紳士ヅラした嫌味な野郎
作業自体は簡単だ。
タムラが入店した時間は分かっているのでそこまで早送りし、タムラのチャット内容が書かれているPC画面を拡大する。
拡大した画面を、専用のソフトにかけてトリミングして鮮明化して、時系列に従ってコピーペーストして貼り付けて行く。
簡単だが、えらく時間がかかる作業だった。
タムラが、『ガゴゼ』のギルド仲間とやっていたのは、情報交換だった。
犠牲者候補の情報。
捕獲した女児に、今度は何をするかの相談。
過去に行った行為の自慢話。
犠牲者の悲鳴。
血の匂い。
胸くそが悪くなるような話ばかりだった。
何より、彼らには『死』に対する敬意が足りない。
『死』に敬意を払わないということは『生命』への賛歌もないわけで、ボクは彼らと同じく連続殺人犯なのだけれど、何一つ彼らの思考に賛同できるものを、見出すことが出来なかった。
思ったのは、この席を立って、拘束されているタムラの所に行って、四四マグナム弾を顔面に叩き込みたいという事だけだった。
ボクが三日分のデータを文書化する間に、カガリちゃんはその十倍以上のデータを解析して、タムラの会話内容を文書化してしまっていた。
いったい、どんな手を使ったのかしらないが、彼女の情報処理能力はまるでマシーンのようだ。
今回の事件に関係すると思われる部分を、抜き出してゆく。
監禁場所の割り出しが、最優先だ。
身代金要求の連絡はないらしいことが、堀田巡査部長からもたらされる。
当然だ。児取鬼とその信奉者たちは、誘拐した子供自体が目的であり、金銭を手にする手段としている訳ではないのだから。
「この部分に注目してください」
堀田巡査部長が、ノートパソコンを操作しながら言う。
奈央が身を乗り出して、その画面を見ていた。
堀田巡査部長と頬ずりするかのような距離だ。
近い、近い、近い……
なぜか顔を赤くしながら、堀田巡査部長が小声でつぶやいていたが、奈央は気が付かない。
『磯の香がキモチワルイ』
という部分と、
『たしか、ここの地名がついた病気あったよな? 行きたくないんですけど』
『馬鹿、それは人物名だろwww 地名カンケーねぇってwww』
『幼児がかかる病気だろそれ、おまえの頭は幼児並みだけどなwww』
という会話の部分だ。
堀田巡査部長が、関東近辺の海岸沿いの地名を並べる。
膨大な数だった。
そして、幼児がかかる病気で、人命がついた病名を並べて、比較検索をかける。
導き出されたのは……
『川崎』
だった。
幼児が罹患する難病に『川崎病』がある。
『皮膚粘膜リンパ節症候群』
とも呼ばれる病気で、一九六七年に川崎富作博士によって報告された、乳幼児に発症する熱性疾患のことだ。
川崎市という地名とは関係ないのだが、たまに勘違いする者もいる。
「監禁場所は、川崎市……」
つぶやいて、堀田巡査部長が顔を曇らせる。
管理区域が隣接する東京都の地方警察である警視庁と、神奈川県警は犬猿の仲なのである。
そして、形の上では、奈央は警視庁に所属している。
「仕方ない、当麻の『力』を使うか」
本当に嫌そうに顔をしかめながら、奈央が言う。
平安の昔から、国家の警察権力と結びついていた当麻家のことだ。
さぞかし多くの切り札を持っているのだろう。
「そっちは、私に任せて、場所の絞り込みに傾注しなさい」
しぶしぶといった風情で奈央が請け負う。
彼女が「任せろ」と言ったのなら安心だ。
チャット内容の文言を拾ってゆく。
メンバーのうち、何人かが監禁場所に赴いたと思われる発言をしていることが、分かった。
そのうち、『豚嫌い』、『アシヤン』と名乗る二人にボクとカガリちゃんはポイントを絞り、発言を抜き出してゆく。
