罠
予備動作がないので、先が読めない。
直線的だが、一気に五メートルほども動かれると、撃っても当たる気がしない。せめて、どっちに動くかだけでもわかればいいのだけど。
爆発で吹っ飛ばされるのも、だいぶ肉体にはダメージが蓄積するだろうけど、フードの下の相手の顔は涼しいものだった。
奈央は、右手のタトゥが解けて『砲』を編んでいるところだろうか。そっちを見る余裕すらない状態だ。
ポイントしても、トリガーを引く前に動かれてしまう。傍からみると、ボクの動きはサイレント映画時代のコメディアンみたいだろうね。
「触れたものが、発火するんでしたっけ?」
道すがら聞いた、『児取鬼』のデータを確認する。
ボクの頭に引っかかっていたことだ。
その触れたものが、空気でもいいというなら、ここは火薬庫と変わらないのではなかろうか?
それに、なぜ深夜の新宿御苑なのか。
「人が少ないから」
まっさきに浮かぶ解はそれだ。
街中で爆発が起これば、大騒ぎになる。
どうも、罠の匂いがする。
「地雷?」
殺意もなく、受動的に爆発を起こせるとしたら?
人が多いと誰かが誤って地雷を作動させてしまうかもしれない。設置した地雷が奈央に作動するとは限らないのだ。
しかし、人のいない深夜の公園なら、動き回っているのは我々しかいない。
考えすぎか? そう思ったが、嫌な予感はしつこい胸焼けの様にボクの胸にわだかまっていた。
「面倒な」
ボクは、トリガーを引く。四四マグナム特有の重い発射音と反動。
爆発が起きて、敵は横に飛んだ。
なんとなく飛んだ方向に向けて撃つ。あてずっぽうだ。
また、躱された。
再度、敵が飛んだ方向に撃つ。
また爆発が起きて、敵が飛ぶ。
同時にボクは走った。
フードをかぶった、澄ました野郎の方ではなく、奈央の方に。
ボクは敵を立て続けに撃って、敵と距離をとることに成功した。
その隙に、奈央の方に走る。
六発全部撃って、ある程度相手の動きが見えた。
左右の動きを混ぜていたが、奥へ、奥へと誘うような動きだったのだ。誘導される先はおそらく、地雷原の中央。
奈央の『砲』の射程距離がどれくらいか、ボクにはわからないが、過去の奈央との交戦を経験則に地雷原を作っているはず。
実は、もう地雷原の端っこに引っかかっていると、ボクは推理していた。
予想通り、奈央は『砲』を編んでいた。
ボクは構わず肩から彼女にぶつかり、担ぎあげる。そのまま走った。
斎藤伝鬼坊が、威嚇声を上げる。
奈央も、怒声を浴びせてきた。
これでボクがいきなり走った意図は、敵にばれた。『逃げる』がボクの選択した行動だ。
ボクがあいつなら、罠が失敗に終わった時点で何をするだろうか。設置した地雷や爆弾を一斉に爆発させて、爆風での被害を狙うのが定石。
果たして、その通りになったのだった。
その瞬間、何か見えざる巨大な足で、背中を蹴られたようだった。
アスファルトやコンクリ片が、弾丸さながらの勢いで飛び、ボクの背中や手や足に食い込み皮膚を破る。
奈央の上に覆いかぶさる。
斎藤伝鬼坊は激怒していて、ボクの肩にかみついていた。小さな鋭い歯が、スーツを貫通して、皮膚に穴をあけるのが分かった。
ボクはこの凶暴な黒い毛玉がついたまま、奈央の上から転げ降りて、立ち上がり、左手に用意しておいた四四マグナムのスピードローダーを、スイングアウトしたシリンダーにはめ込んでいた。
手首を捻って、装填済みになったシリンダーを戻す。
同時に撃鉄を上げ、フード男がチラリと視界に入った方向に二発撃つ。
彼奴がグラリと傾く。爆発の粉塵を貫いて飛来した弾丸を避け損ねたらしい。運はボクの方に味方していた。
左手を、抱えるようにして、フード男が走り去る。
その背中に向かって、四度撃ったが、当たらなかった。ボクの銃を持つ右手がブルブルと震えて、ポイントできなかったのだ。
目がかすんでいた。
血を失いすぎたかもしれない。
相変らず、この黒猫はボクを噛んでいるし。
「山本!」
飛び起きた奈央が、ボクの方に走ってくる。やっと、斎藤伝鬼坊はボクから離れて、奈央の肩に飛び移った。
「今度こそ、入院ですかね? 体中が痛いです」
体重すら支えられなくなって、膝をつく。
地面に倒れる前に、奈央がボクの体を支えてくれた。
彼女からは、かすかに松脂の匂いがする。ギムレットの残り香なのかもしれない。なんとなく、奈央らしい匂いだと思った。
彼女は力強くて、柔らかい。生命力に溢れている。
死なない程度に、何度も何度もナイフを突き立てるというのは、どうだろう? その時、彼女はどんな声で鳴くのだろうか?
ボクの目の前に黒い虫が大量に飛んでいた。
ああ、これは知っている。落ちる寸前の強度の貧血の症状だ。
気絶してしまう前に、何かタフガイっぽいことを言わなくては。
そう思って、絞り出したボクの言葉は、
「スーツの代替品、経費で落ちますかね?」
だった。
ボクはボクの馬鹿なセリフに脱力して、そのまま意識が暗転したのだった。