警視庁捜査一課特殊犯捜査第一係
「わざわざ、ここに、残って、いたってことは、あんた、メッセンジャーでしょ? 早く、言いなよ。伝言、を、さ」
言葉の区切りの度に、奈央のつま先が、右肘、右膝、喉を壊された男の脇腹に食い込む。これでも警官かね? ボクのような連続殺人鬼も警察官ということになっているので、人の事は言えないけどね。
男は掠れた声でヒィヒィと転げまわっていたけど、その動きがピタリととまった。
まるで『痛みにのたうつ』という演技をしていて、『カット!』の声がかかったかのようだった。
奈央が、ナイフを部屋の隅に蹴り飛ばして、一歩下がる。
男が、潰されたカエルのような声で笑った。
「メッセンジャーと知ってて、ここまで壊すかね? こいつは、しばらく使い物にならなくなってしまった」
目がうつろのまま、男が言う。本当は、痛みのあまり失神していて、寝言でも言っているかの様。
「ふん、メッセンジャーになるような『信奉者』は、同じ性情を持つ者でしょ? ならばこいつは、ペド野郎じゃないか。痛い目に合うのは、自業自得だよ」
彼女が言った『ペド野郎』というのは『ペドフィリア野郎』の略だろうね。ということは、この巨漢は、小児性愛者ってことか。なんとまぁ、キモチワルイ。
男は、無事な左手で苦労してポケットから封筒を取り出す。まるで夢遊病のような、緩慢な動作だった。
ボクがM29をポイントする中、奈央がその封筒をひったくる。中には、数本の毛髪と、ピンクと白の水玉のリボンが入っていた。
「はい、ゲーム、スタートしました! 私と付き合いが古いから、猶予時間知ってるでしょ? 今度こそ救えるようがんばってください」
淡々と、横たわったまま男が言う。
「ふざけんな、この野郎!」
奈央が、虚ろな表情の男の胸ぐらをつかんで引きずり起こす。すごい力だった。
「ああ、ああ、なんとお美しい姫様。怒った顔がたまりません。あと二十年若ければ、私のコレクションに加えたいほどです」
奈央が特殊警棒を振り上げた。
闇色の眼。
激怒の表情が、すっと無表情に変わった。
ボクにはわかる。
彼女はこの男を殺す気だ。
ボクの左手は、奈央の特殊警棒の先端を掴んでいた。
肩ごしに奈央がボクの方を振り返る。ゾクゾクと、電気が僕の背中を走った。なんという、顔をするのだろう。鬼を食らう夜叉は、こんな顔をしていたのかも知れない。
「こいつの鉢潰しても、何もなりませんよ」
ボクがそう言うと、奈央の体からふっと力が抜けた。
「だね」
突き飛ばすようにして、胸ぐらをつかんだ手を奈央が放した。
男は、受け身も取らずに、そのまま後頭部を打ち付ける。まるで抜け殻だ。
「調べないと」
奈央が封筒をポケットに納める。
「これ、どうするんです?」
ぶつぶつと何かを呟いている、男を指差すと、
「斎藤に丸投げ」
とだけ、奈央は言った。そんな適当な……と、思ったけど、現場放棄して逃げる様な奴には、これくらいやらせた方がいいと思い、手足を縛って放置することにした。
奈央が呼び出したのは、警視庁捜査一課特殊犯捜査第一係だった。通称SITと呼ばれるセクションで、誘拐事件などを取り扱う。
奈央が所属しているのは新宿署という、所轄署。SITは、『本社』という隠語で呼ばれる警視庁本庁舎内部にある上位組織なのだ。
「ああ、根岸君? また、児取鬼の事案。毛髪と着衣の一部があるから、そっちいくね」
などと、本来は気軽に電話できる立場ではないのだ。
だが、奈央は当麻一族。
その時代、その時代の警察組織と結んで、特殊事案を処理してきた一族。この話を聞いた時は、眉唾ものだったが、今のやりとりを聞くとリアリティがあった。
地下鉄を乗り継いで、桜田門駅に着く。
駅から出てすぐの場所が、この首都東京を守る日本最大の地方警察『警視庁』だ。