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WP&HL短編集+スピンオフ  作者: ころ太
WPスピンオフ
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WPspinoff25 乞いと赦し

 


誰かに起こされたような気がして、重たい瞼をゆっくりと開けた。


「……おはよう」


朝の挨拶を呟いてみても、何も返ってこない。ただ、可愛らしい鳥の囀りだけが部屋に届く。

人の気配を探しても誰もいないみたいなので、起こされた気がしたのはどうやら勘違いだったみたいだ。

微睡みを振り払うように欠伸をして、カーテンの隙間から漏れている日差しを逃れるように瞬きを数回。

随分と長く眠っていたのか、まだ意識がぼんやりとしている。


「……?」


それから――――なんだろう。自分の内側に、いつもと違う『違和感』のようなものを感じる。

起きてからずっと得体の知れない喪失感と言葉にできない柔らかな感情が胸の奥で渦巻いているようだ。

とくん、とくん、と規則的に動く心臓の音がやけに耳に響いて、思わず胸に手を当てて着衣を握りしめる。


「暖かい」


そう、なにか……ずっと夢のような夢を、見ていた気がする。

内容は覚えていないけど、現実であれば良かったと願うくらい、幸せな夢だったと思う。

必死に思いだそうとするけれど、心のどこかで夢を思い出すことは無理だと理解していた。

もう二度と、同じ夢は見れないだろう。気になって仕方がないが、どうにもできないので諦めるしかない。

けれど今、自分が抱いている暖かな感覚はきっと一生忘れることができないものだ。

握りしめていた着衣を放し、胸の上から手を退けた。


「そういえば、ここは何処だろう」


視界に入った白い天井と独特の匂いから、ここが病院だと推測できる。

どうやら無事に生き延びることができたみたいなので、安堵の息を吐いた。気怠くて身体を思うように動かせないが、この程度ならすぐに回復するだろう。気合を入れれば今からでもベットを抜け出すことが出来そうだが、怒られそうなので止めておくことにした。散々無茶をしたばかりなので、大人しくしていた方が良さそうだ。

喉も乾いたし、ついでに起きたことを知らせるためにナースコールを押すことにした。

備え付けの呼び出しボタンを押すと、すぐに詰所と繋がり看護師さんが応答する。


「あ、もしもし? どうも田中っていいます。利用は今回が初めてなので診察コースはお任せで、希望の看護師さんは若くて可愛くて優しくてお注射が得意な人がいいです。オプションで飲み物をお願いします」

『こんないかがわしいデリバリーのようなコールは初めてですよ田中さん……って103号室の椎葉さんじゃないですか!! 目が覚めたんですね! すぐに行きますから!!』

「えっまだ身支度と心の準備ができてないんですけど」

『いいから大人しく待ってなさい!』


あら残念、通信を切られた。慌ててたみたいだし、忙しい時にコールしちゃったかな。だとしたら申し訳ない。

看護師さんが来るまでテレビでも見るかと思ったけど、リモコンが見当たらなかったので諦めた。

そういやここ個室なんだよね。備え付けの設備も充実してるみたいだし、VIPな病室かもしれない。

たぶんルヴァティーユの人が手配してくれたんだろう。


「お待たせしました。椎葉さん、お身体の調子はどうですか?」


ノックの後、扉を開けて看護師が病室に入って来た。


「チェンジで」

「残念ながらうちでは看護師の指名はできません。それに私はまだ30代で注射も得意なんですよワハハ」

「うっそだぁ!」


やってきた看護師さんは肝っ玉母さんみたいな風貌で、プロレスで活躍してそうな強靭な肉体をしていた。

看護師のコスプレをした格闘家といっても通じそうだ。


「後で担当医が来ます。それと、ご両親にも貴女の目が覚めたと連絡をしたので、午後には面会に来られますよ」

「うへぇ」


看護師さんは簡単に私の身体の状態を調べ、問題がないことを確認すると水を渡してくれた。


「ここは特別な事情がある患者しか入れない病室です。貴女の怪我の状態を正確に把握しているのは医院長と担当医、そして貴女を担当している看護師の私だけ。他の関係者には腹部の怪我を伝えてありますが、怪我の原因は足を滑らせ転倒した際にポケットに入っていたボールペンが不運にも腹部に深く刺さってしまった、ということになっています」

