WP短編 回想 ― sunshine ―
学校が終わった後、いつものようにこっそりと陽織がいるお屋敷の庭へやって来た。
定位置である大木の根元に二人で座り、暖かな春の日差しを浴びる。
ゆったりとした優しい時間を過ごしていたけれど、ふとお菓子を持ってきていたことを思い出して荷物を漁った。
「じゃーん、今日はエッグタルトを作ってみました!」
得意気に保冷バックを差し出すと、陽織は興味深そうに中身を覗きこんだ。
私が作ったタルトに、彼女の厳しい目が向けられている。
「へぇ。これって作るの初めてよね?」
「うん、タルトは色々作ったことがあるけど、エッグタルトは初めてかな」
初めて作るお菓子を食べてもらう時はいつも緊張してしまう。だって、彼女の評価はいつも手厳しいのだ。
美味しくないものははっきり不味いと言われるし、そこそこ美味しくてもまだ改善の余地はあると言って褒めてくれない。
もちろん美味しければ美味しいって言ってくれるけど、そんなことは稀で滅多になかった。
辛口の感想ばかりで心が折れそうになるけれど………でもそのおかげで私のお菓子作りのスキルは日々上達している気がした。
お世辞ではなく真剣に感想を言ってくれるからこそ己の力量を知ることができ、さらなる高みを目指すことができる。
以前から作れた物は改良して品質を向上させてたり、作ったことがない物には何度も挑戦して、徐々にバリエーションを増やしていった。
たかが趣味なのにここまで熱心にならなくてもと思うけれど、全ては陽織に美味しいと言って貰うための努力だった。
作っているうちにお菓子作りの楽しさを知ったという理由もあるけれど、一番の理由は、彼女が喜んでくれるからだ。
大好きな友人が喜んでくれるのなら、もっともっと喜ばせたいと思う。
「エッグタルトって家庭で作れるものなのね。じゃあ、さっそくいただこうかしら」
「ど、どうぞ」
彼女は手頃なサイズのタルトを掴み、半分ほど口に入れた。食べる仕草が一々上品で、育ちの良さが表れている。
さて、今日の評価はどうだろう。咀嚼し終えて息を吐いた陽織がどんな言葉をくれるのか、ドキドキしながら待っていた。
「そうね、80点ってところかしら」
「やったね! 高得点!」
新作のお菓子にしてはなかなか良い点数ではなかろうか。
自分でも少し自信があったので余計に嬉しくなる。
「このフィリングの部分が柔い気がするわね。舌触りももう少し滑らかになるといいのだけど」
「なるほど」
「でも卵の風味が上手く出てて美味しいわ」
陽織はエッグタルトを気に入ってくれたのか、残りの分も次々に口にしていく。
結局、陽織のために作ってきた分はすべて彼女の胃の中へ収まった。
「ごちそうさま。作ってくれてありがとう、椿」
「どういたしまして」
どんなに厳しいことを言っても、最後には必ずありがとうって言ってくれるから、凄く嬉しい気持ちになる。
ああ作ってよかったなぁって思えるし、どんなに作業が大変でも、彼女が喜んでくれるだけで苦労が報われるのだ。
「それにしても、お菓子作りの技術がどんどん上達していくわね。まさかここまで進歩するなんて思わなかったわ。素人の域を超えてるんじゃない?」
「いやぁそう言ってくれるのは嬉しいけど、まだ全然だよ。今でもよく作り方を間違えたり初歩的な失敗しちゃうから」
「それでも昔に比べたら何倍も上手になってるわよ。もっと自信を持ったら?」
「うん。えへへ、照れちゃうなぁ」
今日は珍しくいっぱい褒められてしまった。おかげで、どんどんやる気が漲ってくる。
よーし、次はどんなお菓子を作ろうかなぁ。
「そういえば椿ってお菓子作りは上手だけど、料理はできるの?」
「え? ああ、得意ってわけじゃないけど一応基本は習ってるし普通にできるよ。あ、もしかして陽織は料理得意なの?」
「……さあ。料理なんて、調理実習で数回しかやったことないからわからないわ。ただ、先生は私の作った料理を食べて泣いていたけれど」
「あ、あー……陽織はお嬢様だからね。しかたないね、うん」
「べつに、私はお嬢様なんかじゃないわよ」
こんな立派なお屋敷に住んでいる旧家の娘で、見た目も立ち振舞いもお嬢様そのものなのに。
でも彼女はお嬢様と呼ばれることが気に入らないみたいだ。
私から目線を外し、そっぽを向いている。私の失言で、機嫌を損ねてしまったようだ。
「そうだ。ちょっと待ってて、陽織」
「えっ?」
いい考えを思いついたので、さっそく実行しようと立ち上がる。
急に立ち上がった私を見て陽織は驚き、ぽかんと口を開けたまま目をまんまるにしていた。
「ちょ、ちょっとどこに行くのよ」
「大丈夫! すぐに戻ってくるから」
陽織を置いて、一人で屋敷の外へ出る。抜け道の雑木林を進み、開けた場所に来ると目当ての物を見つけた。
それをいくつか拝借してさっそくその場で組み上げていく。作ったことがないから適当になってしまうけれど、それなりの物ができた。
完成品を持って陽織のところへ戻ると、何故か彼女の機嫌がより悪くなっていた。随分と待たせてしまったから怒ってるのかな?
