川崎のセメント通り
調布の駅前に着いた。
そういえば、この近所にある飛行場にボクはアメリカから帰ってきたのだった。ほんの一ヶ月ほど前の事とは思えない。色々ありすぎて、もう一年以上前の出来事の様に思える。
駅前には、盾のように胸の前でノートパソコンを抱えた堀田巡査部長が、所在なさ気に立っていた。
もともと、調布は治安の悪い場所で、堀田巡査部長のような小動物系の小柄な女性がポツネンとしているのには向かない場所なのだけど、今回は斎藤が同行している。
さすがに、レスラー並みの体の斎藤を押しのけて堀田巡査部長にナンパを仕掛ける程の馬鹿はいなかったみたいだった。馬鹿が多い町だけど。
二人は我々に気が付くと、駅前のバスロータリーを横切り、車に乗り込んできた。
「あ、今回はどうもです。警視庁捜査一課特殊犯捜査第一係の堀田です」
チャラい外見の風間に面くらいながらも、堀田巡査部長がぺこりと頭を下げる。
当の風間は、
「あ、ども、ども、神奈川県警特命捜査対策室の風間ですぅ。いやぁ、可愛いっすねぇ」
などと、ヤニさがりながら、名刺交換などをしていやがる。そのくせ、斎藤には、
「あ、おひさっす」
とそっけない対応だった。
斎藤も「うむ」と頷くだけだ。互いに嫌っているのを、隠さそうという努力すらない。
堀田巡査部長が、この雰囲気に耐えかね、ボクに視線を送ってくる。
ボクは、肩をすくめて見せた。どうも、アメリカでこの仕草が癖になってしまったようだ。
堀田巡査部長と斎藤が車に乗り込む。
堀田巡査部長はともかく、斎藤が乗ると急に車内が狭くなったような気がする。圧迫感ってやつだね。
「……で、フダとれた?」
ダッシュボードに足を乗せた、なんとも無作法な奈央の恰好に再びショックを受けながら、堀田巡査部長がどもりながら答える。
なんだか、ショックの連続で、彼女が可哀想になってきた。
「あ、で、大丈夫です」
何が大丈夫なのか、よくわからなかったが、捜査令状は発行されたという事だろう。
「風間、川崎に戻って、住所はここ」
奈央は斎藤からメモを受け取り、チラッと見てに風間に投げてよこした。
調布にあるのは、大規模MMO運営会社の営業所。
データは、川崎にあるカスタマーセンターで管理しているらしい。
「へ~い。では進発しま~す。そうそう、堀田ちゃん。メアドちょうだい」
メアドとは、多分メールアドレスの事だろう。警察用語ではないから、日本語のスラングだろう。
「へ? あ? え~と…… 」
堀田巡査部長がスマホを取り出そうとして、はっと手を止めた。
「あ! ダメです! 何をどさくさまぎれに!」
さすがに、堀田巡査部長が声を荒げる。風間は、へらへらと笑うだけだった。
斎藤も奈央も無言のまま。もちろん、ボクも。
捜査令状をとった運営会社が管理しているゲームは、カテゴリーは大規模MMORPGとかいうらしい。
何の略号か、ボクのようにゲームをしない人間にはさっぱりわからない。
その、オンラインゲームのデータを管理するカスタマーセンターとやらは、川崎市の中心街の外れ、海岸沿いの工業地帯に続く幹線道路の脇道にあった。
ここは、通称『セメント通り』という一角で、個人経営の焼肉屋が集まっていることで、一時期有名になった場所だ。
MMORPGは、隣国が本社というのも少なくなく、この地域は隣国の人々が集まる場所なので、拠点を作りやすいということがあったのかもしれない。
古びた雑居ビルが、その運営会社の住所だった。
奈央がその、すんなり伸びた長い脚をダッシュボードから降ろして、車から降り立つ。
軍用シェルパーカの裾をバサッとさばいて、雑居ビルの中に入ってゆく。
エキゾチックな隣国の文字で書かれた掲示板があり、事務所の所在フロアを示しているらしかった。五階建てのこの雑居ビルには、七つほどの会社が入っているらしい。
全部、隣国の企業らしかった。
「四階っすね」
掲示板を見て風間が言う。