「もっとマシな理由に出来なかったの……」


誤魔化してくれることは有り難いけれど、その理由だと凄く間抜けっぽくて恥ずかしい。

転んでボールペンを腹に刺すってどんだけ運悪いのよ。

ちくしょうなんてことだ、寝てる間に最強のドジっ子設定が付与されてしまった。


「私たち病院側は貴女の事情を存じ上げません。ただ、怪我を治すことに尽力します」

「あ、はい。しばらくお世話になります」


それから担当医の先生が来て腹部の怪我の状態を説明され、三日間ずっと意識を失っていた事、最低二週間は入院しなきゃいけないことなど、色々と丁寧に教えて貰った。

まだ縫合したばかりなので出歩かないよう釘を刺され、担当医と看護師は退室していく。

さてと、両親が来るまで何をして時間を潰そうか。とりあえず私が意識を失った後のことを確認するために丸戸に連絡してみよう。自分の携帯は手元にないので、こっそり部屋から出て公衆電話まで行くかな。

もそもそとベットから這い出て立ち上がると、急に眩暈がして身体が傾いたので、近くの椅子に慌てて手をつく。

こりゃまずい、無理せず大人しく寝ていた方がいいだろう。腹部はじくじくと鈍い痛みがあるし、手足も重くていつもの倍は疲れる。

しかし暇なのは我慢できないので、行動範囲を病室だけに限定し、物色を始めた。

何か暇を潰せる面白アイテムがあればいいのだが、特に目ぼしいものはないようだった。残念。


「おっ」


ベットの傍にある引き出しを開けると、白い紙とペンがあった。

丁度いい。親が来るまで、久しぶりに反省文でも書いてみよう。

先生に怒られることほぼ確定しているので、少しでもお説教を軽減するための姑息な策である。

机に座れそうもないからベットの中に入り、変形テーブルを出して紙を置き文字を書いていく。

手に力が入らず汚い字になってしまったがどうにか読めそうなので問題ないだろう。

紙の四分の一を文字で埋めたところで、ペンを置く。いつもなら何枚でも書けるはずなのだが、今日は調子が悪いのか文章が浮かんでこない。たった一枚も満足に書けないなんて、どうしたんだ私。作家がスランプになった時の気持ちがちょっとだけ解っちゃったぞ。


こんな駄作を見せるわけにはいかないので、くしゃくしゃに丸めて部屋の隅にあるゴミ箱へシュートする。紙は真っ直ぐに飛んでいき、狙い通りにゴミ箱へ収まってくれた。ふふふ、私のコントロールは鈍っていないようだな。

再びペンを握り、もう一度反省文を書いてみようと試みる。最初に『拝啓、植田紫乃さま』と書いて、それから時候の挨拶を――って、それだと反省文ではなく手紙じゃないか。


「ふむ。手紙か」


それでもいいかもしれない。

思えば、誰かに宛てた手紙を書いたことが一度もなかった。

まともな便箋や封筒がないのは非常に残念だが、私が書く初めてのお手紙は敬愛する担任に捧げよう。


「…………」


でも、何を書けばいいんだろう。

手紙ってどんな事を書けばいいんだっけ。

いやまて、深く考えるんじゃない。親しい人に送る手紙ってのはこう、もっと気楽に書いていいはずだ。

ただ紙面と言うだけでメールやSNSと同じだ。何も身構えることはない。

思ったことを筆に乗せて、簡潔に、伝えたいことを文にすればいい。


(思ったこと、伝えたいことを簡潔に)


彼女のことを思い浮かべ、適切な言葉を選んでペンを走らせる。

思いついた文言を全部書いてたら手が疲れるし、ここにある紙だけじゃきっと足りない。

選び抜いたものを書き並べても、なんだか中途半端になりそうな気がした。

だからたった一言だけ。たった一言に、気持ちの全てを詰め込んだ。


『―――― 好きです』


本当にたった一言を書くのにとてつもない労力を要したが、満足したのでペンを置く。

『好き』って便利な言葉だよね。いろんな気持ちを詰め込める、魔法のような言葉だ。

でもちょっと待って。これでは手紙というよりも恋文と呼ぶべきものではないだろうか。


「…ん…好きって……なん……え? 恋文って、は、はあ?」


もう一度自分が書いた手紙……というか先生へ宛てたラブレターを食い入るように見る。

ちょっと待って。自分で書いといて馬鹿みたいだけど、なんで好きって書いたの?

