プロローグ ボクという人間
ボクは死刑判決を受け、その執行を待つ身だった。
人を殺して、埋めて、また別の誰かを殺して、埋めて、そんなことを何度も繰り返しているうちに、警察につかまったからだ。
ボクについた弁護士は、死刑制度に反対しているとても優しい人権派の弁護士で、ボクが死刑にならないよういっぱい努力してくれたのだけど、結局はダメだったみたい。
彼はすっかり気落ちしていたので、見ていて可哀想だったのを覚えている。
弁護士は責任能力が云々といって、ボクに精神鑑定を受けさせたのだけど、ボクは人をどうしても殺したくなる以外は至って正常だ。
精神鑑定を実施した医師はボクに責任能力ありと判断を下したせいで、弁護士に藪医者呼ばわりされていたけど、名医かどうかは別として、少なくとも藪医者じゃないと思う。
ボクは子供の頃から物事に執着がなく、唯一の例外は『死』だった。
最初に『死』に触れたのは、小学校三年生の時だ。ボクは勉強も普通、運動能力も普通、教室では目立たず、卒業アルバムなんかを見たとき「こんな奴いた?」と言われるような生徒だった。
友達なんていなかったけど、別に寂しいとか孤立感とか全く感じていなかった。すでにこの頃から社会生活に適合しない人物となる萌芽は育ちつつあったのだろうね。
たった一人の帰り道、夕方の下校時間、ボクは小さく軽い物が何かにぶつかる音を聞いた。
何かが目の前を横切り、ボクの足元に転がった。
スズメだった。
羽の色が薄く、小ぶりだったので、巣立ったばかりの若い個体だったのではないかと思う。
道路では、トラックが一瞬ブレーキをかけ、またすぐに発車した。あのトラックの窓にこのスズメがぶつかったのだと分かった。
いつものボクなら、転がっているスズメを跨いで家路につくはずだったのだけど、その日はなぜか地面で痙攣しているスズメを拾い上げ、掌に包んでいたのだった。
ボクの掌の上で、スズメは何かに抵抗するかのように、必死にもがいていて、黄色い嘴を何度も開けたり閉じたりを繰り返していた。
やがて、スズメは痙攣するだけになり、その痙攣も小さく、とても小さくなってゆき、やがて止まってしまった。
ボクは瞬きすら忘れてそれを見ていて、気が付いたら涙が流れていた。
死にゆくスズメが可哀想で流れた涙ではない。一番近い感覚は、感動の涙だったろうか。
あの時ボクは幼くて、それが何なのか分からなかったのだけど、今なら理解できる。生命が消えてゆく様にボクは『美』を見出していたのだ。
何も執着がなかったボクに突如生まれた執着。それが『死』。
ボクは『死』について夢想し、考察し、渇望し、そのことだけを考えて毎日暮らしていた。
そして、幼くて無力だったボクは、少年から青年になり、相変わらず『死』のことばかりを考えて暮らしていたのだった。
そんな暗い欲望を胸に抱えていたボクは、平凡な高校を平凡な成績で卒業し、平凡な大学に進学し、福祉関連の学部に入っていた。
博愛と慈愛の精神でこの学部に入学した大多数の同期生には大変申し訳ないのだが、ボクの動機は『死』だった。
高齢者福祉なら、身近に死を目撃出来るのではないか? と思っていたのだった。
ボクの家が裕福で、コネがあり、ボクの成績が良ければ医学部に進んでいただろう。
『医は仁術なり』とかいう高邁な思想で医学を志している人たちには申し訳ないのだけれども、やはり『死』を身近に見るために。
福祉学部には実地の研修がある。介護の会社に研修の名目で何日間か学生が働くのだ。
ボクが受け持った老人は、手足に障がいがあり、重度の認知症だった。
認知症は特定疾病にカテゴライズされていることから介護認定され、等級は「要介護5」。
すなわち、日常生活や意思伝達に支障があるレベルの老人。
抵抗すら出来ない無力な彼らを見下ろしていると、背中にゾクゾクと電気が流れたような感覚があった。
特別な技術が無くても、殺そうと思えば殺せる人物がいる。それは、ボクに憑依している『死』への憧憬をとても刺激した。
結局ボクは誘惑に屈してしまったわけだけど、何度も何度も躊躇したことだけは覚えていてほしい。一線を踏み越えてしまうまで、とても悩んだのだ。
ボクは根っからの悪人というわけではないからね。