大陸の黒社会(いわゆる大陸マフィア)の他、神奈川県には隣国のギャング組織も多く入ってきているそうだ。だから、言語を習得しているのだろう。ゆえに彼は、この文字が読めるらしい。ボクにはさっぱり分からないけど。
そういえば、奈央も大陸の言葉も隣国の言葉もネイティブ並みに話せる。聞いたことはないが、英語も仏語も独語もペラペラという噂だ。新宿署は歌舞伎町という繁華街を抱えているので、語学に堪能な署員は多い。
エレベーターが無いので、階段で行くことになった。
斎藤は、階下で待機となった。ひょっとして、奈央は荒事になると予想しているのかね? まぁ、とにかく、この界隈の事情はまったく読めないので、臨機応変に行くしかないだろう。
運営事務所は、四階のフロアを全て借りているらしかった。小さな事務スペースに電話とパソコン。このフロアの大部分は、大きなサーバで占められているらしい。事務所というよりは、電話局の基地みたいな感じだ。
電話局の基地なんか、ボクは見たことないけど、映画とかで見たのだろうね。きっと。
「あんさん、だれや?」
のっぺりした顔で、頬骨ばかりが目立つ男が、作業中の机から顔を上げて言う。奈央がドアをノックして開けた途端の言葉だ。関西方面の訛りがある。
普通は「いらっしゃいませ」とか「ご用件は?」だと思うのだけど、訪問するような人はいないのかもしれない。
「警察。責任者どこかな?」
不作法を気にも留めず、奈央が身分証を提示しながら言う。
彼女がやると、相変わらずサマになる動作だ。ボクも続いて提示しようとしたが、ポケットにひっかかって取り出すのに手間取ってしまった。
なかなか拳銃を抜くようにはいかないものだね。
事務所にいた男は、呆けたような顔をして、奈央の顔と提示された身分証を見比べていた。
「えらい、べっぴんさんやな」
いきなり警察が乗り込んで来れば、普通の人間は動揺する。悪い事をしていなくても、何かあったかと勘ぐってしまうのだ。
この男は違った。警察に『慣れて』いるのだろう。
「あら、ありがと」
奈央がひらりと笑う。奈央は笑うと、左の頬だけに『えくぼ』が出来る。ボクは、それを見るのが好きだ。その部分を切り取って、保管したいくらいに。
「あなたが責任者?」
奈央が言う。男は、奈央の喉元から胸に、粘りつくような視線を送っていたが、
「わしが、ここの責任者や」
と、言った。
我々が案内されたのは、パーテーションで仕切られた応接スペースのような場所だった。
天井には大型の換気扇があり、運営会社の責任者は、照明スイッチを入れ、同時に換気扇のスイッチを入れた。
部屋は全体的に黄色く煤けており、タバコの匂いがした。タバコが嫌いな堀田巡査部長は、小鼻に皺をよせ、小さな声で「くさ……」とつぶやいた。
「カスタマーセンター長の金子です」
男は、カジノのディーラーのように、名刺を我々に一枚ずつ配る。
そして、胸ポケットに名刺入れを収めるついでに、タバコの箱を取り出した。フィルター無しのキャメルだった。どうりで、金子の指が茶色く汚れているわけだ。
ピカピカに磨かれた銀色のオイルライターをポケットから出して、キャメルを咥えて火をつける。キャメル特有のいがらっぽい紫煙が上がる。
煙は生き物のように天井に吸い込まれてゆく。堀田巡査部長は、梅干しでも口に押し込まれたかのような顔をしていた。嫌なんだろうね。
「なんや、家宅捜査令状もっとんのかいな? うちらは堅気やで。叩いても埃は出えへん」
金子はキャメルを吸い付け、盛大に煙を吐き出しながら言う。奈央に煙を吹きかけるためだ。
堀田巡査部長が、この不作法な仕打ちにむっとしたのか、目の前の煙を手で打ち払う仕草をして、わざとらしく咳をする。
奈央は、薄ら笑いを浮かべただけ。
風間は、観客気分でニヤけたまま様子を見ている。
ボクは、今日何度目かの殺意を持て余していた。どうも、奈央がらみだと、どうもボクは沸点が低くなってしまうらしい。
いつか、これが致命的なことになる様な予感がして、なんだか落ち着かない気分だ。