お怒りが怖いけれど、作ったものを背後に隠して彼女の傍に寄る。
「いったいどこに行ってたのよ。あまり彷徨くと家の人間に見つかるわよ」
「ごめんね。ちょっとこれ作るのに手間取ってさ、遅くなっちゃった」
「え? 何を――」
陽織が尋ね終わる前に、後ろに隠していたものを彼女の頭の上に乗せた。
初めて作ったから歪な出来上がりになってしまったけれど、それでも何とか形にはなっていると思う。
うん、サイズも丁度いい感じだ。
「これ、白詰草の冠?」
「一応ね」
「なんで、突然……」
「お嬢様じゃないなら、お姫様だなって思って。だから即席だけど冠を作ってみたんだ」
お姫様がかぶる冠にしては不釣合なものだけれど、すぐに用意できるものがこれしかなかった。
でもいざ陽織にかぶせてみると、お姫様というよりは女神様のように見える。どちらにしても、似合っているのは変わらないけれど。
「貴女って、どういう思考回路をしているのかしら」
呆れたように溜息を吐いていたけれど、それでも冠を取り払うことはしなかった。心なしか頬も紅く色付いている。
もしかして、機嫌を直してくれたのかな。雑な出来だけど、気に入ってくれたのなら作った甲斐があったというものだ。
「でも私、お姫様って柄でもないわよ」
「えー…すごくピッタリだと思うんだけどなー」
お姫様も駄目でしたか。駄目というよりは自分で似合わないって思ってるんだろう。そんなことないのに。
彼女ほど似合う人なんて、他に知らない。
「あ、お姫様っていうより女王様が良かった? それはそれで似合いそ……いたたたた!」
「この口はいつも余計なことを言うわね」
またまた失言をしてしまったようで、お怒りになった陽織さまのお手が私の口を引っ張る。
やっぱり白詰草の冠じゃなくて、木のツルで作った鞭の方が良かったかな。
「だいたいお姫様とか、そんなキラキラしたもの、性根の腐った私には合わないわ」
「そんなことないよ。陽織はとっても可愛いんだからなんでも似合うよ」
「くっ、ま、またそんな軽口をさらっと……いいからしばらくその口を閉じてなさい。私は可愛くなんてないんだから」
「いやだ。否定するんなら何度でも言うよ。陽織は可愛い。私の幼馴染は誰よりも超ー絶ーかーわーいーいぃぃー!」
「~っ、あ、貴女ってどうして恥ずかしいことを真顔で言えるのよ」
「本心だからじゃない?」
「この馬鹿!」
「あいたっ!?」
罵倒と共に陽織の分厚い愛読書で頭を強打された。彼女の不機嫌が臨界点を突破してしまうと、問答無用で殴られるのはいつものこと。でも痛いものは痛い。
今日みたいに凶器になりえる物が手元にあった時なんかは死を覚悟するけれど、どんなに怒っていても怪我をしないように手加減してくれるから、いつも無傷で済んでいる。
「いい加減にしなさいよ? それ以上寝ぼけたこと言うのなら今度は顔面に叩きこむから」
「ご、ごめん」
脅しではなく本気でやりそうなので素直に謝った。流石に顔面は怖い。
息を荒くしていた陽織も、殊勝な態度で謝ったことが効いたのか、徐々に憤りを鎮めてくれた。
一度だけ息を吐いてから、もうこの話は終わりだと言わんばかりに本を開いて黙々と読み始める。
これ以上話を続ければまた怒られることが解っているけれど、またまた良い事を思いついてしまったので実行せずにはいられない。
「ね、陽織、こっちむいて」
「なによ、どうせまた碌でもないことを考えて……って、どうして上着を脱ぎ始めてるの…」
「よっと」
白い薄手のパーカーを脱いで、なぜか動揺していた陽織の頭から後ろにかけて被せた。
想像していた感じとちょっと離れているが、まあまあそれっぽく見えなくもない。
私が一人でうんうんと頷いていると、陽織が怪訝な目でこちらを見ていた。
「なにがしたいの? 全く理解できないんだけど」