分かったのは。倉庫街ということと、橋を渡るということ。
地図を参照して、いくつかの地点に絞り込んだが、それが限界だった。
カガリちゃんも、同意見らしい。
堀田巡査部長は、あっちこっちに電話をかけていて、捜査令状を迅速に発行できるように取り計らっているようだった。
何度か『当麻』の名前を出していたので、警察内部の当麻家の影響力も利用したのではないかと思う。
無害な小動物っぽい顔をしていながら、けっこうやることはソツないしエゲツない。
奈央が、足音高くパーテーションで区切られただけのオフィスに入ってきた。
機嫌が悪い時の足音だ。
「話はついた。横浜にいくよ!」
本家と話をすると、いつも奈央は機嫌が悪くなる。
何か確執がありそうだけど、ボクはそんなことを聞く間柄ではない。ボクは、身を挺して彼女を守る『盾』。使い捨ての道具にすぎないのだから。
「堀田君も、捜査令状を受け取って、横浜に集合。場所は……」
テキパキと指示を出して、ボクにはクイっと顎を出口の方に向けた。
ついて来いという事らしい。
「何処なりと、何処へでも」
と、嫌味を込めてそう言ったのだけど、当然ながら無視された。
横浜ランドマークタワーの、高層階にあるホテルラウンジで、神奈川県警の偉いさんと会うことになっているらしい。
同席は、ボクだけ。
こういう時に出番のはずの斎藤は、フダの発行を堀田巡査部長と根回しに奔走していて、あとで合流するらしい。
砂色のカーゴパンツに白の長袖のTシャツ、ジャングルブーツにシェルパーカといういつもの格好で、奈央が指定された場所に指定された時間に着く。
ボクは要人警護の訓練どおり、ざっとラウンジ内を見渡していた。訓練された眼で見ると、異分子はすぐわかる。
異分子とは、一般市民では無い者。
たとえば、警察官。
たとえば、犯罪者。
たとえば、ヤクザ。
そんな連中の事だ。
だから、ラウンジの奥、壁を背に、ロビーの入り口に鋭い目線を飛ばしている者にはすぐに気が付いた。
「六時の方向。壁際」
ボクが唇を動かさずに、つぶやく。
奈央は微かに頷いた。彼女も気が付いていたらしい。さすがだ。
壁際の目つきの悪い男の隣に、白髪まじりの髪をきれいに撫でつけた初老の男がいる。
多分、こいつが親玉だ。挙措に余裕がある。
「おまたせしました。当麻です」
目つきの悪い男を無視して、奈央がその初老の男に頭を下げる。
その初老の男は、一瞬びっくりしたような顔をしたが、すぐに柔和な笑みを浮かべて、椅子から立ち上がった。
「神奈川県警本部長補佐、河上です」
と、答礼する。
県警本部長といえば、神奈川県警のトップ。警視庁でいえば警視総監に相当する。補佐という役職はないが、事情があれば臨時に任命できるらしい。
要するに、この河上という人物は、神奈川県警という巨大組織のどこから来たのか、判然としない人物ということになる。
考えられるのは、対『当麻』の外交窓口といったところか。
もしくは、奈央同様『特殊事案専従班』かもしれない。
そして、目つきの悪い方の野郎は、ボクと同様『護衛』なのだろう。警備部からだれかを引き抜いたか、公安絡み。そんな匂いがする野郎だ。
すかさず、珈琲が運ばれてくる。
奈央が好きなピーベリの豆をベースにした香気。それに、チョコレートと、シナモンの香りがした。間違いない、彼女が近所の珈琲専門店で頼む
『カフェモカ・グランデでミルクはローファット砂糖なしメイプルシロップ増しシナモン絡め』
……という悪趣味な代物を、再現したものだ。
紳士ヅラして嫌味な野郎だ。
こいつは、奈央のことをリサーチ済みであることを、言外に匂わせているのだ。