追跡
けっこう大事になってしまったセメント通りの現場を離れる。
大事の原因を作ったのは、奈央だ。わざわざガサ状……あ、これは、家宅捜索令状のことね……までとっておいて、このザマだ。
はじめから、乗り込んで痛めつければよかったのにと思う。
「いろいろと、立場が微妙だからね。『ルールに従っています』っていうポーズは必要なんだよね」
ボクが思っていることを察した風間が、ぼそっとつぶやく。
奈央にせよ、風間にせよ、特殊事案の連中の勘の良さは異様だ。まぁ、そうでもなければ、アレには対抗できないのだろうけど。
カスタマーセンターは、神奈川県警の特殊事案対策課が現場を押さえ、隠蔽工作をするそうだ。
丁度、定期メンテナンスに入るところだったので、今回の事案の影響で発生した一時的なシャットダウンは、なんとかごまかせるらしい。
奈央と堀田巡査部長は、カガリちゃんと通信しながら、バックアップのHDDの解析を進めていた。
カガリちゃんは、異様なまで速さでデータを検索し、抜き出し、分類してゆく。
結果、分かったことは、児取鬼が連絡手段として使っているゲームのギルド『ガゴゼ』の構成メンバーは七人。中には、現在拘留中のタムラも含まれているはずなので、残りは六人。この中に、児取鬼の本体がいる。
ゲームに参加するためには、アカウントを取得しないといけないのだが、必須条件にメールアドレスの入力がある。
このゲームの運営会社は、検索エンジンが提供する簡易に作れるメールアドレスでも登録可能となっているので、追跡が難しいらしいのだけど、『ガゴゼ』の中で、簡易なメールアドレスで作るアカウント ――通称『捨てアカ』というらしい―― 以外の、本式なアカウントで参加している間抜けが居たそうだ。
チャットログに残っていた会話に出てきた人物、アシヤンだ。
川崎病を川崎市の風土病と勘違いして、『ガゴゼ』のメンバーに馬鹿にされていた人物がコイツだ。
その人物のメールアドレスから、住所を手繰ってゆく。
カガリちゃんが、メールアドレスを使って『アシヤン』が登録している『コミュニティ型の会員制サービス』をあっという間に見つけ出し、彼奴が東京都大田区在住の会社員であることをつきとめてしまった。
名前は、足利 広美。女性みたいな名前だが、男性だ。
自己紹介には、細面で知的な美形の顔写真が提示されていたが、これは、マイナーな雑誌に掲載されていたマイナーな男性モデルの写真らしい。
カガリちゃんが、その雑誌の切り抜きを添付資料として、送信してきた。
足利とかいう将軍家みたいな名前の野郎は、「こんな見た目じゃないよ」と言いたいのだろう。
偽装してまで、異性にモテたいのかね? 浅ましい限りだよ。
ゲーム内の名前『アシヤン』こと、足利 広美 の住所が、神奈川県警の所轄ではないが、引き続き風間がボクたちに同行することになった。
なんだか、具合が悪そうなので可哀想だけど、そういう仕事なのだものね。
さすがに、バンの運転は斎藤がすることになった。川崎市内の道案内を兼ねて、風間は助手席に収まる。
ボクは、二列目の座席を独占して、ホルスターからS&W M29を抜いた。
十発の弾丸を発射したこの大きな銃は、まだ撃発の余韻で仄かに暖かくて、まるで生き物の様だった。
ある意味、こいつは生きているのかも知れない。奈央の黒い紋様が暴走して造り出された結界の中で、この銃はボクに『飢え』を訴え、『渇き』を訴え、殺戮を唆したのだから。
呪われた銃、S&W M29。かつて、連続殺人鬼に使われていたこの血まみれの銃は、死刑で死んではずの連続殺人鬼であるボクの手に渡った。
ラッチを押して、シリンダーをスイングアウトする。発射済の弾丸を四発取り出す。未発射の二発も取り出して、背広のポケットに入れた。
ショルダーホルスターに下部にあるケースから、スピードローダーを取り出して、六発の四四マグナムを装填する。
ふと、視線を感じた。
ボクは、誰かに注視されていると、高確率で察知できる。
