堀田巡査部長
堀田巡査部長は、持参のノートパソコンに目を落とし、素晴らしい速さでキーボードを叩く。
「都内で、この三日間で警察に届けられた行方不明者の事案は二十五件、そのうち、十歳以下は七件、そのうち、女児は四件、条件検索すると、この四件に絞られます」
目を瞑って聞いていた奈央が、口を開く。
「もう一つ、条件。二十三区内に絞って」
堀田巡査部長がキーボードを叩く。
「二件に絞られました」
奈央の手が、コーヒーカップを包むように持った。
堀田巡査部長は、包帯と汚い手袋に包まれた奈央の右手をみて、竦みあがったような顔をしていた。
彼女の上司の根岸は、ある程度のことは話したらしい。
多分、悪意たっぷりに。
「あとは、髪が長い事。これは検索条件に入る?」
奈央の質問を受けて、堀田巡査部長が固唾をのんだ。首に力が入って、鎖骨に向かって筋が立っていた。
恐怖のサインだ。人間が人種を問わず恐怖を感じると浮かべるサイン。
ボクは誰よりも『恐怖』に詳しい。恐怖は生命にしがみつこうとする根源的な心の動きだ。ボクはそれに焦がれている。とり憑かれていると言ってもいい。
「大丈夫です。人相着衣は入力されています」
また、専門用語だ。ボクは、謎の人物……妖精かもしれないけど……のカガリちゃんからもらった用語集を頭に思い浮かべる。
たしか『人相や服装』の略語だったかな? ジンチャクって。
「一人に絞れました。君原綾香ちゃん。十歳。昨日、捜索願が上野警察署に出ています」
根岸がうなづいて、スマホを操作しながら席を立つ。おそらく、捜査員を被害届を出した家に向かわせるための連絡だ。他人に聞かせられる話では無いからね。
「リボンを家族に見せて。毛髪のDNA鑑定を急いで」
奈央の要請を受けて、堀田巡査部長が次々にメールを送る。
ボクは、こんな場面ではまったくの役立たずだ。仕方なしにコーヒーを飲む。根岸が言ったとおり、いい値段を取る分際で、煮詰まったようなクソ不味いコーヒーだった。
「あと、こいつの犯罪歴を調べて」
奈央と瓜二つの女、美央が漏らしたのは名前だった。
現在、児取鬼が憑依していると思われるアバターの名前だ。
「誰なんです?」
ノートパソコンを操作しながら、奈央に目を向けないようにして堀田巡査部長が質問した。
「獲物。狩るべき獲物よ」
敵は思考する妄執。その妄執は、同じ闇を抱える人間に憑依する。アレが憑依するほどの暗い何かを抱えている者は、どこかで犯罪を犯していることが多い。
アレを狩ることを生業としている当麻一族が、その時代の警察権力と結びつくのは、犯罪者を負う猟犬が彼らだから。
彼らと組むのが合理的なのだ。なんと、平安の昔、検非違使とも組んでいたというから、驚きだ。
奈央は新撰組と組んでいた当麻一族も居たと言っていたが、本当だろうか? なんだか、からかわれている気がしないでもない。
「篠田太郎……、ありますね。三年前に暴行未遂。執行猶予がついてます。記録上は前科はついてませんけど」
堀田巡査部長がノートパソコンをくるりと廻して、画面を我々の方に向ける。
顔写真の映像がそこには映っていた。
尖った顎や酷薄そうな唇は、新宿御苑の男に似ているような気がしないでもない。
「警察庁指定被疑者特別指名手配して。それと、こいつの直近の住所を教えて」
そう言い捨てて、スマホをポケットから出し、堀田巡査部長の前に置く。
「このクソ野郎の全てのデータを、ここに転送してくれる?」
矢継ぎ早の要求に、堀田巡査部長は軽いパニックになっていた。
「え? え? 特別指名手配? 手続きは?」
ボクは形の上では警察官だけど、警察官としての教育を受けていない。ボクが教わったのは、拳銃の撃ち方。効率のいい殺し方。これだけだ。
そんなボクにも、奈央の要求が無理筋なのはわかる。
警視庁は巨大だけど、地方警察にすぎない。警察庁は全国組織だ。そこの指名手配など、警視庁のいち警視正にすぎない奈央が出来るわけないのだ。……本来ならば。
だが、彼女は時代毎の権力と結びつく当麻一族。常識で測らない方がいいのかもしれないね。
「いいんだよ、堀田君。要請を出しておけば、万事OKなのさ」
連絡を終えた根岸が帰ってきた。
「私は、被害者宅に向かう。堀田君は、この両名について、サポートしてくれたまえ」
堀田巡査部長は明らかに動揺していた。まさか、置いていかれるとは思っていなかったのだろう。
「なっ……ちょっ……まっ……」
彼女はきっと『なぜですか、ちょっと、まってください』とでも言いたかったのだろう。慌てると言葉が出なくなるタイプの人らしい。
彼女は、この事案が片付くまで、我々に同行することになったようだ。
ようこそ、すぐ隣にある異界へ。同情するよ。生きて帰れたらいいね。