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風魔の裔

 この白髪やろうの顔面に、四四マグナムを叩き込んだら、さぞかし気持ちいいだろうなぁ。

 そんなことを考えていると、奈央の手が隣に座っているボクの膝に触れた。

 少し、殺気が漏れたのかもしれない。

 奈央は、そのあたりは実に敏い。

 番犬めいた、凶暴な顔つきの男は、おそらく警備部の人間なのだろうけど、ボクの殺意には気が付かなかったみたいだった。

 あまり優秀ではないね。


「遠慮なく、頂きます」

 奈央は、無造作に湯気の立つカップをつかみ、一口すすって微笑みを浮かべた。

「次回は、シナモンを少し弱めに、メイプルは四分の一匙ほど多くして下さるようお願いします」

 そんなことを、しれっと奈央は言った。

 天使のような笑顔のまま。

 白髪男も微笑を崩さなかったが、カチンときたはずだ。

 不意打ちを浴びせたつもりが、奈央に


「そんなこと、気にしないよ」


 と言われたに等しいのだから。

 前哨戦は、一勝一敗といったところかね?


「先ほど『本社』から依頼がありましてね。『東京支社』からいらっしゃる姫様に便宜をはかるように……とね」

 後から聞いた話だが、昔から神奈川県警は独立不羈の気概が強いらしい。

 『本社』という符牒で呼ばれる『警察庁』の意向など何するものぞという豪気な気風があるのだ。そういう意味では『東京支社』という符牒で呼ばれる『警視庁』と似ていた。似ているからこそ、互いに嫌い合うのかもしれない。近親憎悪ってやつか。

「我々も治安維持に関しては、あなた方と同じ立場です。協力するに吝かではなりませんよ。ただし、条件があります」

 白髪男が笑顔のまま言う。

 傍目には、和やかに談笑しているように見えるだろう。

 だが、違う。

 テリトリーを侵されて、唸り声を上げる犬と平気で他のテリトリーに踏み込んでおいて、堂々としている犬との睨みあいなのだ。

「私の同行が、条件です」

 不意に声がボクたちの背後からかかる。

 正直に言わせてもらうと、ボクは跳び上がるほど驚いていた。

 ボクは、気配の変化に異様に敏感で、誰かに尾行されていたり、注視されていたりすると、それを察知できる。

 それゆえ、なかなか警察に捕まらなかったのだけど、その素質は軍事キャンプの特殊部隊用の訓練で更に磨かれていたはずなのだ。

 ボクを殴ったり、罵ったりしかしなかった教官も、このボクの感覚だけは褒めていたのだ。それなのに、こんなに近くまで誰かを接近させてしまうなんて、失態もいいところだ。

「神奈川県警の『猟犬』、風間かざま 駿兵しゅんぺい

 奈央が、吐き捨てるように言う。

 神奈川県警にもいわゆる『特殊事案』はあって、それに対処する当麻家のような存在があるらしい。それが、風間一族だった。うわさによると、後・北条に仕えた風魔衆の末裔とか。

「犬よばわりは酷いなぁ、奈央さん。まぁ、私が猟犬なら、さしずめあなたは警視庁の『雌犬』ですかね?」

 薄ら笑いを含む声が降ってくる。

 その一瞬でボクの思考がしんと冷えた。あっけなく背後を取られた屈辱感は既に消えていた。過ぎたことを悔やんでも仕方ないから。

 もう、ボクの脳は違うことに使われている。声の大きさから相手の距離を、発声源から彼奴の位置の角度を、ここに着席するまでに頭に叩き込んだ地形を、全て計算に入れて、立体図を頭の中に構築することに費やされていたのだ。

