本来の役目
ビクン、ビクンと痙攣している若い男を、蹴って応接スペースの端にどかし、ドアを閉める。
応接スペースを覗き込むようにして、四人ほどの従業員がいたが、誰もボクとは目を合わさなかった。まるで、位負けした犬の様に。
奈央は、金子を押さえつけたまま、過剰に防衛したボクを横目で見ていたけど、何も言わなかった。また、怒られるかと内心ヒヤヒヤしていたのだけれども、なんだか拍子抜けだ。
堀田巡査部長は、壁に背をつけるようにして、壁際に立っている。突然の暴力の発生に、竦みあがってしまったみたいだ。
風間は、興味無さげにソファーの背に腰かけて、指のササクレなんかをいじっていた。
何もやることが無くなってしまったボクは、出入り口を監視できる位置に立っている。もちろん、背広の前ボタンは外した。もしも物騒な増援が来たら、いつでもM29を抜けるように。
風間は、伊達なシャツをめくって、無造作にベルトに挟んだだけの拳銃のグリップを見せていた。
軍事キャンプの教官が使っていたので、すぐに分かったのだけど、多分あれはコルトM1911だ。
第二次世界大戦の際に、米軍によって使われた無骨なオートマチック拳銃で、未だに現役で使用されている傑作拳銃の一つ。
マニアの間ではこの拳銃の通称であるガバメントを略して『ガバ』と呼ばれているらしい。
「ベトナム戦争で、民間人をぶっ殺しまくった部隊の士官の銃だよ。そのアホは、軍法会議で死刑にされたんだが、銃だけが残ったわけでね。いわゆる『曰く、因縁がある凶器』だよ。あんたのM29とご同様さ」
ボクが、風間の拳銃を見ているのを察したか、問わず語りに風間が言う。
アメリカでの、奇妙な倉庫での出来事を思い出す。ショルダーホルスターに収まっているM29と同じく風間のガバも、死の記憶をまとわりつかせながら、あの倉庫に眠っていたのだろうか?
その間にも、奈央はテーブルに金子の頭を叩きつけた姿勢のまま、金子を押さえつけていた。
金子は白目を剥いて、ガクガクと体を痙攣させていて、口から泡をふいていた。まるで、麻薬の過剰摂取みたいだった。
奈央の端正な顔は無表情だったけれど、びっしりと油汗が浮かんでいて、とても苦しそうに見えた。
額から高い鼻梁を伝って、桜桃のような可憐な唇に汗が伝わっている。
ボクはそれを、舌で嘗めとりたいという変態じみた願望を持て余していた。どうも、奈央を見ていると感情が剥きだしになる。
異様なまでの自制心で、連続殺人を同一犯に見せなかった『ボク』らしくない。
「南側の……スチールの棚の……三番目……HDドライブ……」
まるで、泥酔した人物が途切れた記憶を探るような口調で、金子がしゃべり始める。金子の痙攣が大きくなり、眼球がすごい勢いで、出鱈目に動いている。
「堀田さん。HDを回収! 山本は彼女を守って!」
痛みを堪えた声で奈央が言う。
弾かれたかのように、ギクシャクと堀田巡査部長が歩き出した。
ボクは、蹴破られたせいで少し歪んだドアを開けて、彼女を通してやる。
風間は嫌悪を讃えた目で奈央を見ながら、相変らず傍観者の構えだ。
「何が起こっているの? 私、怖い」
微かに震えながら、堀田巡査部長が言う。
彼女からは、恐怖の匂いがした。
いつもはショートボブか、それを無理やり後ろで束ねるのが、彼女の髪型なのだけれども、今は束ねている。
だから、か細い首が彼女の背後を守るボクの眼に映った。
腕を絡めて締め上げれば、彼女は死ぬ。
つるんとしたゆで卵のような彼女の頬に、ボクの頬をすり付けながら、ゆっくりと圧迫を強めたら、彼女の息遣いが耳朶をたたくようで、なかなかいいだろうなと思う。
「え? 何か言いました?」
いきなり、堀田巡査部長が振り向く。
おっと、危ない。彼女は、まるで守護天使がいるかのように、危険に敏感で、しかもナチュラルに回避する傾向があるんだった。
「いいえ? 何も」
眼を細めて曖昧な笑みを浮かべながら、答える。
眼の奥にある、ボクの本当の願望を見られただろうか?
とっさに作った表情は、それを隠せていただろうか?