友愛とか親愛の意味で好きって書いたんだよね多分。そ、そうとしか考えられない。それしかない。

手紙なんて書いたことがなかったから、気持ちが変に捻じ曲がってこんな言葉を書いてしまったのだろう。

こんな誤解を生みそうなものを渡すわけにはいかないので、慌ててくしゃくしゃに丸めてゴミ箱へ投げた。

……が、今度はあらぬ方向へ飛んでいき、部屋の隅の床にぽとりと落ちてしまう。

しまった。動揺を抑えきれず、適当にぶん投げてしまった。目立たない所に落ちたとはいえ、誰かに見られたら切腹ものだ。また腹に穴を開けたくはないので、回収して細かく切り刻んでもう一度ゴミ箱へ捨てよう。

身体に負担を掛けないようにいつもの3倍ほど時間をかけてゆっくりとベットから這い出る。

立ち上がってゴミ箱の近くまで歩いたところで、部屋のドアが勢いよく開けられた。


「光希!!!!」

「はい」


名前を呼ばれたので反射的に返事をすると、扉を開けた母親は目を見開く。


「このお馬鹿! 意識が戻ったばかりのくせにベットから出て何やってるのよアンタは!?」

「ぜんぜん平気だって。元気モリモリだよ」

「3日も意識が戻らなかったのよ!? 出血量が多くて、下手したらアンタ死んでたんだからね!!」

「大袈裟だなぁ。現代の医学は進歩してるんだから、そう簡単に死なないよ」


必死の形相で詰め寄ってくる母親を落ち着かせようと努めて冷静に話す。

お腹の辺りがちくちくと痛んで少しばかり苦しいけれど、耐えられないほどじゃない。


「ほんの僅かな可能性があるだけでも、恐いんだよ光希」

「お父さん」

「失えば、二度と戻らないものだからね」


母親の後ろにいた父親が、眉を顰めてぽつりと漏らした。

その真剣な声と悲痛な面持ちを見て、罪悪感がじわじわと込み上げてくる。

自分勝手な行動で、二人にとんでもない心配をかけてしまったのだ。


「えっと、ごめんなさい」


素直に謝ると、両親はようやく力を抜いて微笑んでくれた。

すごく怒られるだろうなと思っていたから拍子抜けだ。

まあ、こんなものだろう。


「まったく、アンタって子は」


母は、手を伸ばして私の頬にそっと触れる。

感触と温度を確かめるような細い手が、かすかに震えている事に気付いた。

父は、その大きな手を私の頭にそっと乗せる。

よく頑張ったなと、褒めるかのように何度も何度も撫でられた。


「生きていてくれて、本当に良かった」


「――――――」


弾かれたように両親を見る。

優しく、私を見てくれる家族を見る。

小さい頃から、ずっと見守ってきてくれた父親と母親が、目の前にいる。


そうだ。


この人たちは私を蔑んだりしない。道具みたいに扱ったり、利用したりしない。殴ったりもしない。絶対に殺そうとしない。

悪いことをしたら怒って、良いことをしたら褒めてくれる。

私に楽しんで欲しいと色んな場所へ連れて行ってくれた。喜んでほしいと、素敵な物を沢山贈ってくれた。

特別でも何でもない、どこにでもいる普通の両親だ。

そんな両親は普通ではない私を、普通に育ててくれた。

普通に、愛してくれた。

自分たちの子だと、言ってくれた。


「……っ、……ごめん」


死にたいと願っていた私に、それでも生きてほしいと願ってくれた。

生きることを、無条件に赦してくれていた。


「……ごめんっ、なさい……」


両親が大切に、大事にしてくれていた私の命。

なのに私はそれを、幸せの裏側でずっと蔑ろにしてきた。


「ごめ、ごめん…ごめんなさいっ……ごめんなさい、ごめんなさい……!」


生きてる証が、目から零れ落ちていく。

頬を伝う涙の暖かさは、感情が生きている証拠だろうか。


「ごめんなさいっ……、ごめんなさいっ!」


ずっと謝りたかった。

謝らなければならなかった。

