WPspinoff22 結末の分岐点
「くそ、どうなっている!? なぜあいつらは抹消したはずの情報を持っているんだ!」
「おい常務がどこに行ったか知ってる奴はいるか!……こんな時に有給で海外だと!? 呼び戻せ!」
「本部長! 篠山建設から連絡がありましてっ、進んでいた事業計画を白紙に戻すと……!!」
「各支部長を集めて緊急会議だ! 今日中に帰れると思うなよ無能ども!」
おお怖い怖い。これがブラック企業って奴ですよ。
これを普通だと思っていた昔の自分が恐ろしい。懐かしいと感じてしまう今の自分もどうかと思うけど。
忙しそうに働いてる社員の方々に見つからないように隠れて非常階段まで進み、登っていく。
小柄なおかげで今のところ見つからずに進めているけど、やっぱり大きくなりたいです。あと10センチは欲しいです。身長が余って困っている人は私に下さい。高価買取中です。
しかしこの会社のセキュリティどうなってんだ。監視カメラがあるけれど、死角が多くてどうぞ進んでくださいと言ってるようなものだ。侵入者からしたら楽なので助かるけども。
そういやネットの方も穴だらけでハッキングし放題だったなぁと思いつつ、目的地に到着した。
―――この社長室のドアを叩くのも、久しぶりだな。
コンコン、と軽くノックをして、返事を待たず中へ入る。
「誰だ貴様は」
低く重く、威厳のある声。
ご立派な椅子に腰かけ、高そうな机に脚を乗せている60歳前後の男性は私を見て、眼を鋭く光らせる。
この男こそ、鹿島の現社長「鹿島秀之」だ。最後に見た時より白髪も皺もたくさん増えているが、相手を見下したような太々しい態度は昔と変わっていない。
「初めまして、椎葉光希です」
「ここは子供が来る場所ではない。さっさと帰れ」
「事前連絡なしで申し訳ないとは思っています。ですが、今日を逃すともう二度と機会はないかもしれないので」
「……俺は帰れと言っている」
「話を聞いてくれませんかねクソじじい。随分お年を召されたみたいだから耳が遠くなっちゃったのかな?」
「帰れ!!!!」
怒号と共にごっつい灰皿が飛んできたので咄嗟に避ける。
当たり所が悪ければ死にそうな固さの灰皿は壁に当たり、煙草の吸い殻と灰を撒き散らして床に転がった。
こわぁ、相変わらず頑固でヒステリックな親父殿だよ。
「そんな態度でいられるのもあと少しだ。もう、貴方の鹿島は終わる」
「貴様……ルヴァティーユの手下か」
「残念、首謀者です」
えっへん!と薄い胸を張ると、老いた男は重い体を起こして椅子から立ち上がった。
歪みに歪んだ男の顔は、見た者全員を恐怖のどん底へ突き落す迫力がある。
ああ、やっぱり恐いなぁ。心臓がバクバク鳴ってるし、手足の震えが止まらない。繕った平常心が壊れそうだ。
しかしあまりのんびりしてもいられないので、誰かが来る前に“雑務”を終わらせよう。
「さっき鹿島雅之を警察に引き渡した。証拠も全て揃っているから、確実に逮捕される」
「ふん……やはり出来損ないのまま終わったか。何十年も手塩を掛けて育ててやったというのに、何も成果を出せないとはな。アレに使った時間と金は勿体ないが、全てを失う前に切り捨てるか」
さすが鹿島の頂点は言うことが違う。
たとえ後継者でも、自分の不利益に繋がるのであれば容赦なく切り捨てるのか。
やはり私たちは使い捨ての道具でしかなかったのか。
「切り捨てられるのは雅之だけじゃない。あんたもだよ、鹿島秀之」
「……なに?」
「なにも不思議じゃない、これは当然のことだ。鹿島はルヴァティーユに敵わない。だから周りも我が身が可愛いから、落ちていく鹿島に巻き込まれないよう切り捨てる。いつもやっていたことが、今度は自分に回って来ただけの事だ。昔あんたがよく娘に言っていただろう。強い者が正しく、弱い者は愚かで存在する価値もない塵だと。それが今、自分に返ってきているのが、解らないのか」
