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第七話「止まっている心臓が跳ねた気がした」

 彼の放った大声で、急に現実に戻される。

 死体だから、この言い方も怪しいものだけれど。

 ただ、その声であの胸の奥の何かは、どこかへ行ってしまったようだった。

 

 部屋の古い窓ガラスを豪快に割って現れた彼は、それはもう悲惨な姿だった。

 森林迷彩の野戦服なんじゃないかと疑う程、服は草だらけで、顔はどこかの炭鉱で石炭でも掘って来たんじゃないかと思うほど泥だらけ。おまけに、部屋に入る時、ガラスで切ったのか額からは血が出ていた。

「は? え?」

 状況が把握出来ていないのか、青年はそんな声を出して、呆然と彼を見ている。

 彼は今まで見たことないようなぎらぎらとした目で青年を睨みながら、ゆっくりと片足を引きずりながら迫ってくる。

 話としてはヒーロー参上って感じだったけれど、絵的には間違いなくホラーだ。

 おまけに、彼は獣のような目のくせに、顔は笑顔なものだから、ホラー要素に一層拍車がかかっている。

「だ、誰だ! 人の家に勝手にあがりこんで。け、警察を呼ぶぞ!」

 青年がなんともありきたりな台詞で威嚇する。そして、気が動転したのか、それとも本能的に、手に入れたばかりの新しい人形を奪われると思ったのか。こともあろうに、あたしの死体をがしっと抱きしめた。

「こ、これは! 俺のだ!」

「これ?」

 その瞬間、彼の笑顔がゆらりと揺れた気がした。

 それと同時に、何か大きな音がして、気づいた時には青年は部屋の隅に横たわっていた。

 

 

「いやあ、参ったよ。なんか崖みたいなところから落っこちちゃってさあ」

 そう言いながら、彼があたしのパジャマのボタンを締めていく。

 若干顔が赤い。

 多分、死体でなければ、あたしも負けないくらいに赤面していただろう。

「その時、足を挫いちゃってさ。来るのが遅れてごめんね」

 彼はまるで待ち合わせに遅れた時の言い訳のような口調で、聞いてもいないことをべらべらと喋っている。

 死体だから、別に表情に出るわけではないのだけれど、それがありがたいのと同時に、なんだか残念だった。

 青年はと言うと、彼に蹴っ飛ばされて、部屋の隅で泡を吹いていた。

「頭に血が上っててさあ、挫いた足で蹴っ飛ばしちゃったよ」

 なんて彼は笑っている。子供の頃、膝を擦りむいた位で大泣きしていたのに。

 

 彼の顔をじっと見つめる。

 

 いつの間に、こんなに強くなったのだろうか。

 

 どうして、あたしは今、こいつに守られているんだろうか。


 試合だって口喧嘩だって、あたしの方が小さい頃からずっとずっと強かったのに。

 

 死体だから?


 もう、何も出来ないから?

 

 ……いや、本当は死ぬ前から。

 

 病気で入院して、もう彼を試合で負かすことが出来なくなった時から。

 

 ひょっとしたら、それよりも、もうずっと前から。

 

 あたしは彼に守られていたのかもしれない。


 彼の方が、ずっと強かったのかもしれない。


 いや、ひょっとしたら、とか、かもしれない、じゃないな。

 

 本当はとっくに気づいていた。


  

 どうしてあたしは今、死体なのだろうか。

 今ならば、素直に、今までの分も含めて「ありがとう」と言えそうなのに。

「ごめんね」という謝罪の言葉ではなく、素直に「ありがとう」と。

 どうして、この口は動いてくれないのだろうか。

 どうして、もう彼に何も伝えられないのだろうか。

 どうして……生きているうちに、伝えられなかったんだろうか。

 目からぽたぽたと涙が零れる。

 死体だから、実際はそんなことはないのだけれど。

 確かに、あたしは今泣いていた。

 目の前で顔を赤くさせながら、あたしにパーカーを着せている彼が、ガラスの向こう側に居る。

 触りたいのに触れない。

 話しかけたいのに、話しかけられない。

 ただ、見ていることしか出来ない。

 これじゃあ、やっぱりこの部屋の人形たちと同じだ。

 

「人形じゃないのにね」

 

 急に呟いた彼のその言葉で、止まっている心臓が跳ねた気がした。

「これって、確かあのアニメの制服だよね。確かに似合いそうだけれど、人形や、それかレイヤーさんみたくちゃんと化粧しないとさまにならないよ。これよりもさ、動きやすいパーカーの方が君っぽいよね」

 そう言って、屈託なく笑った彼が、近くに転がっていた制服を青年の方へ投げ捨てる。

 もし生きていたら、

「そのままでも十分いけるわ!」

 なんて言って、彼を張っ倒していたかもしれない。

 でも、どうしてだろう。

 いや、どうして、なんかじゃない。


 そうだよ、あたしは人形じゃないよ。


 マンガとかアニメのキャラクターじゃないよ。


 あたしは死んだって、あたしだよ。


 今は、そんな彼の気の利かない言葉が、嬉しくてしょうがなかった。


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