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キューポラのある街で

 空気の中に焼けた金属の匂いが混じる町。そこにある、風呂もないボロアパートが、足利 広美 こと『アシヤン』が住む場所だ。

 ボクは、いつもの習慣で周囲を歩き回る。狩場は、入念に下見するのが癖だ。俯いて歩きながら、目線だけを四方に飛ばす。

 こんな時、支給された平凡なスーツと伊達眼鏡は便利だった。傍目には、営業マンが歩いている様に見えるだろう。日本の都市部では、優秀な迷彩服だ。

 人がよじ登れる場所。入り込める隙間。アシヤンになったつもりで、逃走経路を考えてみる。それらを全て、頭の中に叩き込む。この手順は、ジャングルだろうと市街地だろうと同じだ。

 要所は警視庁捜査一課特殊犯捜査第一係、通称SITの精鋭が固めている。表向きは、あくまでも誘拐事件なのだ。係長の根岸も、この包囲網のどこかにいる。

 尾行班から報告が入る。

 隠し撮りした画像データが、一斉に捜査員のスマホに送信された。

 これを警察用語でジンチャクというらしい。人相、着衣の略語だね。

 画像を見れば、なるほど『コミュニティ型の会員制サービス』に表示された人相が全く別人であることを、カガリちゃんは指摘していたけど、その通りだった。

 足利 広美 こと『アシヤン』は、身長百七五センチ前後のやせ形で、年齢は三十代後半。まだ若いが、頭が禿げあがっていた。全体的に万遍なく禿げているので、まるで抗がん剤治療でも受けて脱毛してしまったかのように見えるけど、彼は身体的には極めて健康だ。禿は遺伝だろう。彼の兄も、父親も、禿だ。

 頭の上半分の毛髪が乏しい代わりに、下半分は毛が濃いらしく、髭の剃り跡が広範囲に渡って青々としていた。

 齧歯類の様に前歯が発達しているらしく、関西の有名なコメディアンの様に出っ歯だった。

 常に唇をなめているのか、薄くて酷薄そうな口唇は、妙に赤くヌラついている。

 街ですれ違えば、何となく、生理的に嫌悪を感じさせる男。だが、その本性は、児取鬼の追随者になり、それらの狩りに加担するほど、どっぷりと闇に染まっている男でもあるのだ。

 ボクが、この世界に生きていてはいけない様に、この男も生きていてはいけない類の人間。

 警視庁捜査一課特殊犯捜査第一係、通称SITは、高度に訓練された人材だ。堀田巡査部長を見ていると、そうは思えないが、射撃や体術といった『術科』はAランク以上だし、突入や犯人制圧の厳しい訓練も行っている。

 それでも、アシヤン逮捕に慎重なのは、彼が特殊事案の関係者だから。

 先に確保したタムラもそうだが、特殊事案対象の追随者となることで、その恩恵を受ける場合があるのだ。タムラは、並外れた筋力と頑強な肉体。パワーを受け流し逆に利用する当麻流の格闘術がなければ、タムラの確保だけで、負傷者が出ていたかも知れない。

 アシヤンも、見た目がキモチワルだけではなく、何か能力があるかもしれない。

「第十三機動隊は、出ないの?」

 完全に傍観者となってしまった風間が、地形確認から帰ってきたボクに話しかけてくる。

 近くにいる斎藤より、ボクの方が話しやすいみたいなのだけど、はっきり言って迷惑だ。

「さあね」

 アメリカで半年暮らしてから、すっかり癖になってしまった仕草、肩をすくめるポーズをして答える。

 癪に障るのは、同じポーズをしても風間の方が何倍もサマになっている事だ。

 日本最大の地方警察である警視庁には、第一から第九機動隊と災害現場や事故現場で特殊な車両を扱う特車科がある。ここまでが、表向きの部隊で、実はもう一つ部隊が存在する……らしい。

 それが『第十三機動隊』だ。

 機動隊には各隊に公式ニックネームがつけられている。例えば皇居の一般参賀の警備を行う第一機動隊は『近衛の一機』、水難救助を行う事が多い第二機動隊は『河童の二機』とかね。

 特殊事案専門の部隊である第十三機動隊のそれは、『死の十三機』。ニックネームに因んだ紋章があるのだけど、第十三機動隊の紋章は、髑髏をモチーフとしている。

 かえって不吉なんじゃないかなぁとボクは思うのだけど、逆に不吉な紋章は魔を払うと信じられているらしい。

 幕末の新撰組のトップであった 近藤 勇も、好んで髑髏の刺繍のある刺子を着ていたそうだよ。

 カガリちゃんの警察用語集で、この第十三機動隊の事を知って、第十から第十ニ機動隊が無いのはなぜなのか、斎藤に聞いたことがあるのだけど、

「それは、まぁその、以前はあったんだけど、人数が極端に少なくなって、そのアレですな」

 と、うやむやな回答をしていた。言いにくい事をしゃべる時の彼の癖だ。

 要するに、殉職者が多くて維持できなくなったってことね。その度に、新しい部隊が作られるのだけど、殉職者が多い部隊名は不吉ということで、新しい部隊番号が割り振られ、廃止となった部隊番号は廃番なのだろう。

 特殊事案専門の機動隊は、誰でもなれるわけではなく、霊的な素質も求められるそうなので、人材確保は大変だろうね。

 そういえば、今度第十三機動隊の隊長さんを紹介するって奈央が言っていたけれど、それっきりだった。口ぶりからすると、そいつのことを奈央はあんまり好きではないみたいだったので、連絡を取るのが嫌なのかもしれない。