目の前の両親に。

もう二度と、謝ることが出来ない人たちに。


「……ごめんなさい、私……ごめん、なさ、い」


流れる涙を両手で拭っても、次々に溢れてくる。

雨漏りみたいに雫が床に落ちて、このままでは水溜りになってしまうのではないかと思った。

けれど止まらない。止め方がわからない。だって、こんな子供みたいな泣き方をしたのは初めてだ。

叱られた幼子のように、本能のままに泣き喚いて、ただごめんなさいを繰り返す。


「ずっと、いっぱい、ごめんなさいっ」


本当に子供だったのだ。

私は、お父さんと、お母さんの祝福を受けて、生まれてきた“普通の”子供だった。



「私、生まれてきて……良かった、です」



『――――――生まれてこなければ良かった』


必死に産んだ子が吐き出した呪いのような言葉を聞いて、それでも懸命に育ててきたお父さんとお母さんは。

ずっと望んでいたであろう言葉を聞いた瞬間、泣き崩れてしまった。

私がずっと罪悪感や歪な願望を抱えていたから、両親も心配や不安を抱えていたのだろう。

一緒に背負ってくれていたことに、今ようやく気付いてしまった。


「ようやく、なのね」


母は泣きながら謝り続ける私を抱き寄せて、強く抱きしめる。

父は私たちをまとめて抱えるように、腕を伸ばした。


「そうか。ようやく、自分を赦せたんだな。光希」


そうだ、私は赦せた。

長い時間をかけて、ようやくだ。

それは罰でも何でもない、ひだまりのように暖かい時間だったけれど。

私が傷つけてきた人たちから一生赦されることはないけれど。

私に価値を与えてくれた誰かは、笑って赦してくれたような気がしたから。

人に愛される自分も、人を愛する自分も、赦せることができたのかもしれない。


産声を上げるようにわんわん泣いて、あやす様に優しく抱きしめられて。

自分の内側に隠れていた部分がほんのりと熱くなる。

それはずっと昔にできたもの。

親に、人に、社会に、自分に、色んなものに失望して、自分とその他のものを区切るように引いた境界線。

生まれ変わってその線は薄れ、やがて優しい人や楽しいことに触れて所々消えてもいたけど、ずっと私の中に引いてあった一本の線。


それを、自分の手で消し去る。

そして境界線があった先へ、一歩踏み出すのだ。

知っていたけど、知らなかった世界。


「ありがとう。お父さん、お母さん」


自分の目で見るその世界は、一体どんな風に映るのだろうか。





泣くだけ泣いて疲れてしまった私はお父さんに抱えられ、ベットの中へ戻された。

せめてお腹の傷が塞がるまでは大人しく寝てるよう約束させられ、両親は一度家へ戻っていった。

病院から連絡を貰って慌てて駆けつけたから、着替えも何も持って来ていなかったらしい。

ついでに私の携帯を持って来てもらうよう頼んで、約束通り大人しく寝て待つことにした。

……三日間も眠っていたせいか、全然眠くならないけど。


しばらくベットの上でぼんやりしていると、ドアをノックする音が聞こえた。

両親が戻ってくるには早い時間なので、看護師さんが巡回に来てくれたのかなと思いながらどうぞと返事をする。

控えめにドアが開いて、その人は部屋に入って来た。


「…………椎葉、さん」


先生だった。

まごうことなき先生だった。


「え、あ……えっと」


まさかこんなに早く会いに来てくれるとは思わなかったので、掛ける言葉を準備していなかった。

普段通りの軽い調子で誤魔化しつつ、それから真面目に謝ってハッピーエンドの計画をなんとなく考えていたけれど、まだ未完で計画の実行は不可能だ。

しかたない、ここは先生の出方次第で対応を決めよう。いや、なによりもまず謝るのが先か。

先生にもたくさん心配をかけてしまったのだから。


(――いや違う。そうじゃなくて)


