事例・零
ボクが一線を越えてしまったのは、この老人の介護の担当になってから、二週間が過ぎた頃だった。夏休みを利用した研修もいよいよ最後に近づき、ボクは奇妙な焦燥感に駆られ、精神状態が不安定だった。
折しも台風が接近していて、老人の住居に近いボクは現地に到着できるのに、指導役の介護士は交通機関の混乱で到着できないという状態。つまり、ボクと老人の二人きり。
風が鳴り、窓を揺らす。
雷雲も発生していて、雷が爆音を響かせていた。
認知症の老人は、脅えていた。嵐が怖かったのか、ボクが怖かったのか、今となっては分からないが、捕食者を前にした小動物の様に脅えていたのだった。
ボクは、気が付くと台所にいて、引き出しをあけていた。
ボクの中に残っていた常識が、
「何をやっているんだ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ……」
と叫んでいたのだけれど、ボクの手は止まらなかった。きっと、嵐のせいさ。
食品を保存する時に使うラップをボクは手に持っていて、ボクはそれを老人の顔にかぶせたのだった。
―― ボクの初めての『殺し』だった ――
今でもボクは、その光景を、その空気を、その空間を、頭の中で再現できる。
汚れたボロ畳の部屋。
レンタルの電動で傾斜つけられる無骨なベッド。
消毒液の匂い。
風の咆哮。
遠い雷鳴。
紐の下がった古臭い蛍光灯。
ボクの破裂しそうなほどの鼓動。
凹レンズ状に窪んだ、老人の口を覆うラップ。
大きく見開かれた老人の濁った目。
生命にしがみつこうとする、枯れ木のように痩せたわななく彼の手。
動かないはずの足がばたついたとき、感動のあまり涙がこぼれたのを覚えている。
やがて老人は小さく痙攣して動かなくなり、ボクは長年の念願だった死の瞬間を見ることが出来たのだった。
ああ……何と素晴らしい経験だったことか。まるで、全てが黄金色に輝いていたかのようだった。
もっと、もっと殺したい。もっと、もっと、もっと、もっと……。
『死』に触れ、生命の煌めきが消えるその瞬間を見たい。
その時、ボクが思っていたのはそんなことだった。後悔などカケラも無かった。
しかし、ボクは逮捕・拘留され、死刑判決が下った。
ボクが最後に見る『死』はボク自身の『死』ということになりそうだけど、死に魅入られた者の最後としては上等の部類に入るのではないだろうか?
今、死刑囚用の独房で、ボクに出来るのは脳に刻まれた様々な『死』の場面の再生。
ボクがしでかした事への反省もなく、後悔もなく、未だに死への憧憬を抱き続けているのだ。
刑務所にあって思う事は、ボクのような人間は、社会に出ない方がいいということ。
ボクみたいな化け物が人間に混じって何食わぬ顔をして生活しているなんて、自分でもゾッとする。そして、とても危険だ。ボクのような化け物を生かしておいてはいけない。心の底からそう思う。
ボクは自分が社会生活不適合者で、連続殺人事件を起した一種の化け物であることを知っている。
すこしでも、この『お楽しみ』が続くように、獲物は入念に選び、行動パターンが同じにならないように心掛け、同じ警察の管轄で連続して『お楽しみ』をしないように注意して、凶器も手口も同じにならないようにしていたのだから。
また、嵐の夜以外は異様に自制を働かせることが出来たので、エスカレートして犯行の間隔が狭まることもなかった。
日本の警察にはアメリカと違って本格的なプロファイリングチームはないけど、もしも存在していたとしてもこれらが同一犯による連続殺人とは気が付かなかっただろう。
ボクには深層心理で「止めてほしい」「捕まえてほしい」「自己を顕示したい」といった連続殺人犯特有の意識がなかったので、口の中に蛾をいれておいたりする『サイン』を残すこともしなかった。
かくしてボクは、前例のない新しいタイプの殺人者として『事例・零』と呼ばれるようになったのだった。