M29を内側に捻って、シリンダーを振り戻し、視線が送られてきた方向を見る。
カスタマーセンターの事務所の窓の方向だった。そこに、五人の従業員が並んでいて、バンを見下ろしていたのだ。
肉食獣が草食獣の群れを襲い、何頭かが犠牲になり、飽食した肉食獣が去ってゆくのを見送る生き残りの様子に似ていた。
彼らの眼に宿るのは恐怖。いきなり踏み込まれて、拳銃をぶっ放されれば、誰でもそうなるだろう。
「車を出すよ」
斎藤が、風間との走行ルートの打ち合わせを終えて、言う。
奈央は堀田巡査部長と、狭い荷台に設置されたパソコンを見ながら、拳を突き上げて、返事の代わりとしていた。
頬ずりするほど、奈央と接近している堀田巡査部長は、うわずった声で「了解です」と返事をする。
ボクは無言のまま、バンを見下ろす五人を見ていた。
彼らは、特徴のない、普通の若者たちに見える。
だが、何かがひっかかっていた。
怪我でもしているのか、腕を吊った一人が、気になって仕方がない。
「どうした?」
風間が、肩越しに振り返りながら、ボクに言う。
「いや、何でもない」
そう答えて、ボクはM29をショルダーホルスターに戻し、無理やり五人から眼を引きはがした。
確信の無い事を言って、風間の皮肉を聞かされる気分ではなかったのだ。
バンは動き始めた。
同じ川崎市と大田区が隣接しているとはいえ、ここと『アシヤン』の所在地は離れている。
堀田巡査部長経由で、大至急ガサ状が手配されているはずで、発行され次第、捜査一課の誰かが届けに来る手筈になっていた。
ボクは、もう一度振り返って、カスタマーセンターの窓を見る。
窓のところには、腕を吊った男だけが残っていて、バンを見送っているところだった。
何故かボクはこの場でバンを降り、その男の顔面に弾丸を撃ちこみたいという衝動に駆られていたが、堪えた。現時点で第一優先は、『アシヤン』の身柄確保であり、根拠が『何か嫌な感じがしたから』というだけで、これらの行動を遅延させるべきではないと、ボクは判断したのだ。
だが、これは致命的な判断ミスだったのだ。
『アシヤン』の住居は、川崎市に隣接する、多摩川にほど近い地域の古ぼけたアパートだった。いまどき、風呂もないアパートは珍しいが、殴れば崩れそうなこの建物は風呂無しだ。
その分、家賃は格安らしい。
ここへ来る道すがら『コミュニティ型の会員制サービス』の情報を、奈央と堀田巡査部長は確認していて、
『近所の銭湯に寄ってから帰宅する』こと
『ドライブが趣味で、いろんなところに車で出かける』こと
『告白しようと思っていた娘が、婚約して会社をやめてしまった』こと
など、様々な個人情報を入手していた。
ボクは、会員制とはいえ、不特定多数の人間が見る『コミュニティ型の会員制サービス』――― 通称SNS―――に、極私的な事を書き込む奴の気が知れない。それとも、今はこれが普通で、ボクが時代に遅れているだけなのだろうか。
『アシヤン』のヤサ(あ、これは住居を示す警察用語ね)の周辺は、町工場が密集していて、ボクが一時期住んでいたことがある埼玉県の川口とイメージが似ているなぁと思っていた。
轟音に空を見上げれば、飛行機が低く飛んでいる。そういえば、羽田空港が近くにあることを思い出す。
奈央は、焦れているように見える。
児取鬼の事案には、タイムリミットがあるからだ。
奴と、その追随者たちは、一定期間、獲物を監禁する。誰も生還者がいないので、その期間にどんなことが行われるのか定かではないが、遺体の損傷から類推は出来る。
口にするのもおぞましい事柄だ。
彼らには、生命に対する尊敬の念は見受けられない。
ボクも彼らと同じく連続殺人犯だけど、ボクは標的を嬲るような真似はしたことがない。だが、彼らはそれを好んでやる。
今、包囲しつつある『アシヤン』も、拘留している『タムラ』も、それに加わっていた可能性があるのだ。
奈央は、一秒でも早く、誘拐されたと思しき 君原 綾香 ちゃんを助け出したいと思っている。それが、カスタマーセンターでの黒い紋様の暴走に繫がったのだ。