カフェモカ・グランデでミルクはローファット砂糖なしメイプルシロップ増しシナモンカラメ
それにしても、精神寄生体だって?
いまどきB級……いや、C級のSF映画でも、こんな題材は取り扱わない。だから、事前にこんな話を聞かされても、ボクは信じなかっただろう。
だが、ボクは説明より先に現物を見てしまった。斎藤はボクに殆ど仕事の内容を話さなかった。これは、話が荒唐無稽すぎて、聞く者が受け付けられないと知っていたからなのだろう。
つまり、何人かボクの様にスカウトしたことがあるのだ。
「ボクで何人目ですか? あなたを守る役目を担った人物は?」
闇色の奈央の瞳が曇る。感情を押しつぶした眼。表情が彼女の顔から抜け落ちる。
「当麻の家に代々仕える家があったのよ。危険な個体を討伐した時に、殆ど死んでしまった。それで、民間から色んな人をスカウトした時期があったわけ。剣術の達人とか、射撃のプロとか、そういう人たち。君のような死刑囚は初めてだけどね」
そんな事を、感情のこもらない声で言いながら、奈央は手にしたみかん味のお菓子の包装紙を捨てる。
まるで吸い込まれるかのように、ふわりとゴミ箱にそれは入った。
「彼らは、長くて三度の臨場で、死ぬか壊れるかしちゃった。君の前任者は、詰め物がしてある白い壁と床の部屋で、ずっと叫んでいるそうだよ。殺してくれ、殺してくれ……ってね」
無表情の仮面の下で、奈央の感情が揺れているのがわかった。
慈悲深き姫様は、下々の者にご同情申し上げてるらしい。
「敵は、人類がサルから進化した頃から存在している。ずっと、人に寄り添って生きてきたんだ。それに触れることが出来るのは、特殊な才能を持つ者だけ。私は、それが出来るからやる。それだけのことだよ」
ボクは、話の接ぎ穂を失った。
脆くて、揺れ動いていて、なんだか儚い奈央の様子に、ボクの中のキケンな何かが反応しそうで、心を落ち着かせる必要があったからだった。
ああ……彼女が絶望に沈む時、どんな顔をするのだろう。生きようと足掻くとき、どんな声で泣くのだろう。
多分、いつかボクはこの女性を殺してしまう。もっと彼女を知り、精神の裏側を理解した時、ボクの脳の中にあるファイルに彼女は永遠に生きる。
だが、時は今ではない。機がトロトロに熟し切るまで、ボクはボクを完全に自制することが出来る。
連続殺人鬼にして、前例のない行動パターンを持つ者。『事例・零』それがボクなのだから。
「珈琲を買ってきます。ついでに買ってきますよ。リクエストは?」
とにかく、今はここを離れ、外の空気を吸うことが先決だ。
「向かいの『シアトル・バックス』? なら、カフェモカ・グランデでミルクはローファット砂糖なしメイプルシロップ増しシナモンカラメ……で、お願いね」
と言った。まるで呪文のようなオーダーだ。
「了解。覚えてたら、その通り買ってきます」
多分、無理だ。
結局ボクは『カフェモカ・グランデ』までしか覚えていなくて、それを買ってきた。自分用には、モカ・イルガチャフィー。酸味と苦みがボク好みのバランスなのだ。コイツに慣れると他の珈琲は飲めない。
ボクの数少ない執着の一つかもしれない。あれば、それをオーダーする。その程度の執着だが。
ボクが席を離れていたほんの十五分程度の間に、ボクの机の上には書類が山積みにされていた。
過去の事件の資料らしい。
その山の上には、なっとう味のあのお菓子が置いてある。
「ああ、カガリちゃんが、資料を置いて行ってくれたよ。過去のデータの写しだから、閑があったら目を通しておいてね」
上半身をソファから起こして、『カフェモカ・グランデ』を飲みながら奈央が言う。
なんだか、こだわったオーダーをしたわりには、後半の呪文がごとき付帯条項を完全無視した代物を飲んでいる。
細かいのか大雑把なのか、よくわからない姫様だ。