奇妙な医院
ボクは病院の廊下にあるベンチに座っていた。
時刻は深夜。
待合室に誰もいない病院は、なんだか異世界じみていて、奇妙な感じだった。
重傷を負った奈央は、緊急搬送された。
最寄りの救急指定病院に運ばれるのかと思ったら、個人経営の小さな医院だったのだ。
搬送を担当した救急隊員も、首をかしげていたが、指令センターの指示がここなのだから、仕方がない。
医院の前には、腰が曲がった老医師と、若い二人の女性看護師が待機していて、救急隊を誘導して医院の中の処置室に誘導したのだった。
救急隊員は、引き継ぎのための報告をしようとしていたが、老医師は必要ないとばかり、ひらひらと手を振って救急隊員を退去させた。
慇懃無礼な態度だった。
釈然としないという顔つきで、救急隊員が帰ってゆく。
ボクは、処置室に向かったが、看護師の一人が目の前に立ちはだかり、無言で睨みつけてきたので、無人の待合室に退散したところだった。
ポケットから、支給品のスマホを出す。通話相手は風間だ。
「あ~……、山本ですけど。カスタマーセンターの職員で、腕を吊ってる奴がいたでしょ?」
風間も、その人物を覚えているようだった。
「そうそう、そいつ。確保できないかなぁ?」
カスタマーセンターがある場所は、風間の所轄だった。風間配下の特殊事案対策課が事後処理をしていたので、もしも、まだ引き上げていないのなら、ボクが気になっていた『腕を吊った男』を確保してもらおうと思ったのだった。
何か、嫌味とか皮肉とか言われるかと思ったのだけど、あっさりと風間は承諾してくれた。
奈央が負傷したという緊急事態。さすがの風間も空気を読んだということだろうか。犬猿の仲とはいえ、鬼を討つ者同士なのだから。
連絡を忘れてしまっていたのだけど、堀田巡査部長が駆けつけてきてくれた。
多分、ボクのスマホのGPS情報を辿ってきたのだろうね。
「もっと、大きな病院に行くのかと思ってました」
シンと静かで、心なしか埃っぽい待合室を見回しながら、彼女が言う。
彼女は、顔や手足に絆創膏がベタベタ貼られており、ショートボブの黒髪も、その毛先がすこし焦げて縮れている個所もあった。
そして、足を少し引きずっている。
「当麻さんは、どうなったんですか?」
くりくりした大きな目を不安げに彷徨わせて、堀田巡査部長が言う。
心なしか、ボクに身を寄せてきているのは、ここの雰囲気に怯えているからだろうか? まぁ、分からなくはないけどね。
「ここにきて、すぐに締め出されてしまって、全く様子がわかりません」
そうなのだ、処置室の前で耳を澄ましてみたりしてみたのだけど、老医師が何か指示を出したり、看護師が動き回ったりする気配が全く感じられないのだ。
ボクは、医者じゃないからよくわからないのだけど、生命維持装置らしい、機械音がするだけなのだった。これって、応急処置的には正しいのだろうか?