会えたら一番に伝えたいことがあった。

今まであやふやだったソレは今はもうはっきりと自覚できている。

自分を赦すことができたので、伝える資格も得た。

だから、あとは言葉で伝えるだけだ。


「椎葉さん」

「は、はいっ」


しかし、覚悟を決めかけた私よりも先に先生が動いてしまった。

恐る恐る傍までやってきて、そのまま手をとって握りしめられる。


「良かった……本当に、生きてる」

「う、うん。生きてるよー」

「生きて、くれてる」


先生は私の手を両手で包み込んで『良かった』と『生きてる』を繰り返し呟いていた。

その様子を見ればどれだけ心配をかけたか、不安でいっぱいだったのかが、痛いほど伝わってくる。

残される者の苦しみや失う恐怖を知っている彼女だからこそ、誰よりも恐かったのかもしれない。


「ごめん」


静かに涙をこぼし始めた彼女の頭を撫でる。

さっきは自分が思いっきり泣いたから、今度は私が目いっぱい慰める番なのだろう。


「大丈夫だから」


ちゃんと生きてる。

これからも生きていくから。

だから、もう、そんな顔をしなくていい。


「いなく、ならないで」


「――――っ」


私の命の価値は、自分で思っているよりも遥かに重いのかもしれない。

きっと他の人がつける値は、もっと低いのだと思う。

彼女だからこそ、なのだ。

私のことを大切に想ってくれる人だから、破格の価値がついてしまう。


(これが、そうなんだ)


人の命に軽いも重いもない。みな平等で、優劣などない。

それは正しいけれど間違ってもいるのだと誰もが知っている。

生きていれば、どうしても区分や優先順位というものが出来るのだ。

次第に様々なカテゴリが生まれ、細分化され、自分の人間関係が構築されていく。

綺麗で醜くて、そして愛おしい、人の繋がりの仕組み。


「紫乃」


名前を呼ぶと、彼女は驚いた顔で私を見る。

潤んだ目を大きく開いて、小さな口をだらしなく開けて、呆然としていた。


「その、色々言いたい事とか聞きたい事とかあるんだけど、とりえあえず、先に言っておくことがあって」

「は、はい。なんでしょう」


何故か畏まってしまう先生。ちょっとやめて、緊張しちゃうから。


「あ、あのですね。なんといいますか……」


何故か敬語になってしまった。

言いたいことを言うだけなのに、喉の辺りで言葉が詰まって出てこない。

数々のプレゼンを成功させてきた百戦錬磨の私が、たった一人の女性に臆して固まってしまうなんて情けくてまた泣けてきた。どうしよう助けて心の師匠。あ、駄目だ。あの人は無愛想で口下手なので頼っちゃいけない人だった。


「椎葉さん?」


口が使い物にならないので、咄嗟にある場所を黙って指差した。

そこにあるものを見つけた紫乃は、よくわからない顔をしてソレを拾いに行く。

屈んで手に取ったところを見た瞬間、恥ずかしさやら嬉しさやら、なんかもう、色々な感情が湧き上がってきて耐えきれなくなった。許容値を超え、限界が訪れたのだ。


「じゃあそういうことなんで! 拙者はこれにてししし、失礼するでござる!」

「あっ!? 待って椎葉さんっ!!」

「とうっ!」


隙をみてベットから抜け出し、病室から飛び出した。

素足でペタペタと音を鳴らしながら必死に廊下を走る……のだが、速度が出ない。

不思議な事に痛みも疲れも感じないけれど、身体は思うように動いてくれなかった。

全力を出せずのろのろと走っていると背後から紫乃の声が聞こえる。

おまけに看護師さん達が「患者が脱走したぞ! 捕まえろ!」「縄はどこだ!」「B班は緊急配備!」などと物騒な怒声を上げていた。なにこれ、病室から出て走っただけで大騒ぎなんですけど。

このままではすぐに追いつかれてしまうので、一度エレベーターで上の階に行き、降りずにまた元の階へ戻ってから病院の外へ逃げる。


「は、はっ、はぁ……ははは」


病院の敷地内にある芝生の上で力尽き、そのままうつ伏せに倒れこむ。

残った気力で何とか仰向けになり、澄み切った青空とご対面した。

忙しなく動く鼓動を落ち着かせようと、乱れた呼吸を整える。


「まったく、なにをやっているんだか」


恥ずかしさのあまり逃げ出すなんて、甘酸っぱい乙女心が自分にあったとは思わなかった。

さっそく両親との約束を破ってしまったが、乙女の緊急事態なので仕方ないよね。

病室に戻りたいのだが自力で戻れる体力はないので、誰かに見つけてもらうしかない。

見晴らしがよく、病院の中からも見える場所なのですぐに発見されるだろう。


「馬鹿だよなぁ」


私の言葉に同意するように強い風が吹いて、雲の隙間から出てきた太陽が諌めるように強烈な光を浴びせてくる。

ここ、日差しを遮るものが何もないから直射日光が凄い。焼ける、ていうか暑い。とにかく暑い。

陽のせいか、それとも羞恥の熱か解らないが、さっきから顔が火照って熱くてたまらない。

あーあ、こんなはずじゃなかったのに。もっと格好良く決めるつもりだったのに。

さっきからもう色々とむず痒くて、のたうち回りたい。


「む……見つかっちゃったか」


草を踏む音が聞こえ、人影が視界に入る。

さて、私を捕まえに来た最初の方は一体どなたかな?