「そ……そうですか」
何を勘違いしたのか、ぽっと頬を赤らめて、堀田巡査部長が顔をそむける。
勘働きは鋭いのに、彼女は絶望的に人を見る目が無い。
HDDを回収した堀田巡査部長を先導しつつ、雑居ビルの階段を降りる。
やっと、堀田巡査部長は平常心を取り戻したらしく、恐怖の匂いは発散していない。
ボクも、奈央が見せた苦痛に歪む顔で、催してしった精神の動揺が収まったようで、うっかりと、小動物を連想させる同僚の女性に殺意を抱いてしまうような無様なことはなくなった。
「山本さんって、お強いんですね。暴漢をあっという間に制圧したんですもの」
ボクは誰かと技を競うことなどしない。
だから、強いのかどうかなんて知らない。かかってきた相手よりは強かっただけだ。
相手よりボクが弱ければ、死ぬ。それだけのこと。
「わたし、体格が小さいし、術科が苦手で……。 そうだ! 今度指導してください」
術科とは『柔道』『剣道』『逮捕術』『射撃』のことだ。
警察官の必須科目であるが、そんなものは学んでいない。
『効率的な人の殺しかた』
ボクに叩き込まれたのは、これだけだ。
「他人に教えるのが下手なので、良い指導者にはなれません。堀田さんに怪我でもさせたら、彼氏に怒られてしまいますよ」
模範解答を選んで答える。
彼女は肩越しに振り返り、
「わたし、彼氏いませんから」
と答えて、すぐに向き直る。顔は見えなかったけど、耳が赤い。
奈央は以前、我々を「テンプレ・ラブコメ野郎」とからかったけど、ボクが感じたのは脱力感だけだ。
『めんどくさい』
そんな事を思う。
「何か言いましたか?」
彼女が言う。勘だけは実に鋭い。近い将来、それがボクにとって致命傷になるかもしれなかった。
常に、用心しなければ。
ワンボックスカーの横で待っている斎藤の周囲には、三人の若者が倒れていて、増援は斎藤一人で倒したらしかった。
「ひっ」
倒れている若者のことごとく手足のどこかが、不可能な方向に曲がっているのを見て、堀田巡査部長の恐怖が蘇ったみたいだった。
いちいち、驚いてばかりで、さぞ今日は寿命が縮んだだろうね。
「公務執行妨害と銃刀法違反の現行犯」
斎藤が、地面に倒れて呻いている若者三人を差して言う。
「でしょうね」
そう答えて、ワンボックスカーの入り口付近に転がっているバカを蹴りどかして、堀田巡査部長を車内に誘う。
巣に逃げ帰るリスの様に、彼女は車内に入った。
スライドドアを閉めたが、窓ガラス越しに、不安げな視線をボクに送ってきていた。
『やめてくれ』と、思う。依存されるのは面倒だ。それに、距離が近くなると、偽装が難しくなる。
それでもボクは、曖昧な笑みを浮かべて、『大丈夫』と口を動かした。
泣いているような、笑っているような表情で、堀田巡査部長が頷く。
「彼女を頼みます。それと、風間はこいつらを逮捕しないみたいですよ」
斎藤が顔をしかめる。管轄が違うので、風間に処理を押し付ける気だったのだろう。
「こいつらは、ほっといていいんじゃないですか?」
起き上がろうとしていた男の頭を、サッカーのペナルティキックの要領で蹴りながら、斎藤は
「そうだね」
と答えた。男は一瞬地面から浮かぶと、ゴツンと音を立てて地面に倒れた。
なんだか、斎藤の新しい側面を見たような気がする。
パンダが可愛いと思っていたら、やっぱり熊だったみたいな感じだろうか? いや、例えとしては的確ではないな。
「術式を解放していますよ」
オフィスのあるフロアの窓ガラスを見上げながら、そうボクがつぶやくと、斎藤の顔が曇る。
「何がなんでも情報を得ようと、無理されているご様子ですな」
そう言って、顎を擦る。
眼には見えないが、小さく髭は伸びているのか、斎藤の分厚い掌がじょりじょりと音を立てていた。
「心配です」
斎藤の反応が薄いので、少し意外だった。だから、言わずもがなの言葉を重ねてしまった。
「山本君の役目じゃないよ、それは。君は『盾』。姫様に降りかかる刃を受け止めるのが、君の存在意義さ。心配など、おこがましい」
突き放すような言い方。
だが、腹は立たなかった。まったくもって、その通りだからね。
「では、役目を果たしにいきますか」
そう言い捨てて、再びビルに入る。
「気を悪くしないでくれたまえよ」
ボクの背に斎藤が言う。
ひらひらと右手を振って、気にしていないという意思を伝える。
面倒臭いので、わざわざ振り返ることはしなかった。