「お姫様が嫌だったら、これならどうかなって」
「…………これ?」
「そう、お嫁さん!」
白くて薄いパーカーの形を整えて純白のベールの代わりにし、白詰草の冠は位置を変えてティアラの代わりに。
ちょうど陽織の服が長めの真っ白なワンピースだったので、もしかしたらウエディングドレスみたいに見えるんじゃないかと思ったのだ。
やはり本物には到底及ばないけれど、それでも綺麗だった。だから本物を着ればもっともっと綺麗なはず。
お嫁さんは似合う似合わないではなく、きっと将来必ずなるものだから、お姫様よりもずっと現実的だ。
満足気な私に反して、陽織は俯いてぷるぷると肩を震わせていた。わ、やばいかも。
「いっ、意味がわからないんだけど? どうしてお姫様云々の話からお嫁さんになってるの?」
「陽織に花嫁衣裳を着せたら似合うだろうなぁと思って、つい。えへへ」
「馬鹿なの!?」
うわぁ、陽織の顔が真っ赤だ。耳まで赤くしているあたり、相当怒っているんだろうな。いつも無表情なのに、今日はずいぶんと表情が豊かだ。
報復が恐ろしいけれど、自分のやりたい事をやれたので悔いはない。いや、せっかくだからもっと豪華にするべきだったか。
「白詰草で指輪も作っておけば良かった。よし、もう一回行って作ってくるね! ついでに首飾りも作ってくる!」
「い、い、いいからっ! 充分だから!! お願いだからもう勘弁してっ」
なぜか涙目になって必死に懇願されていた。それほど嫌だったのだろうか。
動こうとしたけれど、服の裾を掴まれたので身動きがとれない。本人もかなり嫌がっているようだし、残念だが諦めよう。
陽織は恨みがましい目を向けて、私のパーカーを突き返してきた。
「やっぱりパーカーじゃなくてシーツとかの方がそれっぽかったかなぁ」
「……椿がなにを考えてるのか私にはわからないわ」
運動したわけでもないのに、彼女は酷く疲れたようにぐったりとしている。まだ、顔も赤い。
「似合うとか似合わないとかもう関係ないじゃない。それに、花嫁姿なんてお姫様より縁遠い話だわ」
「なんで? 陽織だっていつか結婚するでしょ? その時は着ることになるんだから」
「結婚しないかもしれないじゃない。第一、する気なんてないわよ」
「え、しないの?」
「はあ? どうして貴女が残念そうな顔してるのよ」
「だって、陽織のウエディングドレス姿を見たいから」
まだまだ先のことになると思うけど、いつか、純白のウエディングドレスを着て、幸せそうに笑っている陽織の姿を見たい。
けど、陽織が興味ないっていうのならもちろん諦める。結婚はひとつの選択肢で、必ず選ばなきゃいけないものではないから。
他人が不幸だという選択肢を彼女が選んでも、彼女が心から幸せだと言うのなら、私は祝福したいと思っている。
なぜなら彼女は私の幼馴染であり、大切な人だから。
「……しかたないわね。大人になったらドレスショップで試着して見せてあげるわよ。すごく嫌だけど」
「あ、そういう手もあるね。うん、楽しみにしてる」
「もし良かったら、その、椿が着せてくれる? それだったら、私―――」
「え? ああ、ドレスって一人で着るの大変だもんね。その時はもちろん手伝うよ」
「はああぁぁぁー…………鈍感」
「?」
未だかつてない長さの溜息を吐かれ、失望の色が浮かんだ瞳で睨まれた。私、また何かやっちゃったんだろうか。心当たりが全然ないけど。
「まあでも陽織は可愛いから何を着ても似合うよね」
「また同じことを……。もうその話は禁止にするわ。次言ったら穴掘って埋めるわよ」
「は、はい」
これ以上不機嫌になられては堪らない。
陽織が可愛いのは譲れないけど、この時間はお互い楽しい気持ちでいたいから、心の中で思っておくだけに留める。
遠い未来の約束を胸にしまい、私たちはいつものように穏やかな時間を過ごした。