煮るなり焼くなり好きにするがいいさ。当然、好きにされるつもりはないけれども。


「……身体、大丈夫?」


いざ顔を見ると、嬉しいと思ってしまう。

会うのが恥ずかしくて堪らなかったのに、会いたいと願っていた自分に気付いた。

私を一番最初に見つけてくれた紫乃を見て、自然と笑みが浮かぶ。


「走って気分はすっきり爽快。運動って気持ちいいね」

「もう。大きな手術をして起きたばかりなんだから、大人しくしてないと駄目だよ」


彼女は寝転がっている私の顔を覗き込むように見て、困った笑みを浮かべている。

いや、違うな。この顔は怒ろうとしたけれど喜びを押さえきれなくて出来上がった笑顔だ。

私の無事を確認すると、彼女は持っていた紙を広げて私に見せつけてくる。


「うげっ」


こ、これは酷い。動けない私にこんな恥ずかしいものを読ませようとするなんて拷問だ。

大人しそうな顔して羞恥プレイを強要するなんて鬼畜極まりない。

……あとなんで手紙の持ち方が裁判で判決が出た時に掲げる紙みたいなの? 勝訴なの?

また逃げたくなるのでお願いだから早くソレしまってくれません?


「この手紙、私が貰っていいのかな」

「えっと、宛名を確認してね。合ってたら、受け取っても問題ないかも」

「本当にいいの?」

「それを受け取るかどうかは、紫乃が決めて――」

私で(・・)、本当にいいの?」

「………………」


中途半端だから伝わらないのかな。

はっきり言葉にすればそれで終わりなのに、素直な気持ちを吐き出せない。

まさかここまで自分が奥手だとは思わなかった。


「……私は、昔の紫乃を覚えてない。大事だったものを、きっとほとんど忘れてる」


頑張りなさい、と誰かに背中を押された気がした。

このヘタレ、と貶されたような気もした。

知らないのによく知っている声が聞こえた気がして、胸が締め付けられる。


「私は今の紫乃しか知らない。今の紫乃が、全部だ」


疲れた身体に鞭打って、上半身を起こす。

腹部が酷く痛んで顔が引き攣りそうになるけれど、笑って誤魔化す。

笑っていたいから。

今も、これから先も、キミと一緒に笑っていたい。


「っ」


ふらつきながら両の足で立ち上がる。

痛みに耐えきれず傾いた身体を、紫乃が慌てて支えてくれた。

頬を伝っていた汗が、衝動で草の上に落ちる。


「椎葉さん、やっぱり身体の調子が……っ」

「平気」


心臓の上に手を置き、服を握りしめる。

あり得ないくらい鼓動が早くて、破裂してしまいそうだ。

身体を支えてくれていた彼女の腕から離れ、踏ん張って自力で立つ。

背筋を伸ばして前を見据え、最後の覚悟を決めた。


「過去とか責任だとか、きっと大事なことなんだろうけどさ。なんていうか、もう全部取っ払って単純に考えてみた。自分にとって、何が一番大事なのか。これから生きていく私に、何が必要なのか。たった一人に抱く、この気持ちが何なのか」