「それより、堀田さんこそ、あちこち怪我したみたいですね。大丈夫ですか?」
かく言うボクも、軽傷とはいえ、体中に破片が刺ささり怪我をしているのだけどね。
「え? あ? そうですね。これ、火傷です。足利の住居に家宅捜索かけたんですけど、突然部屋中が発火して大変だったんです」
奈央の指示を受けて、足利のヤサに踏み込むように代理指令を出したのは、ボクだった。
こんな大事、すっぽり記憶から抜け落ちてしまうなんて、ボクはよほど動揺しているみたいだね。
「多分、何かの燃焼促進剤が仕込まれていたんだと思いますが、ものすごい高温でした。でも私、無我夢中で部屋の奥の机の上のノートPCを掴んで、もう、玄関に戻る余裕もないから、窓を突き破って外に飛び出したんです。なんで、こんなこと出来たのか、今でも信じられません」
無害な小動物みたいな外見で侮っていたけれど、彼女には勇気があった。
事件を解決したいという、警察官としての使命感があった。
彼女は人を見る目がないのだが、侮っていたことは謝罪したい気分だ。
「すみませんでした」
思わず謝っていた。
堀田巡査部長は、小動物めいた仕草で小首をかしげ、
「なんで、山本さんが謝るの? 変な人」
と言って笑った。
この医院の正面に、黒塗りのバンが止まったのは、この時だった。
病院内に入ってきたのは、斎藤と死刑執行直後に会った、喪服姿の老婆。神官のような白装束を着た剃髪した屈強な三人の男。
カツンと鳴ったのは、老婆が持つ杖。
彼女は、それを床に打ちつけたのだ。
まるで、それが呼び鈴であったかのように、老医師が処置室から現れる。
そして、老婆に向かって深々と頭を垂れたのだった。
「当麻の乳母様。ご機嫌うるわしゅう」
老婆は、その老医師の言葉に、あの猛禽の目の一瞥だけで答え、背後に控える三人の白装束に顎をしゃくる。
頭を剃りあげた三人は、奇妙な紋章が書かれた布を顔に貼りつけ、荒縄で鉢巻をしてこれを留めていた。
ボクの肌がさぁっと粟立つ。
―― 殺気 ――
こいつらが、漏らしたのは、それだ。
ボクは、思わずこいつらの前に立ちはだかり、背広の前を開けて、右手を自分の胸の前に浮かせた。
ショルダーホルスターのM29を抜撃ち出来る姿勢をとったのだ。
ボクの背後で、堀田巡査部長が「ひっ」と息をのむ。
三人の白装束の殺気とボクの殺気にあてられたのかもしれない。
「いいんだ。山本君。彼らは奈央様を治療に来たのだよ」
斎藤が一歩踏み出して、宥めるような声で言う。
三人をボクのM29の射線から庇う動きだった。
「奈央様は、特別なんだ。普通の医師には、傷も病気も直せないのだよ。彼らは、その訓練を受けた、専門の医師なんだ」
ボクは、三人から目を離さず、ゆっくりと脇に避けた。
斎藤は、ほっと息をついて、三人を通す。
三人は、老医師に続いて処置室に消えた。
「さっそく、鬼をタラしたか、奈央。さすが、当麻の姫よ。おぞましや」
老婆が吐き捨てるように言う。
ここでいう『鬼』は殺人鬼であるボクのことだろうね。
初対面の時も、この婆さんは同じようなことを言っていたっけ。
話の内容はわからないけれど、どうやら彼女は奈央を……というよりは、当麻の血筋自体を嫌っているように見える。
「まぁ、よい。そこな『鬼』、見苦しい。座れ」
カツ、カツと苛立たしげに杖で床を打ち、老婆が言う。
やはり、『鬼』とは、ボクのことみたいだね。
チラリと斎藤を見ると、懇願の顔つきをしていた。
『たのむ、言うとおりにしてくれ』
と、顔に書いてあった。
仕方なしに、ボクはベンチに座った。
間髪を入れず、老婆は杖でボクを打った。
油断していなかったボクが、回避行動すらとれないほど、電光石火の早業だった。何か、剣術めいた動きだったような気がする。
ツツ……と、打たれた額から血が流れた。
それが、眉間を通り、鼻梁に沿って流れ、口角をかすめて顎にわだかまり、滴った。
「たわけ。盾が奈央を守らんでどうする。世が世なら、素首叩き落としているところぞ」
叱責は、ごもっとも。うすら禿のアシヤンが馬鹿すぎて、こっちに油断があったのは、確かだ。
「な、な、な、な、なんですか! いきなり! おばあちゃま、ひどいじゃないですか! 山本さんが何したっていうんです!?」
突然の抗議は、堀田巡査部長だった。
この、おっかない婆さんを、『おばあちゃま』呼ばわりとはね。
婆さんは、猛禽の目で堀田巡査部長を睨むと、ふいっと背を向けた。
「ふん。『鬼』も誰かをタラすか。汚らわしい。斎藤。あとは任せた」
そういって、医院を出て行く。
ボクは気配に気が付かなっかけど、正面ドアの影に喪服の男がいて、老婆のためにドアを開けていた。