「娘…? ああ、いたな。愚息より出来が良く優秀な女が。アレは有能だったが使い物にならなくなったから噛まれる前に処分したんだったな。でその娘の言葉がどうしたというのだ。私が強者なのは変わらない。私は他の奴らと違う」
ちっとも期待なんてしてなかったよ。
私を殺せと命令を下した鬼畜な親に、ほんのひとかけら、肉親の情があるかもしれないなんて。
「間違えるな。強者は私で、弱者はお前だ」
「……なんだと」
「あんたの鹿島は終わりだ。その終わりを見届けるために、ここまで来たんだよ」
わざわざこんな男に会わなくても鹿島は勝手に潰れる。
けれど私の後悔を終わらせるためには、鹿島光葉の父に会わなければいけないと思った。
「ふざけるな小娘!! 私を誰だと思っているッ!」
「あんたはもう、口だけの薄汚い爺さんで……私はもう、ただの女子高生なんだよ」
「私は偉い! 私にできないことはない! 俺は強者だ!!!!」
「それはもう過去のことだ。縋っても意味はない」
「黙れええええ!!!!」
壺が飛んできたので避ける。分厚い辞書が飛んできたので避ける。ペンが飛んできたので叩き落とす。
手当たり次第に色々飛んできたけれど、投げるものが無くなったのか最後には彼自身が突進してきた。
掴みかかって来たので、その手を両手で受け止める。年老いた男性とはいえそれなりに力は強いので、全力で抵抗しないとすぐに押し倒されそうだ。今はほぼ互角でも、長期戦になればこちらが不利かもしれない。
手を離し、相手の不意を突いて背後に回り込む。この人相手に武術で勝てるとは思えないので、卑怯だが護身用のスタンガンを使わせてもらう。
「遅いな」
「なっ」
背後をとったはずなのに、どうして――。
男の濁った目と自分の目が重なり、しまったと思った時にはもう遅い。
私の身体は予想外の動きに反応できず、迫りくるものから逃げることが出来なかった。
「ぐぅ、あ……!!」
油断したつもりはなかった。しかし、回避できなかったのは隙があったからだ。
身体を鍛えるだけじゃなく、武術も真面目に学んでおくべきだった。あーあ、また後悔が一つ増えてしまった。
「はっ、はぁ、っつぅ……」
腹の辺りから静かに流れる赤い液体が、質の良い絨毯を汚す。
ぽたりぽたりと雫は止まることなく零れ落ち、赤い染みを大きくしていった。
私は急激な痛みに耐えきれず、膝をつく。
なんかお腹にナイフが刺さってるけど、抜いたら一気に血が噴き出しそうなので、そのままにしておこう。
「はははははは! どうだ、これで解ったか!! 私に敵う奴はいない! 私は強い! 私は正しい!!」
不意にぐらりと視界が歪む。やばいやばい、こりゃやばい。冗談じゃなく本気でやばい。
痛みで身体が動かないので、逃げることも抗うこともできない。意識も、いつまでもつか解らない。
腹を刺されて血が結構出てるから早く手当てしないと確実に出血多量で死ぬ。
最悪の結末が脳裏をよぎり、冷や汗が流れた。
(死ぬのか)
死ぬ。
それもまた、自分が望んだ結末ではなかったか。
これで私は罪の意識から解放され、楽になれるのではないか。
それなら、この結末もハッピーエンドだ。
優しくしてくれたみんなには申し訳ないけど、私は――――――。
「……ぁ」
意識が霞む。
なんだかこの感覚は懐かしい。
可笑しなことだけど、死ぬのは二回目なのだ。だから解る。私はもう、死ぬのだと。
(………終わり、か)
段々と体温が下がっていくのを自覚する。
死ぬということは、やはりあっけないものだと、ぼんやり思う。
前世とは違い、椎葉光希の人生は幸せで満ち溢れたものだったけれど。
