

 苛立った堀田巡査部長が、珍しく声を荒立たせる。

「感染症の疑いがあります。処置室には接近しないように」

 看護師は無表情のまま、その言葉を淡々と繰り返すだけだった。

 さすがに、鈍い堀田巡査部長も、おかしいと思い始めたみたいだった。

「救急キット、持ってきました」

 斎藤が、助け舟を出した。

 堀田巡査部長と、看護師がやり合っている間、斎藤は姿を消したので、例によってまた面倒から逃げたのかと思ったのだけど、違ったみたいだ。

 


 この病院の待合室で、ボクは堀田巡査部長の応急処置を受けた。

 頼んでも、ここの看護師は待合室の照明をつけてくれないので、斎藤がマグライトで堀田巡査部長の手元を照らしていた。

 ボクは、上半身裸にされ、体中にペタペタと絆創膏を貼られていた。

 一番深い傷は、左肩にガラスが刺さった傷で、それ以外は、かすり傷だった。

 左肩の刺し傷は、ボクの背中の治療の時に使った、人工皮膚を張り付け、包帯で固定することになった。

 ちゃんと外科医に見せて縫った方がいいと、堀田巡査部長は言っていた。

「山本さん、細マッチョさんだったんですね。ちょっと、ドキドキしちゃった」

 ついでの様に、そんな言葉を付け加えて、上気した頬を掌で隠していた。ボクの半裸で、機嫌が直ったのなら、お安い御用だ。

 病院の近所のコンビニエンスストアで、アンダーシャツを斎藤が買ってきてくれて、ボクはそれを着た。さすがに、ワイシャツは売っていなかったので、ショルダーホルスターをシャツの上に装着し、スーツを羽織る。

 ボロボロのアンダーシャツとワイシャツは、血の付いたガーゼなどを捨てるゴミ箱があったので、それに突っ込む。

 堀田巡査部長から、処置を受けている間も、ボクは処置室のドアに目をこらしていた。意識を集中すると、帯状の紋様が回転するかのように動いているのが見える。

「奈央様は、深手を受けると、防衛機構が働くのです。それで応急処置は出来るのですが、治療の際には、その防衛機構がかえって邪魔になるわけです」

 水分を取った方が良いと、スポーツドリンクを買いに堀田巡査部長が自動販売機に向ったのを見計らって斎藤が言う。

「術師が、命がけで奈央様の防衛機構を封じ、その間に医師が治療するしかありません。今回は、だれも犠牲にならなければよいのですがね。奈央様が、とても気に病むので」

 白装束に覆面の男たちは、その『術師』というわけか。

 ここの老医師は、奈央に処置する素振りすらなかったのが謎だったけど、迂闊に処置すると危ない事を知っていたことになる。

 つまり、この病院は、当麻の息がかかった病院。

 鬼と戦う者たちにとっての、セーフハウスみたいな役割をしているのかも知れない。

 

 待合室で、奈央の処置が終わるのを待つ。

 堀田巡査部長は、自動販売機を探しながらスマホでカガリちゃんとチャットしていて、彼女が命がけで確保した、変態ロリペドでうすら禿のアシヤンのパソコンの分析結果を聞いているみたいだった。

 斎藤は、銅像にでもなったみたいに、全く動かない。彼の呼吸のリズムからすると、どうも寝ているみたいだ。

 ボクは、静かに苛立っていた。

 処置の時間が長すぎる。衛兵よろしく微動だにせず、処置室の前に陣取っている看護師の肩を掴んで、前後に揺さぶりながら、奈央がどうなっているのか、教えろと喚きたくなるのを、理性で抑えていたのだ。

 奈央が負傷した。深々と鉄片が腹部に突き刺さる重傷だ。

 このことが、これほどボクを動揺させるとは、実に意外だった。

 飼い犬根性みたいなものが、ボクに根付いてきているのだろうか?

 それとも、ボクの奈央に向ける執着が、自分で考えるより大きいということなのだろうか?

 執着が大きくなったということは、奈央にとっては良い事ではない。

 ボクの本質は、生と死の境で足掻く人の姿を観察したいという理由だけで、多くの人を殺して、埋めて、殺して、埋めて、殺して、埋めた殺人鬼なのだから。



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