失策
22LR弾は、威力が小さい。
とはいえ、わずか五メートルほど先の人間に当たれば致命傷になる。
小口径の弾丸は、貫通力が小さいので、骨などの固い組織に当たると、軌道を変える。結果、体内で銃弾が暴れまわり、内臓を傷つけることになるのだ。
「まじか!」
人質をとっているので、まさか発砲しないと思っていたのだろう。
アシヤンこと足利とかいう将軍家みたいな名前のうすら禿が、思い切り上体を横に反らして回避行動をとる。
だけど、ボクが狙ったのは彼ではない。
人質になっている、中年女性だった。
彼女の眉間にボコっと穴があく。
「たわけ!」
「なっ!」
古風な叱責の叫びは奈央のもの。彼女は旧家のお嬢様なので、動揺したりすると、古い言葉が思わず出る。
絶句したのはアシヤンだ。
ボクが撃った女性からは血は飛ばなかった。
焦げ臭いにおいとともに、何か文字が書かれた短冊ほどの紙片に変化したのだった。
初めての臨場の時、ボクは幻術を仕掛けられた。
だから、これも幻術ではないかと推理していたのだった。
ボクには奈央の様に、幻術を無効化する能力など備わっていない。だけど、誰よりも『恐怖』を研究し、それを見続けてきた経緯がある。
この女性からは、恐怖が匂ってこなかったのだ。ならば、こいつは、アシヤンの仲間か幻術だろうと思ったのだった。
思った瞬間に、撃っていた。この女が生身の人間だろうが、虚像だろうが関係ない。
発見だったのは、奈央の能力が万能ではないということ。
動揺していると、奈央でも簡単にまやかしに引っかかるのだ。そして、どうすれば奈央が動揺するか、敵は研究している。
無辜の民。それが犠牲になると思った瞬間、奈央は動揺する。
くそっ! くそっ! くそっ! いつかこれが、彼女の命取りになる。
女の姿が消え、短冊ほどの紙片に変わる。それがヒラヒラと落ちて、地面に着くより早く、アシヤンが蹴りを飛ばしてきた。
体を真横に倒した様な、不自由な姿勢から、両手を地面について、倒立しながらの蹴りだった。
なんていったっけ、これ? カポエラだっけ? ダンスみたいな格闘技みたいな、奇妙な技。
ボクは、この変則的な奇襲を避けなかった。奈央みたいに『腰ノ周』なんか使えないからね。だから、蹴りの飛んでくる軌道に合わせて、M640を撃っただけ。
腕や脚で蹴りを受けるのではなく、銃弾で蹴りを受けたのだ。
「痛っ!」
アシヤンのスラックスの脛の部分の布地がはじけ飛び、血煙があがった。
弁慶すら泣くと言われる個所に銃創。きっと痛いだろうね。でも、アシヤンは、上体を起こしながら、今度は廻し蹴りを放ってきた。
痛めた方の脚をぶん回しているので、ピッピッと血が飛ぶ。まったく、汚いなぁ。
ボクは、軽くステップバックして、その蹴りをやり過ごし、アシヤンの体で唯一動いていない個所に銃口を向けた。
軸足になっている足の甲だ。
立て続けにトリガーを引く。M640は、撃鉄に覆いがかかった『撃鉄内蔵型』のリボルバーだ。ダブルアクション専用の拳銃なのだけど、反動が小さいので、連射でも集弾性はいい。
ボコボコボコと三つ、アシヤンの軸足になっている右足の甲に穴があき、さすがに彼ははぐらりと体制を崩した。
身体強化の副作用で、痛感も鈍っているのか、倒れ込みながら、痛むだろう足を滑らせ、ボクを掴みに来る。
ボクは柔道の術科には詳しくないけど、こいつは、『横落』とかいう、柔道の捨身技だったはず。こんな、コンクリの上で投げられたら、受け身をとっても痛いだろう。
だから、ボクは掴みにきたアシヤンの右手を撃った。
弾かれたように、アシヤンの右手が跳ね上がる。
その瞬間に、右腕の付け根に一発、左手の肘関節にも一発撃ちこむ。
銃声の残響が消えないうちに、輪胴をスイングアウトして、同時にポケットから抜き出したスピードローダーを取り出す。
傾けたシリンダーから、カラカラと薬莢が八つ転がり出る。そこにスピードローダーを嵌め込んだ。
手首を捻って、輪胴を嵌め戻すまで、およそ零コンマ五秒ほど。
まぁまぁのタイムだったけど、まだ遅い。もっと、練習しないとね。
「がるるる!」
唸り声をあげて、何か小さなものが、飛びかかってくるのが、ボクの目の端に映る。
咄嗟に、右足を上げて、靴の裏でそれを受け止めた。
紙片と化した女が連れていた犬だった。
受け止めると同時に、踏み抜く。
くしゃっと何かが潰れる感覚が足裏に伝わり、見れば踏みにじられた紙片が破けたようだった。
犬も、幻術だったみたいだね。なんとまぁ、芸が細かい。
「撃つなって、言ったでしょう!」
両手両足に銃弾を受け、戦意を喪失したアシヤンに銃口を向けているボクに、奈央が文句を言う。
「あなたは、『殺すな』と言ったのです。ご覧のとおり殺してませんよ」
思わず、このうすら禿のキモいロリペド野郎の眉間を撃つのを、やっと止めたのだ。その努力は認めて欲しいものだね。
奈央が、糸の切れた操り人形のようになっているアシヤンに近付き、胸ぐらをつかんで尋問しようとしていた。
彼女の右腕の文様が解け、カスタマーセンターの時の様に、アシヤンの内部に入り込んでゆく。
アシヤンは、その不細工な顔を歪め、白目を剥いてガクガクと痙攣しているが、まるで性的に絶頂を迎える直前みたいで、本当にキモチワルイ。
―― カスタマーセンター
我々を乗せたバンを見送っていた男を思い出す。
ずっと、ボクの心にひっかかっていた事がそれだ。
敵は奈央をよく研究している。
新宿御苑での対決では、ボクという不確定要素がなければ、奈央は罠に嵌められていた。
ひょっとしたら、児取鬼の標的は、奈央自身なのではないかと思えてきた。
女児を攫ったのは、奈央の注意を惹くため。
特殊事案だとわかれば、必ず奈央が出張る。それは確定事項だ。
罠猟師が、獲物の通り道を熟知しているようなもの。
カスタマーセンターが、簡単に割り出されたこと。
アシヤンのような、うすら禿の迂闊な馬鹿の存在。
新宿御苑で、フードに隠された『児取鬼』の顔のパーツ、薄い唇と尖った顎を思い出す。
それが、カスタマーセンターの若者の顔に重なった。
腕を吊っていた若者だ。
深夜の新宿御苑で、ボクが負傷させたのは、どっちの腕だった?