私のことを大切に育ててくれた両親がいた。
一緒に遊んでくれる楽しい友人たちがいた。
優しく見守ってくれる周りの人たちがいた。
昔の私のことも、今の私のことも、好きだと言ってくれる人がいた。
――――思い出せ。
その人は、何と言っていたか。どんな顔をしていたか。
『死なせないよ。絶対に、私がそんなことさせない』
彼女の姿が、瞼の裏に浮かぶ。
『貴女が、好きです』
彼女の言葉が、想いが、私に希望をくれる。
(死にたくない)
ドクリ、と心臓の音が一際高く鳴った。
(死にたくなんか、ない)
起きろと。しっかりしろと。生きろと。叩き起こすように、心臓が暴れる。
冷えていた身体が熱を帯び始め、どんどん体温が上昇していく。
混濁していた思考が徐々にはっきりしてくる。
(生きたい)
ああそうだ、生きると決めたじゃないか。
何また死にたいとかふざけたこと考えてたんだ私は馬鹿じゃないのか。
痛くて身体が動かない? 甘えるなよ。この程度の痛み、私なら耐えられるはずだ。
何と言ったって、前世で死んだ時は身体のあちこちがぐちゃぐちゃでもっと酷かったのだ。
あの時に比べたら、こんなの、掠り傷みたいなものだろう。
息を吸い、気合を入れる。
さあ立て。
望んだ結末は、もうすぐだ。
「はっ、ははは、っ罪状が増えたなおめでとうっ! 女子高生を刺した罪は重いからなぁっ!」
「なんだと!? 貴様、まだ動け――――」
今度は私が早い。油断したな、このやろう。
「産んでくれてありがとう。それだけは感謝してるよ。母さんにもよろしく伝えといて」
改造スタンガンを相手の身体に当て、スイッチを押す。
「さよなら、父さん」
びくんと大きく身体を震わせ、男の身体は床に倒れた。
流石に息の根を止めるつもりはないので、気絶する程度の出力にしてある。
呼吸をしていることと確実に意識を失っていることを確認して、壁に寄りかかり座り込む。
気力はあれど、体力の限界だ。血も大分流れちゃってるから、動くと非常にまずい。
ナイフを抜くわけにもいかず簡単な手当ても出来そうにないからあと祈ることしか出来ない。
携帯を使い、監視から逃げ出した私を探して右往左往していたらしい護衛の人に連絡を取り、警察と救急車を手配して貰った。これであとはのんびりと待つだけだ。
「終わったんだなぁ」
気絶している鹿島の社長を見る。
やはりこういう結果になってしまった。穏便に話し合うことが出来るとは、思っていなかったけど。
ほんとはね、期待したんだ。
ほんのちょっとだけ、希望を持ってしまったんだ。
だって、色んな人たちが、教えてくれたんだよ。
この世界は、優しいって。
全部じゃないけど、優しさとか、そういう暖かいものが、存在するんだって。
だから確かめたかった。
父と母と私と弟の間に、何か、暖かいものが僅かでもあればいいなって。
でも、無かった。
わかってたよ。
しかたがない。
これでいい。
確かめられたから、これでいいんだ。
これで、少しは前に進める気がする。
「まずは怒られることからだなぁ」
計画にない勝手な行動をとってこの有り様だ。各方面から厳しいお説教を貰えるだろう。
今のうちに言い訳でも考えておこうかな。なんか、ちょっと、眠いけど。
今日はすんごい頑張って、すんごい疲れたから、少しの間だけ、休もうかな。
あとは誰かが、なんとかしてくれるだろうから。
目を閉じる。
自分の荒い呼吸と心音だけが、耳に響く。
『――――――』
「?」
どこかで聞いたことがあるような、でも聞いたことがない声が、私を呼んでいる。
誰だろう。知らないのに、解らないのに、私はその声をずっと聞きたかった気がするのだ。
『――――』
もう一度名を呼ばれ、私の意識は消えた。