Go ahead, make my day.
ボクは、懐に手を入れた。
ラバーを張ったS&W M29の冷たいグリップが指に触れる。
小指、薬指、中指でグリップを掴む。人差し指は、ショルダーホルスターの留金を弾いて外していた。
そのまま、千四百グラムもある重い拳銃を引き抜く。留金を弾いた人差指は、そのままトリガーガードに引っ掛ける。
肩の高さで、まっすぐ拳銃を構えた。同時に親指は撃鉄を起こしていた。
カチリという金属音とともに、六発の四四マグナム弾が収まっているシリンダーが、六十度回転する。
そして、トリガーガードにかかっていた人差し指は、トリガーへ。あと少し、人差し指に力が加われば撃鉄は落ち、約百五十メートルの距離から、あの巨大なバイソンをぶち抜く威力の銃弾が発射されるのだ。
ここまでの動作で要した時間は、コンマ三秒。抜きやすいサイドホルスターなら、あとコンマ一秒短縮できる。そのように、ボクは練習を重ねたのだ。
一瞬、ボクは躊躇した。
的を撃ったことはあっても、生身の人間を撃つのは初めてだった。
こんな簡単に、撃っていいのか? という思いがあった。もっと、こう味わうように初めての射殺を行うべきではないかのかと感じていたのである。
狭い室内で、重い撃発音が響く。大口径拳銃特有の、大太鼓を叩いたような轟音だ。
二百四十グレイン(約十六グラム)の弾頭が飛び、銃を握った右手は上に跳ねた。
ボクの放った銃弾は、わずか五メートルほどしか離れていない男の胸骨を粉砕し、肺と心臓を破裂させて背後に突き抜ける。
男は不可視の巨大な手で弾き飛ばされたかのように後に吹っ飛び、壁に叩きつけられて動かなくなった。
やっぱり、この死に方はつまらない。
「まだ終わってないよ!」
姫様が叫ぶ。痛みに耐えているような、苦しそうな声だった。
ボクは銃の大きな反動を、肩と手首で押さえ、再びM29を構える。
何やら黒い靄のようなものが、男が立っていた場所に浮遊していて、人型を形成しているようなのだ。
「せっかく、慣れてきた体なのに、ひどいなぁ」
空気がもれた、ヒューヒューした声でしゃべったのは、壁に上半身をもたれかけさせ、こと切れている男だった。
ああ、今日はなんて日だ。ボクの知らない世界が、一気に広がった気分だよ。まったく。
黒い靄に向かって撃つ。なんとなく、撃っても無駄だろうなと思っていたが、果たしてその通りだった。
「敵は実体化してない。だから、物理法則は通用しないのよ」
姫様が右手を靄に向かって構えながら言う。姫様の右手にびっしりと刻まれていた、蔦のようなタトゥはだいぶ解けて銃身のような筒を形成しており、タトゥが消えたあとは、ひっかき傷のような痕跡が出来ている。
うっすらと、血が滴っていて、実に痛そうだ。
「逆に言うと、その目の前の『靄』は実体化しないと、この世界の物理法則に干渉できないから、精神に作用する術を仕掛けてくるの。私には通用しないけどね」
ボクが『靄』の、この世界でのアバターとなる『憑代』を破壊したということか。
「あの靄は今、鉛筆一本動かせない状態。だから、実体化して、直接殴りに来るわよ! 相手が実体化すれば、こっちの世界の物理法則に従うことになる。あと十五秒、あいつを食い止めて!」
実体化したかどうか、ボクにはわからない。なら、確かめるしかなかろう。
目の前で信じがたい事が進行しているが、とにかく姫様の言葉通り行動してみることにする。その方が、まるでゲームの協力プレイみたいで、面白い。
ボクは、左手を伸ばして、テーブルの上にあるピーナツを一掴み取った。
それを、一粒づつ指ではじく。
「鬼は外」
と言い添えようと思ったのだが、止めておいた。ボクだって、多少は空気を読む。普段は面倒くさいから、考えないだけだ。
S&W M29を構えたまま、左手でピーナツを一粒づつ飛ばす。一秒間に一つ。ピーナツは、靄に向かって飛ぶ。
五つのピーナツが、靄を通り抜けていった。
六つ目のピーナツを、指ではじく。そのピーナツは靄に当たって、跳ね返った。
おお、本当だ。実体化した!
人型を形成する靄が跳躍の形をとる。
ボクは迷わずトリガーを引いた。
三度目の轟音。
靄は、二百四十グレインの銃弾に弾き飛ばされて、床に転がる。
相手は、なんとなく人間の形をした靄なので、致命傷を与えたのかどうか、全く判別できないが、よろめくようにして立ち上がったのを見ると、多少は『効いた』のかもしれない。
立ち上がりかけたところを撃つ。靄は、尻もちをつくような形で、後に弾き飛ばされた。
ボクは一歩前に進んで、もう一度撃つ。人型の靄はのけぞり、壁にたたきつけられた。
銃弾の勢いも加わり、壁には半円状のくぼみが出来た。
壁に手をつき、跳ぼうとするところを、また撃った。靄は、再び壁に叩きつけられて、ロープ際のボクサーのように反動をつけて前に出てくる。
ボクは、左手に握ったピーナツを口に放りこみながら。その塩とバターがついた左手をポケットにつっこむ。
そこには、四四マグナム弾がシリンダーにある薬室と同じ間隔で並んでいる『スピード・ローダー』が入っていた。
親指で、銃のラッチを押し、シリンダーをスイングアウトする。斜めにそれを傾けると、空薬莢が小さな金属音を残して床に落ちる。
そして、シリンダーにスピード・ローダーをはめ込む。ツマミをひねると、スピード・ローダーから銃弾が離れ、一気に六発の四四マグナム弾の装填が完了する。
手首を内側に捻って、シリンダーを振り戻し、撃鉄を起こす。
撃鉄に連動した歯車がシリンダーと噛みあい、薬室が正しい位置で止まった。
この動作も、何千回と繰り返し鍛錬した動作だ。二秒以内で動作は完了する。
だが、二秒は長すぎたようだった。
軽く振った様に見えた靄の腕の無造作な一撃は、かすっただけで、ボクの体を店の端から端に吹き飛ばしたのだった。
咄嗟に左腕でガードしたのだけど、間に合わなかったら、多分、肋骨は全部内側に折れていただろう。
ボクは、壁に背中を打ち付けながら、首を前に曲げて後頭部への直撃を避け、装填したばかりのM29を撃つ。
靄は更に前に出ようとしていたところだったので、四四マグナムの銃弾がカウンターパンチの様になり、もんどりうって倒れた。
「よし、編み上げた。よくやったぞ、君」
どうやら『間抜け』から、『君』にボクは昇格したようだ。
靄なので、表情などは見えないが、明らかに靄はたじろいだように見えた。
「Go ahead, make my day.」
ボクは、そう言ったつもりだったのだけど、背中の打撲のせいで、死にかけた痩せ犬のような声しか出なかった。