 奈央は、「いいとこのお嬢様」なので、雑事をすっぽかすようなところがある。

 まぁ、昔から貴族っていうのはそんなものだろう。


 地形確認が終わったら、ボクにはやることが無くなってしまった。

 バンに寄り掛かって、眼を閉じる。

 そして、SNSで判明した、アシヤンの一般的な足取りを頭の中で反芻する。

 アシヤンとかいう、うすら禿のキモ男は、残業代稼ぎに無駄に社内に残り、銭湯が閉まる三十分前に帰ってくる。

 閉店時間が迫ってガラガラの銭湯では十分で体を洗い、二十分温まってから出る。判で押した様に、平日はこの行動パターンを崩さない。

 丁度、銭湯から出てくる時間は、地元もスーパーの閉店時間が迫っていて、彼はそこで半額のシールが張られた弁当の売れ残りを買う。

 食べ物の好みは、ボク同様に無いらしく、余っていたものをランダムに買うらしい。酒は飲まない。タバコは吸うが、ヘビースモーカーではなく、一箱を惜しみつつ四日かけて吸う。一日五本のペースだね。朝起きぬけに一本。毎食後一本。寝る前に一本という吸い方だ。

 うすら禿の分際で、意外と几帳面な性格のかも知れない。あ、禿は関係ないか。

「フダとガサ状、許可出ました」

 堀田巡査部長が、バンから顔を出して言う。フダは逮捕状のこと。ガサ状は家宅捜索令状のことね。

「SITの皆さんは、容疑者逃亡に備えてください。発砲の許可が出ています。警告射撃の必要なし。ただし、殺さないでください」

 奈央が一斉通信で指示を出す。

 表向き、捜査一課の管轄である誘拐事件の事案だが、これは特殊案件だ。指揮権は奈央の特殊事案対策課にあった。

「敵は武装している可能性あり。迂闊に接近しないでください」

 付け加えた、この一言は嘘だ。ただし、タムラの事を勘案すると、鍛えられたSITのメンバーでも確保の際に負傷者が出るかもしれない。

 この嘘は奈央の優しさだ。いや、「甘さ」かも。

「いくよ! 山本!」

 軍用パーカーの裾をバサっと捌いて、奈央が神奈川県警差し回しのバンから降りてくる。

 その肩には、いつの間にか黒い猫が乗っている。斎藤 伝鬼坊 とかいう剣豪の名前がつけられた神出鬼没の猫だ。

 伝鬼坊は、悪い目つきでボクをジロリと睨むと、一声ニャアと鳴いた。まるで、


「遅れるなよ!」


 とでも言っているかの様だった。本当に生意気な猫だ。

 だが、この黒い毛玉が臨場の際に出てくる場合は、危険なケースだ。

 伝鬼坊は、猫のなりをしているが、その実態は二十二本目矢を受け損ね、落命した剣豪の『無念』の実体化であり、奈央に向って飛来してくる危険物を二十一個まで方向ベクトルを変えて、無力化する働きをもつ。一種の防衛機構でもあるのだ。

 彼もまた、当麻の姫を守る『盾』なのかもしれない。

 

 アシヤンは、児取鬼の追随者であり、信奉者だ。

 人間から一歩、闇の方向に踏み出してしまっている。

 つまり、アシヤンは何をするか分からないわけで、無関係な市民がいる場所での確保は、コラテラル・ダメージ(戦闘時の民間人への副次的被害の事)を発生する可能性があった。

 ボクは軍事訓練をアメリカで受けた。その際に、ある程度のコラテラル・ダメージは仕方ないと教わった。

巻き添えを恐れて対象を取り逃がすと、更に大きなテロを起すかも知れない。ボクなら迷わず、小を犠牲にしてでも対象を確実に確保する途を採る。

 だが、奈央は違う。自分を犠牲にしてでも、極力民間人を守ろうとする。

アシヤン確保の地点に選んだのは、スーパーの駐車場。閉店間際のスーパーなら、駐車場に民間人がいる可能性が少ないからだ。

 ボクなら、スーパーの出入り口を確保場所に選ぶ。

 人通りは多いけど、それゆえアシヤンは油断するし、逃走経路は限定される。

 駐車場は、人通りが少ない代わりに、広く暗いし、死角が多い。

 従業員か不法駐車の車が何台かあって、その影に隠れることが出来るのだ。


「駐車場は、選択肢としてどうですかね?」


 無駄だと分かっていたが、一応、意見具申してみる。


「ダメだ!」


 ボクの言葉の意味の裏を即座に読んで、奈央が拒否する。ああ、やっぱりね。


「確実を期するべきだと思いますがね」


 諦めきれずに、食い下がってみる。なんでボクが、奈央のリスクを下げることに必死なのか、自分でもよくわからない。『盾』としての職業意識みたいなものが、こんなボクにも芽生えてきたのかも知れないね。


「ダメと言ったらダメだ。もう、誰も死なせない」


 奈央は優しい。口調はつっけんどんだが、その根底に流れているのは慈愛だ。それは美徳ではあるけど、その美徳がいつか奈央を滅ぼしてしまうようで、なんだかボクの心はモヤモヤするのだ。


「せめて、確保はボクにやらせて頂けませんかね?」


 妥協案を出してみる。だが、返って来たのは、きっぱりした拒絶だった。


「却下する。君は、殺しの訓練しか受けてないだろう? 足利とかいう野郎は、生け捕りにしないといけないんだよ」


 たしかに。ボクなら、状況によってはアシヤンとかいううすら禿を殺すのに躊躇いはないだろう。


「背中は預けた! 山本! いくぞ!」


 奈央が駐車場に足を踏み入れる。

 丁度、間抜け面したアシヤンが駐車場を横切るところだった。

 ボクは、背広の前ボタンを外した。


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