ずっと理解できなかった感情の答えはすぐに出た。

難しくもなんともない、単純明快な回答。

笑っちゃうくらい、はっきりと自分の中にあったもの。

この感情がいつ生まれたのかはわからない。

答えを出すための途中の式は空白だ。

それでも、答えだけは解ってる。


「紫乃が、好きだ。ずっと傍に居たい」


彼女へ向けて片手を差し出す。

震えていることには、どうか気付かないでほしい。

気付いていても、すぐに忘れてほしい。

本当は臆病で、口先ばかりの弱々しい私だけど。

生まれて初めての告白ぐらい、格好つけていたいから。


「見守るだけじゃ足りない。幸せを願うだけってのも耐えられない。

 ……だから、私と一緒に、幸せになってくれませんか?」


ふと片手だけじゃ足りないと思い直して、結局両手を差し出した。

私の手は小さくて頼りないけれど、力だけはそれなりにあるんだよーなんて呟いてみると、彼女はとても綺麗な笑みを浮かべて、なんの迷いもなく両手を掴んでくれた。


「うん。私、貴女と一緒に幸せになりたい」


はにかんだ顔と喜び全開の声が、心臓によろしくない。

なんだよもー、このひと可愛すぎる。


「えっと、あ、ありがとう。紫乃の気持ちは知ってたし、即決してくれるのは嬉しいんだけどね。私と一緒にいて必ず幸せになれるとは限らないよ? いや、努力はするけど。めっちゃ頑張りますけど。でも、私は人に優しくするより傷つけることの方が得意な人間で、自分の事しか考えなくて、紫乃のことだって大事にできるかどうかわかんなくて――」

「ふふふ」


ええっ、なんで笑っちゃうの!? こっちはこれでも真面目に話しているんだけど!?

いやでも笑ってる顔やっぱり可愛いよなーって、何考えてんだ。いい具合に頭が茹で上がっている。


「やっぱり椎葉さんは優しいね」

「はいーっ!? 人の話をちゃんと聞いてましたー!?」

「聞いてるよ。ちゃんと、解ってるよ。だって、こんなに私、貴女が大好きなんだから」

「ちくしょう聞いちゃいねぇ!!」

「わ、真っ赤になって可愛い」

「もおおおおおやだあああああああっ」


なんなのこの人、生まれたての純情な乙女心を弄ぶのはよして下さらないかしら!?

今までやってきた悪戯の仕返しと言わんばかりに攻めてきてる。本人に自覚はないんだろうけど。


「あのね。私はもう、幸せだよ」

「へっ?」

「世界で一番好きな人に、告白されたんだから」

「………っ」


嬉しいのに、凄く幸せな気持ちなのに、どうしてこんなに泣きたくなってしまうんだろう。

さっき親と一緒にたくさん泣いて、涙は枯れてしまったと思っていたのに。

漏れ出した水滴は、頬を伝って草の上へ静かに落ちていく。

紫乃が泣きだした私を見てオロオロしていたのが、なんだか可笑しくて笑えた。


「……なるほど」


泣き顔をさらし続けるのも恥ずかしいので、ゴシゴシと腕で拭う。

目も顔も赤くなって酷い状態になってそうだから今更ではあるけど。


「よく解ったよ」


呆然としていた彼女の腕を引いて、不意打ちで短いキスをした。

前に一回だけやった時とは全然違う。凄くどきどきして、満たされる不思議な感覚。

ああ、心の底から笑いが込み上げてくる。

幸せで、どうしようもなく幸せで、堪らない。


「確かに、世界で一番好きな人に好かれるってのは、すっごい幸せだ」

「――――っ!?」


今度は紫乃が真っ赤になって、目の端に涙を浮かべていた。

ふふふ、やられっぱなしの私じゃないんですよ。

慌てている彼女を見て、少しだけ余裕を取り戻すことができた。


「紫乃」

「は、はいっ」

「私と一緒にいるのは大変だよ」

「う、うん、わかってる」


それは結構。

これから色々な事があるに違いない。そういう予感がする。

だから、覚悟してもらわなきゃね。



「でもまあ、なんとかなるでしょ。2人、一緒にいるんだから」



『なんとかなる』なんて無責任な言葉、ずっと嫌いだったよ。

思考を停止して根拠もない希望に託すその言葉を、昔の私は絶対に信じなかった。

けど、今はその言葉がとても心強い希望の言葉だと思えてしまう。

本当になんでもできてしまうような気がする。

これから何があっても、大丈夫なのだと、信じることが出来る。

だって、私はもう一人ではないんだから。


「うんっ」


花が咲いたような満面の笑みを見届けて私は満足し、全身の力を抜いた。

っていうか抜けた。こう、空気が抜けるみたいに、ぷしゅーっと。


「わーっ!? し、椎葉さん!?」


紫乃は倒れそうになる私をまた受け止めてくれた。何度もすまないねぇ。


「ごめん限界」

「……ええっ!? ど、どうしよう、とにかく病院に運ばないと…っ」

「すやぁ」

「椎葉さん寝ないでー!!」


大変そうだけど、ごめん。本当に体力の限界だった。

慌てふためく紫乃には悪いけれど、どうにか頑張って頂きたい。

まあ、これぐらいなんとかなるでしょう。


意識が途切れる最後まで笑いながら、私は再び目を閉じた


 

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