狩りの再開
ボクはうつ伏せのまま、二日間を過ごした。
背中はむず痒さが増し、まるで拷問のようだ。
我慢できないので、いっそのこと起き上がり、背中を思う存分バリバリ掻こうと決心したところで、医者がタイミングよく病室に来た。
傷が開いて、入院が延長という事にならなくてよかった。
医者が持ってきたのは、ペラペラに薄いこんにゃくみたいなものだった。
厚さは五ミリほど。
大きさは一メートル四方程度だった。
これは、火傷に治療に使われる最新式の人工皮膚で、患部にこれを貼り付けて保護するのだそうだ。
炎症と感染症を防止し、鎮静作用まであるらしい。要するに、こいつを背中全体に貼り付けておけば、痒みに悩まされることもない。
副作用が云々と医者は言っていたが、構うことはない。もともと、ボクは実験動物みたいなものだ。一つ被験対象が増えたところで、構うことはない。
うつ伏せ生活と痒みが終わるのなら、なんでもいい。
使用前と使用後の比較対象のため、採血されると、ボクの背中にはジェルのようなこんにゃくのような、ひんやりする物体がはりつけられた。
背中の傷が熱をもっていたので、気持ちがいい。
しつこい痒みも、徐々に消えて行くのも気にいった。
体はこの治療器具を固定するために包帯でぐるぐる巻きにされたが、仰向けになろうが、横になろうが自由なのがいい。
たった二日歩かなかっただけなのに、ふらつく。
当たり前といえば、あたり前だが、S&W M29がないので、気分的にも落ち着かない。
肌身離さず持っていたことで、愛着のようなものが湧いたのだろうか? 殺人鬼によって、実際に殺人に使われた銃なのだ。本来なら、気味悪いはずだが……。
これらが置かれていた巨大な倉庫の管理人のアーチャーは、ボクが銃に選ばれたと言っていた。
まさか、呪いの妖刀みたいに、所有者に憑くのではあるまいね。
単に自分が無防備に感じているだけかもしれないけど。
ボクの入院期間は十日間だった。怪我の程度からすると、驚異的な回復力だったらしい。
骨折もほぼ癒着し、抜糸後の背中の無数の傷も今では無数のみみず腫れ程度になっているそうだ。
ボクには、背中が見えないからね。医者とか看護師からの伝聞だけど。
人工皮膚も外され、医者には貴重なデータが採取できたと喜ばれた。
退院手続きは斎藤がやってくれていて、ボクはすんなりと退院できた。懸念のスーツは同じものを支給されることになり、彼が持ってきてくれた。
奈央は毎日見舞いにきてくれて、持参したお見舞いの品を、あらかた自分で食べて帰る。何しに来たのかさっぱりわからないが、彼女なりにボクの心配をしていたのだろうと思う。
なっとう味のお菓子は、ボクが転寝から目覚めるとおいてあることがあった。カガリちゃんという、顔も声も知らないボクの同僚も、いつの間にかお見舞いに来ていたらしい。
あまりにも気配がないので、カガリという名前の妖精なのではないかと思うようになってしまっていた。
すこし、背中が引き攣るが、生活には全く支障がない程度には回復している。
ボクはさっそく、ガンロッカーに行って、S&W M29と、バックアップのS&W M640を取り出す。
新宿御苑で発砲したままここに収納されたらしく、土なんぞがついたままだ。掃除したいという強迫観念にとらわれる。
いそいそと、ボロ布とガンオイルを用意していたら、奈央がコーヒーをもって部屋に来て、
「お、山本、退院か。おめでとう。さ、いくよ」
などという。
ボクは、仕方なしにボロ布で泥を落とすだけにして、備品庫から予備の弾丸を取り出す。
「どこにいくんです?」
「狩りに」
奈央の言葉はシンプルだけど、略しすぎて意味が分からないことが多い。
ボクは、M29のシリンダーをスイングアウトし、弾丸が装填されているのを確認し、はめ戻す。
ショルダーホルスターに納めながら、奈央の後を追った。
奈央が向かったのは、寂れつつある巨大団地のある場所だった。
取り壊しが決まり、住民は大方引っ越しが終わっており、残っているのはごく少数の古い住民ばかりらしい。
不法侵入して、勝手に住み着く者もいて、治安は急激に悪化しているそうだ。
「あの日、私に『児取鬼』の情報をタレこんだ奴が、ここに住んでるらしいの。そいつを、捕まえるよ」
新宿御苑は罠だった。
それに加担したかもしれない人物ということか。
「この街で、当麻に逆らうってことが、どういう事か、分からせてやらないとね」
闇色の眼。光を通さない、甚深の闇の色をした眼だ。
ボクの涎で汚れてしまった手を、気にしなかった奈央。
闇色の眼で、獲物を負う奈央。
どっちの彼女が本当の彼女の姿なのだろう。