 今、ボクは目をつぶったまま、ここを全力疾走しても、誰にもぶつからず、何にもぶち当たらず走ることが出来るはずだ。

 ウエイトレスが歩く足音。歩幅と歩く速度を計算する。

 風間とか言う奴が立っている位置とボクの間をウエイトレスが通るまで、あと三歩。その瞬間に撃つ。その後のことは知らない。関係ない。

 奈央が侮辱された。

 侮辱には死をもって報いる。それだけだ。

 握って開いたボクの右手の指関節が、ポキッと鳴った。

 ボクの銃を抜くその右手に、ひんやりした奈央の手が重ねられる。

 たった、それだけのことで、ボクは動けなくなってしまった。関節を極められたりしたわけではない。ただ、動けなくなったのだ。

「山本。やりすぎ」

 殺意は漏れないようにしていた。

 予備動作もなかった。

 現に、目の前の白髪男と凶暴な顔の男は、ボクの変化に気が付いていない。

 だが、奈央はボクが何を狙っているか、予め察している。


「まったく、躾が出来てないなぁ。制御できているのかい?」


 風間の小馬鹿にしたような声。

 こいつもまた、ボクの殺意に気が付いていたらしい。


「ウチのことは、どうでもいいんだよ。風間さんよ。これで手打ちなら、あんたが案内役だろ? 正面に車回しときな」


 背もたれに、思い切り背中をあずけ、逆しまに頭を背後に向けながら、奈央が伝法に言う。

彼女の白い喉が、ボクの目に晒されていた。

 思わずそこにかぶりついて、喰い破りたい衝動を、やっと抑える。



 堀田巡査部長から連絡が入る。異例の速さで、ゲームの運営会社への捜査令状が下りたそうだ。

 運営会社の所在地は、東京都下の調布市。新宿から三十分足らずの、ベッドタウンだ。

 堀田巡査部長とは、調布駅前で待ち合わせすることになった。

 ランドマークタワーの従業員用エレベーターで地下まで降りると、黒のワンボックスカーが待っていた。

 運転席の脇には、細身で金髪の男が車に寄り掛かるようにして待っている。

 着崩した暗緑色のスーツ。ネクタイはしていない。ワイシャツは、なんと白地に赤い薔薇の模様だ。更に、信じられないことに、ワイシャツをズボンに入れておらず、外に出している。

 ボクは、なんでもズボンにたくし込まないと気が済まないので、この男を見ているだけでイライラする。

 しかも、耳には翡翠色のピアスが光っていて、同じデザインのピアスが鼻にもしてある。

 ボクが思ったのは、指を引っかけて毟り取りたい……と、いう事だった。

 ピカピカに磨き上げた革靴は真っ白で、先が尖っている。

 頭の先から足先まで、ここまで気に入らない男は、初めて遭遇したよ。

「風間、目的地変更。調布に向ってちょうだい」

 奈央は、勝手に助手席に座って、思い切り座席を後ろに下げ、ダッシュボードに足を乗せた。

 ボクは、運転席の真後ろに座る。

「調布は管轄外ですけどね」

 へらへらと笑いながら、風間はそれでも車を出した。

 近くで見て気が付いたのだけど、鼻梁は高く、たれ目気味な目はやや青みがかっており、細身で長身なこともあって、日本人離れした面相だった。

 わざと片言の日本語で話せば、英国人だと言っても信じる馬鹿はいるだろう。英国王室の者だといって、結婚詐欺を働いていた、有名な詐欺師『クヒオ大佐』をボクは思い出ていた。


 何の歌だか知らないが、ずっと風間は鼻歌を歌っていて、耳障りだった。

 奈央は、全く気にならないようで、ダッシュボードに足を乗せたお行儀の悪い格好のまま、静かな寝息を立てている。

 多摩川に沿って、車は走っていた。

 ボクは、学生の頃このあたりに住んでいて、初めての殺しは、この近くに住む老人だった。

 嵐の日。空気の中に、暴風のエネルギーが帯電していて、まるでボクに活力を供給しているかのようだった。

 あの日、ボクは境界線を踏み越えてしまった。

 そのせいで、ボクは連続殺人犯となり、逮捕されて死刑を執行され、生かされて本格的な殺しの訓練を受け、古来より都の『乾の方角』を守護してきた一族の姫と、人ならざる者と戦っている。

 そのはじまりが、この街だった。

「君の正体を知っているよ」

 いつの間にか、風間の鼻歌は終わっていて、ミラー越しにボクの顔を彼は見ていた。

 ボクは返事をしなかった。

 こいつは、奈央を侮辱した。そのことについて、ボクは、こいつを許していない。奈央に止められたから殺すのを一時止めたにすぎない。

「死刑執行された連続殺人鬼。前例のないシリアルマーダー。通称『事例・零』だろ?」

 からかうような口調。今、風間はボクに背後をとられている状態なのだけど、気にも留めていないようだった。

 ますます、気に入らない野郎だ。ホスト崩れみたいな恰好しやがって。

「興味があるよね。生きている、本物の殺人鬼なんて、なかなかお目にかかれないもの」

 風間が口笛で、ファンファーレのような短いフレーズの曲を奏でる。

「なぁ、人を殺すって、どんな気持ちだった? 性的に興奮とかしたのかい?」

 こいつは、ボクを分かっていない。

 快楽殺人者か何かだと思っているのだろう。

 ボクにとって、殺人は単なる手段に過ぎない。言うなれば儀式の様なものだ。

 ボクは探究者なのだ。生まれながらにして、恐怖を知らないボクが辿りついた真理の一つが、『恐怖とは死によって惹起されるもの。恐怖の根源は死なのだ』ということ。生命に縋りつく行為そのものが恐怖の一形態であり、ボクは死刑のその瞬間、ボクが渇望していた回答まで、あと一歩のところにまで行ったのだ。

 そんなこと、この風間に言っても仕方ないことだ。

 どうせ、理解されないし、理解しようともしないだろう。

 だが、奈央なら?

 ボクの内なる願望を、理解して欲しいと思う。

 ああ、もしも、その探求の旅に一緒に行けたら、どんなにいいだろう。

 ボクは、風間に沈黙をもって応えた。

 風間は、舌打ちをして白けた表情になり、また何の歌だか分からない鼻歌を歌い始めた。


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