その瞬間、ボクは物も言わず、走っていた。
ガクガクと痙攣するアシヤンの姿。
これは、奈央の術による痙攣ではなかった。
ボコン!
アシヤンの側頭部が膨れた。まるで、焼いた餅の様に。
ボコン! ボコン!
アシヤンの腹部が膨れ上がり、続いて胸部も膨れた。
幾つもの小さな爆発が、彼の内部で起きているかのようだった。
「何かヤバい」
奈央もそう感じたようで、アシヤンを離して、後に跳ぶ。
アシヤンが絶叫した。
その口から、眼から、裂けて弾けた頭から、皮膚と服が破けた腹部と胸部から、光が柱となって立ちあがり、眩い光が弾けた。
とびすざった、奈央がその光に飲み込まれてゆく。
彼女の肩から、小さな黒い影が飛ぶ。
斎藤伝鬼坊だ。彼女に、致命的な飛来物が迫っていることを、それは示していた。
ボクは走っていた。
ボクは奈央の盾。盾は持ち主を守るものだ。
だが、間に合わなかった。
一瞬だけ遅れた発生した爆音と同時に、ボクは進行方向……つまり、奈央のいる場所……と反対側に吹き飛ばされ、駐車している乗用車に叩きつけられてしまったのだ。
咄嗟に、体を丸めたので、骨折などはしなかったみたいだけど、飛来した破片などで、あちこち負傷しているみたいだ。
構わず立ち上がる、
ボクの左肩に刺さっていた、ガラス片が、地面に落ちて砕ける。
音は、聞こえなかった。
まるで、ジェット機が耳の中を飛んでいるみたいな轟音がしているだけ。
鼓膜が、破れたかもしれない。
『それより奈央!』
アシヤンは、爆弾に変えられていたのだろう。
その爆弾に、我々は誘導されてしまった。
爆心地に誰よりも近かったのは、奈央だ。
ボクは盾の役目を果たせなった。
「くそっ! くそっ!」
罵りながら、走る。だけど、三半規管がどうにかしたのか、たった十メートルを走るのに、三度もボクは地面に転がってしまっていた。
仰向けに、奈央が倒れているのが見えた。
這いつくばるようにして、奈央に近付く。
血の匂いがした。
奈央の腹部には、自動車のワイパーが突き立っていて、質素な白い彼女の長袖のTシャツを染めていた。
奇跡的に、それ以外の深い傷は無い。
二十一個の致命的な飛来物は、あの黒猫がベクトルを変えたのだろう。
あの、生意気な毛玉の姿はない。
飛来物を叩き落とすと、しばらくの間満足して、出てこないという話を思い出す。
「救急車!」
ボクは叫び、奈央のピアニストのような、細く長い指を掌で包み込んだ。
奈央が握り返してくる。
「山本、君は無事か?」
かすれた、奈央の声。自分の心配ではなく、まずは他人の心配か。
だが、それが彼女だ。
「すいません。守れなかった」
やはり、あのうすら禿は殺しておくべきだったのだ。
ボクは奈央にぶん殴られたかもしれないけど、彼女が負傷するよりマシだ。ずっとずっとマシだ。
「謝るな、馬鹿。それより、足利のヤサ押さえろ。鬼火に消される前に」
そこまで言うと、奈央は気を失った。
彼女の腹に刺さったワイパーは抜かなかった。抜けば、血管を傷つけて大出血する可能性がある。
ボクは、ドクドクと流亡する奈央の傷に手を当て、圧迫止血するぐらいしか、出来ない。
温かい奈央の血が、ボクの手を汚す。
ボクは相手を殺すことが『業』なのだけど、こんな結末は望んでいない。
奈央が死ぬのは今でない別の場所と時だ。
ポタポタと、液体が奈央の顔に降りかかる。
雨かと思ったら、ボクの涙だった。