陰膳
警察は厳然とした縦社会だ。
お茶くみは新人の役割で、パワハラだのなんだのと屁理屈をこねる奴はいない。
だから、堀田巡査部長は自然に皆にコーヒーをついで回ったのだった。
お茶くみが当たり前すぎて、特に不満も感じていないらしかった。つくづく警察は特殊な職場環境なのだなぁと思う。
「カップが一つ多いですね」
マグカップは四つあった。
ボクのは、大阪が本拠地のプロ野球の球団のロゴが入っているマグカップ。念のため言っておくけど、ボクは野球に興味が無い。六甲山からの風がどうのこうのとかいう歌も知らない。
奈央に「はいこれね」と渡されたので、そのまま使っているだけだ。
堀田巡査部長は、来客用の花柄の悪趣味なマグカップ。一見するとウエッジウッドっぽく見えるけど、中国製のパチもんだ。
奈央は、カップの縁だけがプラスチック製になっている、アルミのマグカップだった。まるでキャンプ用のカップみたいなものを、普段使いしている。
もう一つは、ソーサー付の高そうなカップだった。フルーツの柄が上品にあしらわれたデザインで、おそらくリチャード・ジノリだろう。
「これは、誰のです?」
少しだけ好奇心が刺激されて、思わず奈央に聞く。
「ああ……、これ、カガリちゃんの愛用品。堀田さん、このカップに七分目まで入れてね。スプーンの上に角砂糖を二つ。重ねてはだめ。二つ並べてね。ミルクは市販のポーションを一つでいいわ。入れ終わったら、給湯室に置いてね」
なぜここにいない人物用にコーヒーを準備するのかわからず、一瞬ぽかんとした表情をした堀田巡査部長だが、すぐに誰かを悼む表情になった。
殉職者への陰膳だと思ったんだろうね。
カガリちゃんは、実在している(……と、思う)。ここに着任して以来、姿を見たこともなければ、声すら聞いたことが無いのだけど。
奈央にからかわれているという可能性が、無きにしもあらずなのだ。
おそらく、奈央も堀田巡査部長の勘違いに気が付いている。
だけど、訂正したり、事情を説明したり、そういった手間を駆ける気はなさそうだった。面倒な部分は、基本的には他人任せみたいなところがある。
乳母日傘のお姫様だったのだから、無理もない。
「この篠田太郎だけど、おそらく複数の『信奉者』がいる。拘留中の、名前不明の大男も信奉者の一人でしょうね。だから、この一派を根こそぎアゲたいの。生死にかかわらずね」
ああ……、この姫様は、相手を皆殺しにするつもりだ。
ボクには判る。奈央をずっと観察していたのだから。
眼だ。捕食者の眼。闇色の眼。まるで、黒い炎がユラユラと踊っているかのよう。
ゾクゾクとした電気が、ボクの背中を走る。
そんな眼で、ボクは彼女に見られたいのだ。
憎しみを。
恐怖を。
そんな、奈央の強い精神の迸りを、ボクは受け止めてみたい。
「聞いてるか? 山本?」
奈央がボクの眼を覗き込みながら言う。
ボクは異様に傷の治りが早く、背中の傷は殆ど気にならない程度に回復している。
左手の亀裂骨折もほぼ完治した。
それでも、奈央はボクを気遣うような素振りを見せるのだ。
違う、違う、違う!
ボクが求めているのは、そんな眼ではないのだ。
「失礼しました。ちょっと考え事をしてしまって。集中します」
堀田巡査部長までが、ボクを気遣う表情を浮かべている。
『くそ煩わしい』
まぁ、口が裂けても、こんなこと言えないけどね。
児取鬼という名の歪んだ欲望は、現在 篠田太郎 をアバターとしている。
この野郎は、同好の士を集めて情報の交換や共有を行っていて、この中に、団地の中にいた大男のような信奉者がいるのだ。
奈央の予測では、およそ三、四人。
児取鬼のようなアレは、信奉者のような精神構造が似ている者をある程度操ることが出来るらしいのだが、多くの人数を操ることは難しいそうだ。
その人物を割り出す。
その捜査のどこかで、誘拐されている子供の監禁場所が浮かんでくるはずなのだ。
篠田太郎は指名手配された。
つまり、行動が制限されたわけだ。
信奉者がいかにも動くようなシチュエーションになっている。