意地
ボクの姿を認めて、堀田巡査部長が駆け寄ってくる。
「どうでした? 誰かいました? 裏庭とかには、誰もいませんでしたよ」
などと、暢気なことを言っている。あそこには、プロの犯罪者と思われる男がいて、何かあったら我々を殺す気だったのに。
こっちが警官だろうと関係なく……ね。
「はい、店主が親切にもデータを提供してくれました」
そういって、ボクは微笑む。
日本では、曖昧な笑顔は最も効果的な偽装。
命のやりとりをしてきたことを、この小動物のような女性にわざわざ言わなくてもいい。
「ほっぺに、何かついてますよ」
堀田巡査部長の言葉に、ボクは指で頬を撫でた。
ぬるっとした感触。
血だ。
多分、ボクは返り血を浴びていたのだ。
全身をチェックしたはずなのだけど、見落としがあったらしい。なんとも、ボクらしくないミスだ。
ボクは慎重な男だけど、たまにこういった凡ミスをする。そういえば、こうした凡ミスで警察に捕まったのだった。注意しなければ。
新宿署に戻る。
堀田巡査部長とは途中で別れた。
本社……警察隠語で警視庁の事……に戻る必要があるらしい。
ボクは、地下にもぐり、奈央のオフィスに向かう。
「USBメモリを持ってきました」
まずは口頭で報告する。
奈央は足音高くボクの方に近付いてきて、モノも言わずボクをぶん殴った。
ボクはアメリカの軍事キャンプで半年間、殆ど毎日何度も殴られて暮らしていて、殴られ慣れていたいたのだけど、そんなボクでもよろけてしまうほどの容赦のない一撃だった。
足を踏ん張って立つ。
もう一度、拳が飛んできた。
受ける事も躱すことも出来たのだけど、ボクはあえてそうしなかった。
奈央は火のように怒っていて、余計な事をボクがすればそれに油を注ぐ結果になるから。
パタタッと、鼻血がリノリウムの床に落ちる。ワイシャツが汚れていなければいいのだけど。
男を殺した時、返り血を浴びないように注意したのが無駄になってしまう。
「殺したな! 山本!」
ああ……、彼女はそのことで怒っているのだと理解した。
「相手は、私を殺す気でした。だから、殺しました」
偶然、犯罪者のアジトに入ってしまった。そして、警察官であることを見抜かれてしまった。
このケースはどちらかが死ぬケース。ボクは、死ぬ方に回る気はない。
だが、ここは日本だ。警官が拳銃のグリップに手を置かずに、職務質問するような平和な国だった。
そして、人生をリセットされたボクの雇い主が奈央だ。クライアントの希望はなるべく聞くようにしなとビジネスは成り立たない。
「貴様を単独で行動させた私のミスだ。それに、相手は外国マフィアの末端だったらしい。だから、一度だけ目をつぶる。次やったら、殺すぞ」
殺す気満々の奴を前に躊躇したら、奈央に殺される前にボクは死んでいるんじゃないかなぁと思ったけど、さすがにボクは口をつぐんだ。
「了解です」
これだけを言う。謝罪の言葉を入れないのは、ボクの意地だろうか?
そんなモノがボクにあるなんて、驚きだ。